第8話 物語は始まる
『ジリリリリリリィ!』
八時にセットしておいた爆音目覚ましに起こされて目が覚めた。めっちゃうるさいけど、やっぱりこれなら起きられるな。朝が弱い俺にはちょうど良い。シャッとカーテンを開けると、珍しく今日は晴れていた。洗濯物日和だ。
ベッドから下りると、人を踏みそうになった。あーそういえばそうだった。昨日酔っ払って寝てしまった茜さんを布団に寝かせておいたんだ。流石に俺のベッドに寝かせて、寝ゲロでもやらかされたらたまったもんじゃないので布団を敷いた。
茜さんは爆音目覚ましが鳴ったにも関わらず起きる気配がない。よっぽど眠りが深いのだろうか。今日は二限からみたいだし、まだ二時間以上時間がある。もう少し寝かせておこう。
顔を洗った後、冷凍庫から砂抜きして冷凍しておいたシジミを取り出す。そう、今からシジミの味噌汁を作る。朝はパン派の俺だが、飲んだ後の味噌汁だけは譲れない。前々からやりたくて、シジミを買っておいたのだ。
水四百ccを鍋に入れ、火にかける。その間に長ネギ五センチ分ぐらいを小口切り。鍋のお湯が沸騰したら、シジミを投入。シジミの口が開いたら顆粒和風だしをいれ、味噌を溶かす。味噌の量は適当。長ネギを入れてちょっと火を通したら完成。
うーん良い匂いだなーと香りを堪能していたら、茜さんが匂いに釣られて起きてきた。クッキーを作った時も思ったけどこの子は動物かなんかなのだろうか。
「おはよう、茜さん」
「おはようございます……」
「味噌汁作ったんだよ。飲むでしょ?」
「ありがとうございます……。いただきます……」
まだ寝ぼけているのだろうか、若干言葉の呂律が回ってない。なんか可愛いな。いつもは聞き取りやすい声で結構ハキハキ話すから。俺は味噌汁をお椀につぎ分けて後、茜さんを椅子に座らせる。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます……。あ゛ー……。頭痛い……」
「そりゃあれだけ飲めばそうなるでしょ」
「いやー、やらかしました……。布団もありがとうございます……」
「吐いていないだけ上出来上出来」
「いただきます」
茜さんはそう言うと味噌汁に口をつけた。美味しく出来ているだろうか?気になって俺も味噌汁を飲む。
「んーっ! 美味しい! シジミの出汁がすごいです! なんか一気に意識がハッキリしました。超美味しいです」
「それは良かった。二日酔いの時の味噌汁は格別美味いんだよ。あ、殻はこの皿にいれてね」
「ありがとうございます。なんか身をほじるのも楽しいですよね」
「それも一つの醍醐味なんじゃない?」
茜さんは器用にも箸で身をとって食べていた。俺は面倒くさいので、左手で貝をもって歯でこそげ取る。正直言って、貝の身自体はそこまで好きでも無いけれど、貝のだしは別。貝のだしはめっちゃ好き。
「ごちそうさまでした! あの、わざわざありがとうございます……。センパイ今日全休なのに……」
「いや、十時からバイトあるんだよ。気にしないで」
「何のバイトですか?」
「カフェ。仙台駅の店で働いてるよ」
「多すぎて分からないですよ。厨房ですか?」
「もちろん」
「何時に終わるんですか?」
「午後四時かな。帰ってくるのは四時半前とか」
どうしてそんなことを聞かれるのだろうか。ただの興味本位?それとも別の理由があるのだろうか。俺がそんなことに頭を巡らせていると、茜さんはどこか決心したように俺の目を真っ直ぐに見てきた。
「お話したいことがあるので、五時頃にお家に伺ってもいいですか?」
「え? あ、ああ……。良いけどどうしたの改まって」
「秘密です」
そう言うと、茜さんはニッコリと笑った。どこか他人行儀というか、これ以上踏み込ませないというか。その表情からは何も読み取れない。
「分かった。じゃあその時間に呼び鈴鳴らしてくれ」
「はい。私は身支度をしに家に帰りますね。色々ご迷惑お掛けしてすみません」
「いや、お互い様だから。俺も前迷惑かけたし」
茜さんはちょっとホッとしたような顔を浮かべると、お邪魔しましたと言って帰っていった。話とは……、なんだろうか。まさか告白される訳でもないだろう。俺たちは知り合って間もなく、一緒にご飯を食べた程度。少しハプニングはあったかもしれないが、ただそれだけだ。何より茜さんが照れている様子が一切無い。
