第5話 お詫びといえば
日曜日、午後四時。俺は
今すぐ謝りに行くべきだろうか。そうだ、折角なら菓子折……ではないけれども、クッキーかなんか作っていこう。そうこれは謝罪のため。今すぐ謝りに行くことが嫌だとかそういんじゃあない。
冷蔵庫に材料はあるので、買いに行く必要は無い。さあ、作ろう。
無塩バター無いので、有塩バターで作るか。若干塩がきいていい塩梅になるはずだろう。クッキーは難しそうで実はかなり簡単なんだよな。
薄力粉百グラムと砂糖三十グラムをビニール袋に入れて混ぜる。この時空気を含ませて口を縛って振ると均一に混ざる。次にレンジで柔らかくした有塩バターを入れて袋の上からこねる。始めはポロポロになるが、ギュギュッと手で押さえると良い感じにまとまる。
あとはオーブンを予熱している間に、生地を薄くのばして、型を取ったら八割終了。後は百七十度に予熱しておいたオーブンに入れ十九分焼いたら完成。ね? 簡単でしょ?
焼いている間にシャツとハンカチにアイロンをかけていると、ふわ~んと甘い香りが漂ってきた。そういえば、俺一人暮らしをしてからお菓子をほぼ作っていなかったなと思い出す。冷やし固めるだけのレアチーズケーキとかは去年の夏に作ったが、オーブンを使ったお菓子は全く作っていなかった。
懐かしい。無性にそう思った。実家に居たときはむしろ、よく作っていた。小さい頃はお袋と一緒に作ったものだ。けれども……、実家は売却され親父とお袋は離婚。悲しいわけが無い。家族が消えたわけではないが、帰る場所を失ったのも事実。
俺の今の悲しみを表す言葉はなんだろうか。
「センパイ、こんにちは」
「え?
チェックシャツと黒のフレアスカートというモノトーンの服装だ。靴は白のスニーカーで全体のバランスがいい。素直にオシャレだなあと思う。
「そうですよ、どうかしました?」
「いや、どうしたもこうしたも――」
言い切る前にオーブンが俺の言葉を遮る。どうやら、クッキー焼けたみたいだ。
「何の音ですか? ていうか、すごい良い匂いしますよね?お菓子の匂い?」
「クッキー焼いたんだよ。良ければ食べて行く?」
「え、いいんですかマジですか? やったー!」
茜さんはバンザイをしていた。顔もすごい笑顔で可愛い。天真爛漫という言葉がピッタリくる子だ。家に招き入れると、彼女は丁寧にもちゃんと靴を揃えていた。昨日も揃えていたし礼儀正しい子なんだろう。家事が出来ないのが気になるが。
「茜さん何飲む? 紅茶と牛乳ならあるよ。インスタントで良ければコーヒーも」
「紅茶でお願いします」
まず、お湯を多めに沸かす。沸いたらポットにお湯を注ぎポットを温めておく。温まったら、お湯を捨ててティースプーン二杯の茶葉を入れ、完全に沸騰したお湯を勢いよく注ぐ。そしたら蒸らす。これは細かい茶葉だから三分ぐらいでいいだろう。
「あの、センパイ。聞いていいですか?」
「何?」
「なんで、一人暮らしの男性の部屋に紅茶淹れる道具が一式揃ってるんですか?」
「あーそれ聞いちゃう?」
「言いたくないなら別に大丈夫です」
「元カノが俺の大学の合格祝いに買ってくれたんだよ。茶葉は実家からパクってきた」
「元カノさん、……希美さんでしたっけ? センパイが料理上手な事知っていたんですか?」
「知っていたも何もこの家に良く食べに来てたよ、月一ぐらいで」
三分経ったので、茶漉しで茶殻をこしながら均一の濃さになるようにカップに注いでおく。言うまでも無くカップも二つ。テーブルに焼けたクッキーとティーカップを置いてやる。
「神奈川と仙台って近いんですか?」
「まあまあ。新幹線で二時間ぐらい。あ、そうだ」
「何でしょうか?」
「昨日ごめんね。折角スプレー届けてくれたのに……、酷いこと言って」
