オーバーライド

 上昇するにつれて森の向こうに硝煙と土煙の混じったもやが見えてきた。頭上の雲がところどころ不自然に途切れている。弾道そのものは見えないが、砲弾がかなりの放物線を描いて飛んでいるのは理解できた。

 流れ弾に当たるのはゴメンだ。弾道の真下は危ない。アウロラはミラーの首を叩いて少し右に旋回させた。


 ほぼ真後ろで聞こえていた着弾音がずっと左に移った。距離も遠くなる。

 ねぐらは大丈夫か?

 そう思って振り返った時、アウロラは信じがたいものを見た。

 ジオ・フォールターだ。

 今までは頭の上に乗ってばかりだったが、遠くから見るとまた一段と迫力のある巨大さだった。4本脚の1本1本が大樹より太く、頭の高さは雲に突き刺さりかねないほどだった。

 不思議だ。まだ遠いのにまるで目の前にいるかのような感じがする。


 臼砲の斉射音が雷のように響き、また雲が打ち払われる。

 フォールターの背中で何かが光った――と思った次の瞬間、その点からオレンジ色の爆発が広がった。

 立て続けに6発、フォールターの首や背中に臼砲の榴弾が命中して爆発、巨大な体を黒煙で覆い尽くす。

 決して臼砲の狙いが正確なわけではない。外れる弾もある。単に的としてフォールターの体が大きすぎるのだ。

 煙の塊そのものがぐわんと揺れ、フォールターが煙を吹き払うように姿を現す。臼砲陣地に向かって突進を始める。

 まるで効いていない。


 アウロラは我に返った。

 なぜフォールターが現れた?

 近場に着弾したことに耐えかねてエイミーが変身したのか?

 ……いや、あの冷静な生き物がオーバーライドなしで変身する愚を犯したとは思えない。

 あるいはサーシャがオーバーライドを使ったのか?

 わからない。

 とにかく、確かめなければ。

 オーバーライドをかけてみればわかる。

 すでに暴れているフォールターを相手にやれるものかわからないが、やってみるしかない。


 アウロラはインビジブルを解き、ミラーの首を叩いてフォールターの進路上に向かわせた。

 体の上の爆発は断続的に続いている。フォールターに合わせて着弾点も移動している。

 軍もフォールターの姿に気づいて狙いをつけているのだろう。

 だがフォールターの歩みは緩む気配もない。むしろようやく勢いが乗って加速してきているような感じすらある。

 一歩一歩がとてつもなく大きい。並みの龍の飛行より速いのではないか?

 ミラーもそれを察したのかもしれない。ちょっと振り返ってアイコンタクトをとる。

 アウロラは頷きを返した。

 ミラーはフォールターの頭の高さまで降下、真正面からすれ違うコースに入った。頭を寝かせて上から臼砲が降ってこないか警戒している。


 アウロラは腕を突き出してオーバーライドを構える。

 近づけば近づくほど効力は高まる。引きつけてから発動したい。

 狙いを定める。

 黒煙を引きながらフォールターの頭が近づいてくる。

 これ以上待つと先にすれ違ってしまう。

 今だ。

「オーバーライド!」

 アウロラは渾身の力で右手の拳を握った。


 が、弾かれた感触。

 いつもなら龍の体内に指先が沈み込んでいくような感触がある。それがない。

 代わりに感じたのは強い「怒り」だった。

 ひどく興奮している龍がオーバーライドを受けつけないことがあるのは知っていた。体が情動に駆られていて制御を割り込ませる隙間がないのだ。

 それに加えてフォールターの制御はもともと飛び抜けて難しかった。


 ミラーは翼を畳んで身を翻し、フォールターの頭との衝突をぎりぎりで回避する。

 そこにまた臼砲の斉射が降りかかり、爆風が背後から襲いかかった。

 ミラーは爆発から身を守るためにフォールターの腹の下に潜り込み、後ろ脚の股下をくぐって尻尾を頭上に見ながら後方へ飛び抜けた。

 すぐに鋭く旋回して引き返す。が、フォールターの突進が速すぎてまるで追いつけない。


「アウロラ!」

 どこからかサーシャの声が聞こえた。

 どこだ?

 真後ろか。

 先程の軽装のままでミラーに跨がっている。

 ミラー……ミラー?

 アウロラは二度見した。

「こいつはエイミーだ」サーシャが言った。「セラがあのフォールターに化けてる。化ける危険さを知らなかったんだ」

「なぜ止めなかったの?」

「何も言わなかったんだ」

「オーバーライドは」

「オーバーライド? そんなの、使えるわけない」

「なんで、それでも魔術師?」

「オーバーライドなんて奇っ怪な魔術、龍研でも使えるのは1人か2人だ。それも使える・・・だけで、意のままに操れるなんてレベルじゃない。お前は特別なんだ」

……特別?

「人間と一緒にするな」アウロラは言い返した。

「だから、お願いするよ。セラを助けてくれ」サーシャはまるで聞いていない。

 なぜサーシャの頼みなど聞かなければならないのか。

 でもセラを助けたいのは同じだ。

 アウロラは自分の胸の中で何か感情がふつふつとうずくのを感じた。

「セラはあなたの持ち物じゃない。私はただ龍の救いの声に耳を傾ける。――行こう。セラを追いかける」

 アウロラは最後あえて声に出してミラーに呼びかけた。

 私は私の原理で動く。それは決して人間や狩人に対する反発ではない。


 フォールターの歩みは一見のっそりしているが、それは1歩が巨大だからであって、その実、体はとてつもないスピードで前進している。

 真後ろから距離を詰めるのは至難だった。だがフォールターはまっすぐに臼砲陣地へ向かっている。陣地にたどり着けば立ち止まるのではないか。

 ミラーはフォールターが森を踏み倒した

てできた巨大な轍の上を飛んだ。人間が築いたどんな広い街道よりも太く長く平坦な道だろう。

 陣地に近づくにつれて臼砲の着弾精度も高まる。顔面に爆発が集中し、すっぽ抜けた弾が轍の中に点々と落ちる。

 軍はもうほとんどフォールターを囲むようにして攻撃しているのだろうが、遠すぎて大砲以外の火器は視認できない。


 やがてぱたりと砲撃音が止んだ。

「何……?」

「砲兵ががビビって逃げ出したんだ」とサーシャ。エイミーはすぐ後ろに追随していた。同じミラーなのだから飛ぶ速さも同じだ。

 陣地に到達したのだろう、フォールターが後ろ足2本で立ち上がり、前足の強烈な踏みつけを打ち下ろす。

 まずその衝撃波で森の木々が根こそぎになりそうなほど煽られ、ミラーも一瞬姿勢を崩した。

 次いでフォールターの足の下で炸薬か何かが爆発し、地面と足の隙間から吹き出した煙が衝撃波に乗って波紋状に森を撫でた。

 フォールターはまた立ち上がり、次の臼砲を踏み潰す。


 フォールターが立ち止まったことでぐんぐん距離が縮まり、陣地の惨状も見えてきた。

 臼砲の爆発はむしろ軍の方に損害を与えていた。黒く焼け焦げた地面の周りに気絶した人間たちが転がっていた。生きているのか死んでいるのかよくわからない。

 臼砲は全部で約20基。その1/3はすでに潰されているが、分散配置のせいでフォールターの足でも1基ずつしか踏み潰せない。時間的猶予があるのは幸いだ。


「セラ!」

 サーシャとエイミーはフォールターの首にまとわりつくように飛びながら呼びかけている。

 が、まるで反応がない。少し首をしならせれば簡単に叩き落される位置だ。危ない。

 兵士たちはミラーの姿に気づいて逃げながらも銃を撃ってきた。フォールターなら無傷でも、ミラーは違う。パニックになっているのはわかるが、厄介だ。

「サーシャ、銃を黙らせて」アウロラは叫んだ。

「頼む!」サーシャも応える。

 エイミーは大きな旋回に移った。急降下だとか低空飛行だとか、攻撃的な機動はオーバーライドなしではできないのだ。

 だがサーシャは杖を構え、火線の魔術で兵士たちの銃(たまに腕)を正確に射抜いていく。大したものだ。


 アウロラはミラーの鱗の棘を引っ張って上昇を促した。

 真っ黒に煤けた頭の一点で無傷の青白い目が爛々らんらんと輝いている。頭の鱗は巨体を地下に潜り込ませるためのドリルのようなものだ。臼砲の炸裂程度では瞼さえ貫けない。

 どうする? さっきよりも強くオーバーライドを効かせるためには頭に張り付く他ない。

 だが、至近距離で飛び回れば頭突きが飛んでくるだろうし、飛び移るにしてもフォールターの頭には手がかりがない。少し動いただけで振り落とされるのは目に見えている。

 手がかりが必要だ。

 手がかり……。

 アウロラは自分の首にかけたランスに目を落とした。


 ミラーはフォールターの頭の高さの2倍ほどの高度まで上昇した。

 ほぼ真上を向いたミラーの背中からアウロラは背面で飛び降りる。

「ディレゾリューション」

 ランスをもとの大きさに戻し、真下に突き出す。頭から爪先までまっすぐに伸び、空気抵抗を最小に。重力任せに加速。

 気づいたフォールターが顔を横にして上を見る。

 そう、その目だ。

 アウロラはトリガーを引いてランスの火薬に点火する。

 さらに加速、両手で柄を握り落下位置を調整。

 フォールターは反射で瞼を閉じ始めるが、頭を動かす猶予まではない。

 アウロラは目頭を狙ってランスを突き立て、押し込む。落下の勢いが両手にかかり、ランスの笠に脇腹を打ちつけた。


 フォールターが痛みに暴れる。深く刺さったランスこそ抜けはしないが、猛烈に揺さぶられる。

 まず腰が浮き、簡単に爪先が離れ、その勢いで右手が柄の上を滑った。

 左手が残ったが、フォールターが頭を振ったせいで体が回され、ランスに当たって肘が逆の方へ曲がった。

 明らかに骨の折れる音が体の中を伝って聞こえてきた。

 当然力が入らない。

 体がフォールターの額に打ち付けられた一瞬でランスに脚を絡めてしがみつく。

 着地の衝撃で内臓が傷ついたのだろうか、吐血の感触と左腕の痛みが同時に襲いかかってくる。

 でも、今はまだそんなことに気を取られてはだめだ。


 アウロラは思わず瞑っていた目を開いた。

 フォールターの巨大な目が自分を見つめていた。水晶のような、洞穴のような、不思議な質感。

 その奥にはまだきちんとセラの意識が残っているのだろうか。

 それともフォールターの野性に呑み込まれてしまったのだろうか。

 アウロラは両脚でランスをしっかりと挟み込み、右手を前に出した。

 手を広げ、フォールターの瞳の中をまっすぐ見つめる。

「オーバーライド」

 アウロラは確かな発音で唱え、拳を握った。

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