第31話 初めての
「あの肉まん食べたい」
「あいよ」
関内駅から歩いて十分ほど、俺と茜は横浜中華街に来ていた。茜はまだご機嫌斜めのようだ。可愛いから良いんだけど。美味しい物を食べれば少しは機嫌を直してくれるだろうか。
「半分こするか。その方が色々食べられるだろ」
「そうです――そうだね」
敬語になりかけて言い直してたよ、この子。ヤバい可愛い、ニヤける。自然と口角が上がってしまう。
「律さ――りっくん、何かニヤけてない?」
「とんでもございません」
また言い直した。ホントもうダメ。言い直した後、ちょっと恥ずかしそうに頬を紅潮させているとことか、上目遣いで不服そうに見てくるとことか、言葉では言い表せないほど良い……。
「何か私に思うことでもあるんじゃない?」
「いや、
おっと、しまった。建前と本音が逆になってしまった。これだけ可愛い生物兵器と手を繋いでいれば、仕方の無いことだろう。
「……急にそういう事言うの、反則……」
お前のその
肉まんを売ってる屋台のおっちゃんに注文をする。
「肉まん一つ下さい」
「あいよ、三百円ね! お兄ちゃん達みたいにアツアツの肉まんだよ!」
「どーも……」
丁度三百円を渡して肉まんを受け取る。恥ずかしいから、余計な事は言わないで欲しい。
「ほい、肉まん。熱いから気を付けろよ。紙を多めに貰ってきたからこれで包むか」
俺は肉まんを半分に割ると、片方は外袋に包んだまま茜に渡し、もう片方は紙で自分で食べる用に紙で包む。半分に割った時点で肉汁が溢れてるな。
大口を開けてかぶりつくと、ジュワッとした肉汁が口内に広がる。味付けされた肉、薄皮だがモチモチとした生地が美味い。
チラリと茜を見ると、幸せそうな顔をしていた。おそらく俺も似たような顔をしていることだろう。久しぶりに食べるが、中華街の肉まんはやっぱり美味いもんだ。
「何?」
「幸せそうに食べるなあって」
「だって美味しいし。次は台湾唐揚食べたい」
「はいはい」
唐揚げをご所望だったため、すぐに買ってくる。パシられている気もするが悪くない。これぐらいで機嫌が良くなってくれるなら、むしろお安いご用だ。
台湾唐揚は結構大きく一個を半分にしても、お腹にたまりそうだ。これは手で半分に割ることが出来ないので、先に茜に食ってもらおう。
「茜、先に食って良いぞ」
「分かった、ありがと」
これってもしかしなくても間接キスだよなあ……。いや、考えてみれば付き合う前から普通にやっていたわけだが。飲み物を回し飲みしたりとかで。
「ん、美味し。はい」
「お、ありがとう」
まさか間接キスなんて考えてしまうとは……。俺は男子中学生かよ。アホな考えを振り払うように、唐揚にかぶりつく。うん、これも美味い。
「茜、この後はどうする?」
「杏仁ソフトを食べたら、どっか行きたいかな。りっくんのオススメの場所は?」
「まだ食べるのか……。そうだな……山下公園とかはここからも近いし良いかもしれん」
「じゃあ、そこ行こ」
忘れずに杏仁ソフトを買うと、俺と茜は山下公園へと歩き出す。山下公園はベイブリッジや港を行き交う船の眺めが面白い公園だ。公園前には『
俺的にはかなり好きなスポットの一つだ。公園だからのんびり出来るし。
「うわっ、すごっ、眺めが綺麗……」
公園に着くと茜が感嘆の声を上げる。良い反応だな。昔は家族でここに来て、俺も同じような反応をしたものだ。
「ここの公園は小さい頃、家族で来た場所なんだよ」
「そうなんだ……」
「おう、思い出の場所とでも言えるのかな。茜と一緒に来られて良かったよ」
「りっくんの思い出の場所に来られたんだね……。私も嬉しいや」
茜が白の帽子を脱いでふわりと笑う。艶やかな黒髪は潮風でサラサラと流れる。先程までの不機嫌そうな顔など、もう見る影もない。目元にも口元にも明るい愛嬌があり、白磁のような肌は陽光に照らされ、美しく輝いている。
ああ、茜の笑った顔だ。茜が里帰りから帰ってから、あまり見られなかった笑顔。この優しく包み込むような笑顔に、俺は何度も救われてきたんだ。
堪らず俺は茜を抱きしめる。人前だし、茜は嫌がるかもしれない。けれども抱きしめずにはいられなかった。茜を感じていたい。
