第2話歌おう、将斗

拓也たくや将斗まさとくんから手紙が届いてるわよ。」

 部活のない完全下校日の金曜日。学校から帰ってきた拓也に、パートに出かける支度をしていた母が言った。

「メールでも出来れば、もっと速くやりとりできるのにね。」

「だからスマホ買ってって言ってるじゃん。」

拓也がそう言うと、「あら、今だからこそ文通の良さがあるんじゃない。」と笑い、ちゃんと勉強して待ってなさいよ、と出かけて行った。

「せめて自分用のパソコンでも持ってればなぁ。」

 そうぼやいて拓也は自分の机の上に手紙を置くと、ようやく結び慣れてきた制服のネクタイを緩めた。



 将斗は拓也の住むマンションの部屋の、一つ上の階に住んでいた。彼の一家はちょうど小学校の入学式の一週間前に引っ越して来て、同い年の男の子がいると知ってすぐに拓也の家に挨拶に来た。将斗はずっと母親の後ろに隠れていた。

 小学一年の頃、拓也が所属していた地元のサッカーチームの体験に誘ったものの、まるでメニューについて行けず、帰り道で泣きべそをかいていた。ピアノ教室の体験も、やはりべそをかいて帰ってきたらしい。引っ越して来たばかりの『弱虫まさと』がいばりん坊から目を付けられないように、一年間気を張ったものだった。

 それが、二年生になって市民センターを練習場所とする児童合唱団に入って、少し変わった。入団は将斗の母親の薦めらしい。「おいでよ」や「楽しいよ」という言葉。表情が少しずつ解けていく。拓也が守らなければいけない弱虫は、いつの間にかいなくなっていた。

「拓也も合唱団入ってみる?……でも、それなら塾を考えた方が良いのかしら。忙しいのはサッカーだけで十分よね、そのためにピアノもやめたんだし。」

 そんなに合唱って楽しいのかな。拓也がそう思い始めた頃、母はそう言った。

「そうだよね、将斗は勉強できるから。」

まあサッカー楽しいし、好きだし、いいや。拓也はそう思った。

 そうしているうちに小学六年になり、声変わりが始まった。授業で当てられるのが嫌で、ずっとマスクを着けていた。ある日、そんな拓也に、将斗は合唱団の発表会での譜めくりを頼んだ。将斗のことだから『歌って』って言うのかと思った、と拓也が言うと、「なわけないじゃん、マスクしてるのにさぁ」と将斗は笑った。

 発表会で、将斗はとある曲でソロを務めた。よく通る綺麗な声で。横顔は凛として、その目は自信で満ちていた。いつも教室で見る将斗の姿とはまるで違っていた。観客が『安心して』聞き入っているのがわかる。絶対に失敗しないことを知っているのだ。

 拓也はこのとき決心した。中学生になったら合唱部に入ろう、と。この児童合唱団の卒業は小学校卒業と同じタイミングだから、きっと将斗も入るだろう。こんなに美しく歌える、歌うことを心から楽しんでいる友達と、同じ歌を歌える。拓也はそう信じて疑わなかった。—将斗の父親の転勤が決まるその日までは。

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