分からないことをウダウダ考えても仕方がない。俺のモットーは考えすぎないことだ。考えて解決することなんて、ほんの一握りだから。俺にはどうしようもないことも起こるし、実際に起こった。そう割り切って、バイトに行く支度を始めた。
* * * *
バイトを終わらせた後、俺は家でフレンチトーストを作っていた。というのも、食パンが半端に余っていたのが気になったからだ。茜さんは五時に訪ねてくるみたいだからちょうど良い。
食パン二枚を四分割して、卵、牛乳、砂糖を混ぜた液体につけ込む。火にかけたフライパンにバター落とし、つけ込んだパンを焼いていく。焼き目がついたら完成。冷凍のブルーベリーが微量あったのでブルーベリーソースにしてしまおう。
作り終わったタイミングで呼び鈴が鳴る。ジャスト五時。おそらく茜さんだろう。ドアを開けると、やはり茜さんが立っていた。
ボーダーシャツにハイウエストのワイドパンツを履いていた。今日もオシャレだなあ。素材がいいのでシンプルな服装がよく似合う。
「どうも、こんにちはセンパイ」
「こんにちは、どうぞ入って」
「また良い匂いしますね」
「フレンチトーストとブルーベリーソース作った」
「本当に女子力高いですねえ」
「茜さんの女子力が低すぎるだけだと思う」
「私も低いですけど、センパイが高すぎるんですよ。あ、オレンジジュース買ってきたのでどうぞ」
「え、わざわざありがとう」
折角だし今飲むか。俺はグラスを二つ出し、紙パックの口を開けて注ぐ。
「で、話なんですけどね」
「うん、どんな話?」
心なしか茜さんの表情が硬い。何か考え事をしているのだろうか、目は伏せられて俺と目が合うことはない。
「あの、私にご飯を作ってくれませんか?」
「え、いいけど」
「毎日です。食費は出すので……」
「ダメだね」
「……そうですか……」
「食費は一対一で俺が出す」
「え、良いんですか?」
年下の後輩に食費を全部出して貰うのは流石にダメだろう。俺がヒモになってしまう。主夫になりたいとは思ってもヒモには絶対になりたくない。
「だから、食費を一対一で出し合うならいいよ」
「でも、それはダメです。せめて私とセンパイで三対一が妥当です」
「嫌だ。一対一が条件だ」
「ダメです。三対一です」
「それはダメだ」
「譲りません」
「じゃあ、妥協案だ。俺と茜さんで二対三にしてくれ」
「ダメですよ」
「いや、それだと俺がヒモになってしまう」
「じゃあ、こうしましょう。センパイは私を甘やかして下さい」
は?思いも寄らない茜さんの言葉に思わず口が半開きになる。甘やかすって……。しかし、茜さんの顔はいたって真面目。まだ酔っ払っているのだろうか。
「甘やかすってどういうことだ?」
「言葉の通りです。私の為に料理を作って下さい。掃除をして下さい」
「いや、それはいいけども」
「私がやれって言ったら、膝枕で耳掃除をして下さい」
「ええぇ……? まだ酔っ払ってる? てかそれ俺へのご褒美になってない?」
「残念ながら
ご飯を作ってくれっていう話はまあ分かる。自分で言うのは恥ずかしいが、俺の料理の虜になったのかもしれん。それに、誰かと食べるご飯おいしい。茜さんの顔は本気だった。なにが彼女をそこまでさせるのか。彼女は絶対に譲らないだろう。
「……分かったよ。腑に落ちないけどね」
「じゃあ、まず一つお願いがあります」
早速ですか。早いなオイ。茜さんは一度言葉を区切ると、少し伏し目がちになる。
「律さんって呼んで良いですか?」
「そんなこと?」
「そうです」
相合い傘をしても照れなかった彼女の顔は、ほんのり赤かった。やっぱり読めない。相合い傘だったり、男の部屋で一晩過ごす方が恥ずかしいだろうに。
「いいよ。好きに呼んで」
「あと、律さん。もっとフランクな話し方して下さい」
「え?」
「お友達と話している時とか、酔っ払っている時はもっとフランクじゃないですか」
「分かった」
「あと茜って呼んで下さい。呼び捨てで」
「分かったよ」
「あと律さんにフレンチトースト食べさせて貰おうとも思ったんですけど」
「は?」
「今日は止めておきます」
そうして茜さん、いや茜はいただきますと言った後フレンチトーストを口に運ぶ。次の瞬間、目を輝かせて無我夢中で頬張っていた。本当に美味しそうに食べるな。
俺もフレンチトーストを一切れ、口に放り込み咀嚼する。砂糖の量は間違っていないはずなのに、作ったフレンチトーストは無性に甘かった。
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