第35話 そして俺は

 日は暮れて辺りは暗くなっていた。いつもなら静かなのだろうが、今日はしきりに花火の音が聞こえる。


「私の家が農家だってことは話したっけ?」


「ああ、お前のお父さんが脱サラして始めたとかいう……」


「そうそう、中学三年の時に宮崎県内で引っ越すことになってね」


「おう」


「でもそれってお父さんだけの事情じゃないんだ」


「どういうことだ?」


 少し前を歩いていた茜が振り返って俺を見つめる。花火で一瞬照らされた顔は、儚く、消え入りそうだった。


「律さんはイジメられたことってある?」


「ないな……」


「私はあったんだよ。上手く避けられれば良かったんだけどね」


「……茜は悪くないだろ」


 呼び方、戻ってるんだよなあ……。無意識なのか意識的なのかは分からないけど、それだけで距離が少し離れてしまったように感じて、やるせない気持ちになる。


「イジメってのはね、もちろんする側が悪いんだけどね。やられる方も悪くないわけじゃないんだと思うんだよね」


「そんなのは暴論だろ」


「そうかも。でもね。付け入るスキを与えるから……、だから、的にされる」


「……虐めていい理由にはならんだろ」


「そんなのは関係ないんだよ。律さんはさ、昔から頭良かったでしょ」


「なんだよいきなり……。でも、高校に上がるまで勉強に苦労したことは無かったな」


「私は違ったんだよ。高校も偏差値五十ちょいのフツーの高校」


 どうしていきなりそんな話をするのかが分からなかった。読めない。茜が、分からない。


「私は頭の良い人が好きなんだ。頭の良い人は無駄なことをしないから。例外みたいな人もいるけど、ほとんどの人は善良な人たちだから」


「茜、何を言って……?」


「だからバカは嫌い。昔の自分は大嫌い」


 背筋が凍るほどの低い声で茜は呟く。花火の音も、近くの喧騒も、全てが聞こえないかのような錯覚に陥る。茜は自嘲したように薄く笑っていた。


「茜っ……」


「この話はこれでお終いね。イジメって言っても軽く無視されたぐらいだから。父さんに合わせてすぐ引っ越して転校したし。だから気にしないでね!」


「…………ああ」


「そんな気にしないでってば。女子なら割とあるあるだから。ほら、帰ろ!」


 茜は俺の手を引いて歩き出す。俺を安心させようと笑顔を浮かべているのだろう。けど、そんな顔をしても俺は不安になるだけだ。茜はもっと屈託のない笑顔を浮かべる。今の茜には笑顔が張り付いているようにしか見えない。


「茜の話したいことってのはそれで全部なのか……?」


「うん。話したらスッキリしたー。帰ってゲームしよ!」


「話、いつでも聞くからな」


「ありがと」


 これだけしか言えない自分に呆れる。こんなの気休めにもならない。口だけでは何だって言えるものだ。俺は茜に信頼されていないのだろうか、なんて自分勝手なことを考える始末。


 あのニュースを見た時の茜の表情。あれは絶対何かある顔だ。自分が巻き込まれたか、知っている人が巻き込まれたか、巻き込んでしまったのか。とにかく何かある。俺は、茜の闇を取り除きたい。茜を照らしたい。あんな気を遣うような笑顔なんて浮かべて欲しくはない。


「あ、花火終わったね」


「だな」


 花火はいつの間にか終わっていた。途中からは、花火の音なんて聞こえてなかった。祭りは終わり、雑踏も喧騒も遠く、かえって周囲は静まり返っていた。


* * * *


 祭りから三週間後、茜はサークルの合宿に行って留守だった。あれから機を伺っては、茜に何か困ったことは無いかと聞いて、見事にはぐらかされる。空振りしかしていない。


 あのニュースと似たような事件を調べようにも、件数が多すぎる。そもそも、部外者は公開していること以上の事をしる由も無い。世の中は腐っているんだな、と痛感させられるばかり。


