第3話うたえないふたり
「
卒業式を一月後に控えた二月のある日。マンションのエレベーターの中で
まだ考え中、と答えて、入学したら合唱部に入って将斗を驚かしてやろう。拓也はそう考えていた。
「俺は」
と拓也が答える前に将斗が口を開いた。
「引っ越すことになった。」
お父さんの転勤で。ここからだと新幹線で三時間くらいかな。高速バスだと五、六時間。俺がかわいそうだからって、わざわざ合唱が強い所の学区内に家借りるんだってさ。
ぽつぽつと将斗の声がエレベーターの籠の中に落ちていく。
「拓也はサッカーでしょ?応援してるから。」
エレベーターは無機質な音で拓也の住むフロアに到着したことを告げた。
将斗の一家はそのあとの連休に引っ越し先へ赴き、入学先の中学校への挨拶や制服の採寸などを済ませた、と拓也は母伝いに聞いた。将斗くん家は引っ越し慣れしてるからね、と母はつぶやいた。
「寂しくなるわぁ、中学校も将斗くんと行けると思ってたから。」
「えぇ。私も単身赴任になると思ってたのに、うちの旦那がどうしてもって言って。転勤族の宿命ね。」
母親同士がそんな会話をしていたのを、拓也もぼんやりと聞いていた。
合唱部に入りたいことを将斗に伝えるチャンスを逃したまま卒業式を迎えた。「記念に二人の写真撮りましょうよ」と母親たちが門の前で拓也と将斗の写真を撮った。
その二週間後に将斗は引っ越して行った。落ち着いたら手紙書くよ、と言って、笑って。
中の手紙まで破いてしまわないように、将斗からの手紙の封を慎重に開ける。便箋を開いて『拓也へ』という文字を見ただけで目がうるんでしまう。
そこには、引っ越し先での生活に慣れてきたということ、前からの希望通り合唱部に入ったこと、顧問の先生は練習ではとても厳しいが練習以外のときは面白くて優しい先生だということが綴られている。そして、小学校のとある同級生から拓也が合唱部に入ったと聞いたこと、そのきっかけを訊きたいということが短く続いていた。
「あいつか……。」
手紙に登場した、同じ小学校出身の同級生を思い浮かべる。お調子者で、どこか憎めないヤツ、と形容されるタイプだ。同じクラスに合唱部に入った別の小学校出身の女子がいたから、そのへん将斗に面白可笑しく伝えてないといいけど、と拓也はため息をつく。
拓也は便箋を丁寧に封筒にしまう。よし、今日の夜、将斗に電話しよう、と決めながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます