ミラーマッチ

 ジオ・フォールターを見た現場からアウロラのねぐらまではイストリア・メタモーフの足で10分強だった。メタモーフの体はこういった樹林帯の起伏のある地面を駆け抜けるのに適している。ちょうどサーシャも軽装なので背中に乗せてもさほど負担にならなかった。セラはメタモーフ本来の姿で活動するのは久しぶりだった。

 とにかく急いで走った。アウロラたちがミラーで飛び回っている間に先回りして待ち伏せするためだ。結果、その目論見もくろみは成功だった。


「龍研の外にいる間、あなたが私を守る。そういう約束をしていたわね。そのためにここまで来てくれたんでしょう?」エイミーは言った。サーシャに杖を突き立てられたままだ。

「それがどうしたの?」

「先に伝えられなかったのは申し訳ないけど、その約束はここまででいいわ」

「?」

「アウロラのオーバーライドがあれば私は自分の力で自分の身を守ることができる。多くの物事を知るにあたって狩人に同行するより不都合が少ないわ」

「おまえを連れて帰らないとソフィアに怒られる」

「帰らないとは言ってないわ。龍研――というか首都に集まる情報は計り知れないもの。情報だけなら、ね。それを捨て置くなんてもったいない」

「はッ、私も首都に連れていくつもりか?」アウロラが口を挟んだ。

「あなたももっと人間の世界を見た方がいいわ」とエイミー。

 サーシャは何も言わない。

「もし単にソフィアのことが気がかりなら、手紙を書いてあげる。私とソフィアしか知らないことを書いておけば本当だってわかるでしょう。何か書くもの、ない?」


「自分の身は自分で守る、と言ったね?」サーシャは全然別の質問で返した。

「そうね」

「試してみよう」とサーシャは杖を持ち上げる。

「手合わせするの? でも、あなたほどのレベルの狩人は稀有だわ。――アウロラ、ランスを」

 アウロラは手のひらサイズに小型化したランスを放り、エイミーがそれをキャッチして下に向けたところで「ディレゾリューション」と唱えて元の大きさに戻した。

 エイミーはそれを両手で持ち上げてセラに向けた。

「セラも一人前の狩人なのでしょう。互角の力量があれば十分。そう思わない?」

 サーシャはそう訊かれてセラにアイコンタクトを送った。

「私が勝ったら龍研に戻るの?」セラは訊いた。

 エイミーは頷く。

「でも、今とてもそういう気分じゃないの。認めさせてみせる。アウロラ、オーバーライド」

「……うーん、それで自分の力って言える?」アウロラは渋った。

「アウロラ、レイピアの鞘を返して」

セラは乗り気だった。傷つけるつもりはないけど、勝てばエイミーに対してひとつアドバンテージになる。

 そうか、私はエイミーに対抗心を燃やしているんだ。セラは気づいた。ジオ・フォールターを見た時に感じたのは、その大きさに対する単なる畏怖ではなかった。そんなものに変身することができるエイミーへの驚愕だったのだ。

 

「私に利点があるとは思えない。無駄な争いだ」とアウロラ。

「負けたらジオ・フォールターはもうないものと思って。それでこの森を守れる?」

「……そういうことなら、わかったよ」

 アウロラは岩の下からセラの装備を引っ張り出して鞘を投げた。セラが腰に帯を回すのを待ってから、エイミーに向かって右手を突き出して拳を握った。

「オーバーライド」


 エイミーは体の周りでランスを回し、それに合わせて足を踏み変えながら左右にくるくると回転した。舞だ。アウロラがエイミーの体の感触を確かめている。

「だいたい掴めた」

「どう、セラ・・の体は?」エイミーがアウロラに訊き返す。

「悪くない」

 そう、エイミーは人間のセラの体に化けているのだ。改めてそう言われると、セラはなんだか自分の体がむず痒いような感じがした。

「どうした、構えがふにゃふにゃだぞ」サーシャは杖を岩に立て掛けて腕を組んでいる。すでに鬼のセコンドだ。

 セラはレイピアを振って切っ先のしなりを確かめる。

「まだ?」とエイミー。

「人間の体って、操りにくい。龍と違う。ランスが重い。でも、もう、いい。行ける」


 岩の上で静観していたミラーがふっと霧のブレスを吐き、すぐにフンッと鼻息で吹き払った。ゴングだ。

 消え去る霧の中からエイミーが低くランスを構えて飛び出してくる。行動の狡猾さとは裏腹に顔がびっくりしているのが妙に可笑しかった。

 単純な強さより表情が読めないことの方が厄介なんじゃないか?