「そうですよ、センパイ。私傷つきました」
「ウッ、ごめんなさい」
「冗談ですけどね」
ん? 今冗談って言った? 傷ついてないってことだろうか。
「どういうこと?」
「センパイが私にああ言ったのって私に対してではないでしょう?」
「そうだけど……。なんで分かったの?」
「分かりますよ。センパイの部屋に二人ほど訪問していましたよね」
「よく分かったね。聞こえていた?」
「廊下で話すと結構響きますもん」
「じゃあ、俺がピンポンしたときは」
「いえ、その時は普通にショックだったんですけど。考えてみると」
「うん」
「私に言った言葉ではないなあと。だから、もう一回でも鳴らしてくれれば普通に対応したんですけどね」
なるほどな。あの悲しげな表情は別に演技では無いと言うことか。それにしても、安心したな。誤解が解けたのはもちろんだったが、揶揄われていただけだとしたら、俺は更に女性不信になることだろう。
「とにかく良かった。誤解が無かったみたいで」
「はい。それで、センパイ聞きたいんですけど」
「ん? 何?」
「このクッキーって」
「ああ、お詫びがてらに作ったんだけど……。必要無かったね」
「フッ、ふふふ……。お詫びにクッキーって……」
茜さんは口元を押さえて、堪えきれないといった様子で笑い出す。ええ?お詫びにクッキーって定番じゃねえの?
「え? なんか可笑しい?」
「いえ、男の人がわざわざお菓子作って、お詫びするのってなんか面白くて……」
「そんなに面白い?」
「いや、面白いですよ。爽やかスポーツマンみたいな見た目しておいて、そんな家庭的だなんて……」
「いや男子もお菓子ぐらい作るでしょ?」
「作らないですよ」
「マジ? 俺お袋に小さい頃から、男は家事をするものって」
「それお母さんの嘘ですよ」
えええぇぇ……。あのクソお袋俺にずっと嘘言ってたのか。母親はお菓子作ったりはしてたけど、基本親父が家事やってたから一切疑って無かった。小学五年ぐらいの頃から俺が家事やるようになったしな……。
「センパイは小さい頃から料理されてたんですか?」
「うん、昔から。本格的にやるようになってから十年ぐらい経つかな」
「そんなに昔から!?」
「普通だと思ってたんだが……、どうやら違うみたいだね」
「お弁当とかも作ってたんですか?」
「作ってたっていうか、今も作っているし。節約で」
「フフフッ、本当お母さんみたいですね、オカンっていうか」
茜さんはまた面白そうに笑う。嫌な笑い方ではなく、優しくこちらを包むような笑い方。慈愛を感じるとも言うのだろうか。不思議と嫌な気はしない。
「話変わるけどね」
「何でしょう?」
「茜さん今日オシャレしてるけど、どこか行くんじゃないの?」
「ああ、そうでしたそうでした。映画サークルの友達と映画見に行くんですよ」
「へえ、何の映画?」
「ホラーです。今上映してる」
「ああ、あれかー。時間大丈夫?」
すでに俺の部屋に二十分ほど滞在している。待ち合わせギリギリならば間に合わないかもしれない。少し心配になって俺は言う。
「大丈夫ですよ、そこは抜かりないです」
「そっか」
「まあもうすぐ時間なので行きますね。クッキー、サクサクでバター効いてて美味しかったです。店のものと遜色ないぐらい」
「ありがとう。じゃあね」
「ええ、また。お邪魔しました」
パタリとドアを閉めて出て行く。突然の訪問に驚いたが、誤解も解けていたみたいだし良かった良かった。しかし、茜さんは俺の家に居る時間を計算に入れていたのだろうか。分からない。彼女の真意が。
分からないものは考えても仕方が無い。俺はそう結論付けて彼女のティーカップを下げるのだった。
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