「わっ、ちょっ、律さん!?」
「呼び方、戻ってるぞ」
「そりゃ戻りますよ……」
「口調も戻ってるぞ」
「むぅ……」
十秒ほど抱きしめて、茜を解放する。茜は耳を真っ赤にさせており、こぼれそうな瞳で俺を睨む。全然恐くないし、それどころか更に抱きしめたくなる顔をしている。
「ごめんって、思わず……」
「……良いよ。りっくんが私にベタ惚れってことは分かったから」
「そらそうよ」
「でも、私だって不安になるし、嫉妬もするから……」
「知ってる」
「だから、その……、その証拠が、欲しい……」
「証拠?」
思わず素っ頓狂な声で尋ねてしまった。証拠って何だろうか? 指輪とか婚約届とか? いやー、指輪は高くて買えないしな。
「……キスして」
「まじ!? じゃあ、早速……」
「人前は嫌だからね」
「じゃあ、どこだ? ホテル?」
「アホなの? 絶対その先までするつもりでしょ。遥ちゃん達と旅行に来てること忘れていない?」
本気でホテルに行こうなんて勿論考えていないんだが、茜の反応が見てみたくて、つい言ってしまった。後悔はしていない。年下のカノジョにタメ口で憎まれ口を叩かれるのって……、良いよな……。
俺はSの才能とMの才能を同時に開花させているのかもしれない。
「じゃあ、どこよ?」
「えっと……、か、観覧車とか……」
可愛いな、オイ。どうやらこの子は本気で俺を殺しに来ているらしい。
「じゃあ、行くか。電車で行く方が近いし、電車で行くぞ」
「うん」
そうして、みなとみらい線に乗って五分ほど。駅に到着し、観覧車を目指して歩き出す。今は五時過ぎなので、夕焼けにもなってないが、まあ良いだろう。ムード値とか求める暇は無い。
「二名様ですね。千八百円頂戴いたします」
「二千円で」
「二百円のお返しでございます。行ってらっしゃいませ」
受付を済ませて、ゴンドラへと乗り込む。懐かしいなあ。これも子供の時にたまに乗ってたっけ。
「結構高いとこまで行くんだね」
「全長百メートル超えらしいからな」
「りっくんの家はどこらへんにあるの?」
「こっからじゃ分からんな」
ゆっくりと高度が上がっていく。恐くなってきたな。実は俺、軽く高所恐怖症気味である。足が竦むとかじゃないけど、普通に恐い。
「りっくんどうしたの? 高いところ苦手?」
「ああ、軽くな」
俺の真ん前に座っていた茜は、俺の隣に移動してくる。更には俺の肩に頭を寄せてくる。これが噂の肩ズンって奴か……。破壊力が高い。加えて茜はスルリと指を絡ませてくる。あろうことか指をニギニギしてくる。
「茜さん、攻めが激しいっすね……」
「さっき散々やられたからね」
茜は頭を起こすと、俺をジッと見つめてくる。茜の顔は熱でもあるのか、というほど赤く、瞳は潤んでいた。
こんなものを見せられれば、我慢できるはずが無い。俺はゆっくりと顔を近付け、そして……、茜の唇に自分の唇を重ねた。
瞬間、茜の温かな息が小さく跳ねる。
少し触れただけでは収まらず、繋いでない方の手で茜の後頭部を捕まえる。
俺にとってキスは初めてでは無いはずだ。しかし、茜とのキスは強烈過ぎた。かつての恋人とのキスをきれいさっぱり忘れさせるほどに。
触れ合った唇から、恐ろしいほど甘い、とろけるような何かが脳髄を溶かす。
心臓の鼓動が、うるさい。
きっと今、オキシトシンとかの、幸せホルモンが大量に分泌されていることだろう。だって、こんなに幸せだ。
「……しちゃった、ね……」
「ああ、そう、だな……」
これは間違いなく猛毒だった。狂おしいほど甘く痛い毒が俺を蝕んでいく。当然一度で終わるはずがない。
「りっくん、顔真っ赤だよ。初めてじゃ無い癖に――んっ」
やや強引に茜の唇を塞ぐ。俺が初めてか初めてじゃないかなんてどうでも良いだろう。俺は、間違いなく茜に魅了されてるのだから。この感情の高ぶりは、何度キスをしたって抑えられる気がしない。
そうして、俺と茜はゴンドラが下りきる直前までキスをしていたのだった。
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