 セラは突きを躱してレイピアを袈裟に深く構える。大振りな相手には懐に入った方が有利だ。

 が、エイミーは突っ込んだランスを横に振り抜いた。

 セラは手でそれを受け止める。

 エイミーは体でランスを押しつつ上から手を回してセラの腕を掴み、肩越しに飛び越えて背負投の形に。

 セラは肩を決められていて踏ん張れない。エイミーに合わせてローリング、ホールドを振り切って距離を取る。

 そう、完全にアウロラの体術だ。素人だと思ってはいけない。

「セラ、レイピアに頼り切るな。全身を使え!」とセコンド。

 その通りだ。


 エイミーはランスを拾い上げ、真上から振りかぶって飛びかかる。この間合いのランスは刺突武器ではない。鈍器だ。

 セラはしゃがんだ体勢からレイピアを突き出し、串刺しに構える。

 エイミーはランスを振り下ろしてその切っ先を跳ね除ける。

 セラは左手で鞘を握って正面が開いたところに打ち込んだ。

 が、エイミーはランスを勢いよく振り戻してその反動で前転、腰で鞘の打撃を受けながら膝でセラの頭を挟み込んで捻り投げ。

 セラは自分の首を守るために得物を捨ててエイミーの脚を抱え込んだ。後ろに倒れながら相手の脇に爪先をねじ込む。

 縺れあって転がったあと、セラは上を取ってエイミーの首元を膝で押さえつけていた。


 次はどうする、と思ったが、エイミーはどうも戦意を失っている。

「アウロラ、ノーガードは酷いわね。護身術なの。これじゃ痛いわ」

「小さい痛みは我慢しないともっと大きなダメージにつながる」アウロラは首を振った。

「自分の痛みじゃないからって」

「嫌なら自分で体の動かし方を覚えて」アウロラは手を開いてオーバーライドを解除した。


「それで、勝負は?」とエイミー。

「フォールを取ったんだからセラの勝ちだ」とセコンド。

「押さえ込んでるだけ。あれがレイピアだったらセラの胸に刺さってる」とアウロラ。

 ……?

 セラは自分の胸を見た。エイミーがレイピアの鞘を持って下から突き立てていた。死角だった。

 自分の勝ちだと思い込んでいたけど、実際は違っていた。急に恥ずかしい感じがしてくる。

 2人の言い合いも頭に入ってこない。

 

 ……鳥たちが騒ぐ。

 木々の枝が揺れ、低い雲がさっと鎌で払われたかのように掻き消える。

 そして間もなく「ドォォン……」と低い衝撃音が空にこだました。

 ミラーがおもむろに首をもたげ、「キィイン」と鋭い高音の混じった咆哮を上げた。そして尻尾の先端を何度も地面に打ちつける。

「警戒している。何、今の音?」アウロラは空を見上げながらランスを拾い上げた。


 そしてまた「ドォォン」「ドォォン」と立て続けに衝撃が走る。

「軍の砲撃だ」サーシャが言った。「……そうだ、森へ向かっている間に臼砲きゅうほう陣地を見た」

「臼砲?」

「大砲の一種だよ。……あの参謀め、フォールターと聞いて一番口径のデカいやつを引っ張ってきたんだ。まだ遠い。狙いはさっきフォールターが出た辺りか」

「どうして、まだ私たちがいるのに」セラは言った。エイミーから鞘を受け取ってレイピアを収める。

「あの兵士たちに何も言わずにこっちへ来たからさ。死んだとでも思われたんだろう。……そうか、もともと私たちが戻らなかったらあれを使うつもりだったんだろうね。私でダメならどんな正攻法も通用しないというわけだ」

「なんてことをしてくれた」アウロラが食ってかかる

「この森を守るのは私の役目じゃない。だいたい、フォールターがいなければ軍だってあんなものは持ち出さなかったさ」

 サーシャとアウロラは互いに睨み合う。


 そこに衝撃音よりもずっと早く爆風が襲い掛かった。近くに着弾したのだろう。吹き荒れる風に混じって尖った枝や石、そして根こそぎになった木の幹まで周りの木々を巻き込みながら降ってくる。

 サーシャが3人の前に立って杖を構え、「シェル!」と唱えた。魔術の壁が飛んでくる瓦礫を弾き、受け流す。

「サーシャ、このままじゃ森がまるごと畑になっちゃいますよ」

「確かに、フォールターが相手だからって、この破壊力はいくら何でもオーバーすぎる」とサーシャ。さすがに受け止めるのが難儀らしい。

「未知の脅威に対して必要以上の無差別な暴力を振り回す。生き物の哀れなさがね」エイミーは服についた落ち葉や土を払い落としながら言った。至って落ち着いている。

「私が止める。陣地の方角を教えろ」とアウロラはサーシャに訊きながら飛び立ち石を上ってミラーの首に掴まった。

「北東に走る街道沿いだったから、南西から西方向だろう。でも単騎で突っ込むのはさすがに自殺行為だ。周りの兵士もみんな銃を持ってる。自分がよくても、ミラーを巻き込むのか?」

「上手くやるさ」

 ミラーが翼を大きく羽ばたかせて飛翔する。サーシャの結界を抜け、アウロラがインビジブルをかけたことでミラーの体はふやふやと半透明になりやがて見えなくなった。


 砲撃はなお続いていた。ほとんど周囲を取り囲むように地響きが聞こえる。逃げ惑う鳥たちや小型の龍たちが枝々を渡り、隠れ場所を探すように木の根の間を走り回っている。方向に一貫性がない。パニックに陥っているのがよくわかる。

 何かかけがえのないものが無条件に破壊されていく。

 アウロラは上手く砲撃を止めてくれるかもしれない。でも、だとしてもそれまでにこの森はどれほど傷ついてしまうんだろう?

「あなたの考えていることはわかるわ」エイミーが横に立って声をかけた。

「何?」セラは訊き返した。

「ジオ・フォールターならあの大砲の弾を受け止められると思うんでしょう? たぶんその通り。フォールターにはどんな武器も通用しないって書いている本があった。でも、やめておいた方がいいわ。なぜ私が勝手に変身しないのか、アウロラが私を使わずにミラーと一緒に行ったか、わかる? フォールターへの変身が危険だからよ。自我を失うかもしれない。できればやらせたくないんでしょう」

 セラは少し考えてから服を脱いだ。

「過ごしたのはたった数日だけど、この森にはそれでも思い入れがあるの。それに、私は外の世界ではあなたに負けたくない」


 セラは目に焼き付いているジオ・フォールターの姿を改めて心の中にイメージした。

 手足が伸び、視点がぐんぐん高くなっていく。それと同時に変身のスピードがひどく遅くなっていくように感じられた。サーシャが気づいて振り返る姿がスローモーションに見えた。

「行くな、セラ」その声も途中から引き延ばされてどんどん音程が低くなり、意識の奥へ入り込む前に薄れて聞こえなくなってしまっていた。 


 


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