 人はいつだって見たいと思ったことしか見ない。俺は無意識のうちに綺麗な世界だけを見てきたのだろう。同様に、俺は茜のうわべだけしか見なかったのではないのだろうか。俺は茜に理想を押し付けたのではないだろうか。


 そんな考えがジワジワと俺の脳を支配していく。正直かなり自己嫌悪に陥りそうだった。何も出来ない自分が歯がゆくてたまらない。


 エアコンの効いた部屋でそんなことを考えながら寝転がっていると、スマホが振動していた。よっこいしょと立ち上がり、スマホを手に取ると親父からの電話だった。


『もしもし律か?』


『俺以外出ないだろ。どうしたの親父?』


『律と遥が私に会いに来た時、結構金を使ったんだろうと思ってな。仕送りに追加で振り込んでおいたよ』


『おーそれはありがたい』


『その金でカノジョさん、南正覚みなみしょうがくさんに何か美味しいものでも食べさせてあげなあげさい』


『ありがとうな親父』


 親父は割とマメな性格だ。ズボラな母親と違って家事は丁寧だったし、一度話した人はすぐに覚える。職業柄もあるのだろうが。


『南正覚さんに何かあったら気にかけてあげるんだぞ』


『もちろん。言われるまでもなく』


『そうか、じゃあ安心だ』


『親父ってさ、何度か宮崎に仕事しに行ってたよな?』


『三回ぐらい行ったかな。どうした?』


 親父は心理カウンセラーだ。元々は神奈川の児童相談所で働いていたが、俺が十歳を過ぎたあたりから全国を飛び回って仕事をするようになった。自分の子供を放って、よその人の相談に乗ってあげてるのを気に食わなく思ったこともある。今では、尊敬しているけれど。


『親父は知り合いに南正覚っていう人がいるんだよな?』


 南正覚っていう苗字はかなり珍しいはずだ。宮崎発祥の苗字だとしてもその数は五十人ほど。どこか引っかかる。


『ああ、いるよ。仕事をしてる時に会ったんだよ』


『……相談を受けたってことか?』


『その子に会ったわけじゃ無いよ。お父さんから相談を受けてね』


『……それは茜に関することか?』


『そうだね。同姓同名でなければね。お父さんは今は農業をしているのだったかな』


 ビンゴだ。こんな偶然があるのだろうか? あまりにもピンポイントで奇妙な偶然だ。


『相談内容は……?』


『仕事だから言うことは出来ないよ』


『頼む……』


 しばらく間が空く。電話が切れてしまったのかと、耳からスマホを離して画面を見たが、電話は繋がったままだった。


『南正覚さん、……茜さんからは何か聞いたのかい?』


『イジメられたことがあるとだけ』


『そうか。まあいい……話すよ』


『ああ』


『元々宮崎に行ったのは別件だったんだよ。電話である相談を受けてね。あれは律が高一のころだったかな』


 俺が高一。ならば、茜は中三だ。茜が引っ越して転校をした年。


『別件って?』


『そうだね……。相談内容はレイプ被害に遭った中学生の女の子のカウンセリングだった』


 レイプ被害。その生々しい響きに心臓が鷲掴みにされたかのように苦しくなる。


『それって茜はっ……?』


『茜さんじゃなくて茜さんの友達が被害を受けたんだよ』


『……そうなの、か……』


『その被害にあった子のご両親からお話を伺った時ね、一緒にその場にいたのが茜さんのお父さんだった』


『……分かったよ』


『私が話せるのはここまでかな。律、頑張れよ』


『ありがとう親父』


 電話を切ってベッドに座り込む。茜はきっと俺以上に、辛い思いしたのだろう。だからあそこまで優しい。そして、茜は今も辛い思いをしているはずだ。恋人に話すことの出来ないほどの。


 だから俺は茜に踏み込む。今までは茜の嫌がることをしたくないとか、適当な理由をつけて踏み込まなかった。けど、それはもうやめだ。茜は嫌がろうが、俺を嫌おうが、踏み込む。


 そうして茜の心が少しでも軽くなることを祈って。


 







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