第20話 試験勉強①

 翌日俺は茜に勉強を教えていた。勉強を教えているといっても、覚えるべきところ、覚え方を話していくだけだが。


「中国語は一文いちぶんのピンイン、簡体字かんたいじ、日本語訳をセットで覚えろ」


「ええ……。簡体字と日本語訳はともかく、ピンインと簡体字が結びつかないんですけど」


「覚えるしかないんだよ。単位取るだけなら文法は捨てて、教科書の例文を全部覚えりゃいける」


「うう……分かりました」


 ピンインとは中国語の発音表記法のこと。簡体字は中国本土で使用される文字のことで繁体字をいくらか簡略化したものだ。中国語は発音がかなり難しいので、ピンインをまるごと覚えるしかない。俺も昨年はそれで乗り切ったし。


「統計学はどうすれば良いでしょうか?」


「公式と問題の解き方丸暗記しとけ。ほれ過去問」


「べ、ベルヌーイ分布? ってなんですか?」


「茜は確率問題って分かる?」


「分かりません。センター試験の数ⅠAではほぼ壊滅してました」


「あっそう。じゃあ、いいや。丸暗記しろ」


 さてはコイツ授業聞いてないな?俺も人のことはいえんけど。統計学って毎年一限に回ってくるから、起きれないんだよなあ。最初の数回だけ行って後は行かなくなるっていう……。


「丸暗記しか方法はないんですか?」


「ないな。文系は特に」


「まあ、そうですよね……」


「なんでお前は統計学取ったの? 文学部って数学必要無くないか?」


「将来使うかもしれないなーって軽い気持ちで取りました」


「履修しても一年経ったら忘れるけどな」


 大学の勉強はそれが良くないかもしれない。普段なら勉強してる人はともかく、遊びまくってるとテスト前に全暗記して乗り切れてしまう。そしてテストが終わった瞬間全てを忘れてしまうものだ。


「しかも私、Σ(シグマ)記号見ると発作出るんですよ」


「なんだその病気。さっさと治せ」


「無理です。律さんはないんですか? そういう発作」


「理系人間がそんな病気持ってるわけないだろ……」


 数学の記号を見て発作起こすようだったら文転した方が良いと思う。


「律さんは苦手教科ないんですか?」


「英語……」


「英語? 難しいところなんてありましたっけ?」


 自覚無しに煽ってくるなコイツ。文系に数学が苦手な人が多いなら、理系は英語が苦手な人が多い。そもそも数学と英語が出来るような人間は大抵どの科目も人並み以上にできるだろうに。俺には無理。


「取りあえず、お前は中国語どうにかしとけ。第二外国語落とすとヤバいぞ」


「ウッ……、分かりました……」


「そろそろ飯炊けるから俺は夕飯作るわ」


「あ、はい」


 俺は台所へと行き、ニンジンとタマネギ、小松菜を取り出す。今日は鶏飯を炊いているので副菜はあっさりめで良いだろう。ニンジンは千切り、タマネギは繊維にそって薄くスライス、小松菜はザク切りしておく。


 卵は二個割って溶いておく。ニンジンとタマネギはフライパンでしんなりするまで炒めて、みりん、醤油、めんつゆで甘辛めに味付けしたら卵でとじる。小松菜は、ほんだし、みりん、うすくち醤油を水に入れて煮立たせたモノに投入。火が通ったら、油揚げも投入して完成。


 鶏飯もたっぷりあるし、煮浸しも多めに作ったから味噌汁は作んなくても良いだろう。もう面倒くさいし。テーブルを見ると既に完璧に配膳されていた。


「やるなあ、茜。配膳完璧じゃないか」


「律さんのご飯食べるようになってから一ヶ月経ちますもん」


「あれそんなもんだっけ」


 なんかもっと前から一緒にいるもんだと思った。時間の経過って不思議だ。鶏飯は茜がよそってくれていたので、俺はおかずを取り分けて飯だ飯。今日は米を多めに食べるから酒は無し。


「今日は飲まないんですか?」


「知ってるか茜」


「何です?」


「ビールと米を一緒に食べると太るんだよ」


「やっぱり中年じゃないですか」


 結構傷つくんだぞ、そういう言葉。茜の言葉には反応せずに手を合わせる。すると面白いことに茜も手を合わせていた。


「「いただきます」」


 この言葉を茜と一緒に言うのも何十回と繰り返された事だが、全然飽きることがないのがどうにも面白い。一人で言うよりは二人で言う方が断然気持ちが良い。


「美味しいです律さん」


「あたぼうよ」


「それ死語ですよ?」


「えっ?」


「言語文化の授業でプリント配られたんですよ。死語一覧みたいな」


「お前余計なこと覚えんなよ、勉強しろ勉強」


「酷い!」


 前もピチピチって言って、突っ込まれたがどうやら俺は死語が多いらしい。どうして一歳しか変わらないのに、こうもジェネレーションギャップみたいなものが生まれるのだろうか……。普通は五歳ぐらい離れてるときに使われるものじゃないのか?


「そんで茜、他にヤバい授業は?」


「あー、一つ鬼単おにたんがあるんですよね……」


「なんて授業?」


文化人類構想学ぶんかじんるいこうそうがくっていうのです。過去問が存在しない上に激ムズらしくて……」


「サークルに文学部の人居るから聞いとくわ」


「助かります。私のサークル文学部の人が何故かいなくて……」


「以外にそういうことあるよなあ」


 分かる分かる。俺のバレーボールサークルもなんでか知らんけど工学部材料学科の人いないし。建築学科の人は三人居るのに。


「あれ茜、学部の友達とかは?」


「仲良い子が三人ぐらいで、その子たちも知っている先輩がいないみたいで……」


「その三人ってこの前の合コンに居た人?」


「いえ全然。その人たちとは世間話ぐらいしかしないですよ」


「なんで合コン行ったんだ?」


「しつこく頼まれた上に奢るとまで言われたので」


「なんか面倒くさそうだな」


「ええ、本当に面倒くさいです」


 若干冷気の伴った声で茜が答える。その瞳に光はなく、口角は下がっている。愛想の良いいつもの表情とは真反対な表情だった。なんか地雷踏んだかな……?


「ところで律さん」


「な、何だよ」


 茜はすぐにいつもの表情に戻った。あまりの表情の変化に一瞬ビビる。さっきの顔は俺の見間違いだったのだろうか。もちろんそんなことは分かるわけが無い。


「サークルにいる文学部の人って女子ですか?」


「女子だよ。どうした?」


「いえ、何でも。少し気になりまして」


「そうか?」


「その方とは仲が良いんですか?」


「普通」


「普通とは何でしょうか? 例えば二人で出掛けたりとか……」


「あるわけ無いだろ。俺二ヶ月前までカノジョいたんだぞ」


 一体どうしたんだか。急にグイグイ聞いてくるな。そんなに女を引っかけ回すような趣味はない。そもそも俺が今一番仲の良い女子って茜だし。


「その方のお名前は?」


森鈴音もりすずね……」


「律さんはその方を鈴音って呼んでいるんですか?」


「そりゃサークル一緒だし……」


「ふぅん、なるほど分かりました」


「何が分かったんだよ……」


「何でも無いですよ」


「そうですか……」


 茜の質問攻めがやっと終わる。なんなんだ今のは……。質問攻めっていうかもはや尋問だろ。俺は一ヶ月間ほぼ毎日お前と一緒に居るんだぞ……。他の女子と仲良くなるわけないだろう。察してくれ。


「茜も意外に鈍感だよなあ」


「は? それ律さんだけには言われたくないんですけど」


「いや確かに俺は鈍いけれども」


「ほらやっぱりそうじゃないですか」


「でも茜も普通に鈍い気がするぞ」


「はーそうですか、そうですか」


 何だ?茜の語調がいきなり強くなった。更には眉間にはシワがより、こちらを見ている。見ているというか、睨んでいるというか……。またなんか地雷を踏んでしまったらしい……。どうすれば良いんでしょうか。


「ご飯美味しかったです、ご馳走様でしたっ! 私眠いので帰りますっ!」


「お、おう。お粗末様……」


「じゃあ、さようなら!」


 茜は律儀に食器を流し台に下げて帰って行った。怒ってそうだったが、そこはちゃんとしてるのね。俺は褒めればいいんだか、困ればいいんだか。感情のやり場に困るわあ。


 今日はどうしてか茜の地雷を二つほど踏み抜いてしまったらしい。一つはイライラしていただけにしても、もう一つは……? 茜の冷たい声は初めて聞いた気がする。思えば俺は茜の過去についてあんまり聞いたことがない。


 茜の過去がどうだったかなんて知らないし、分かるわけもない。けど、いつかは知ることができるのだろうか……。その時までこの関係は続けられるのだろうか……。


 

 


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