ジオ・フォールター

 軍服、というのは予想以上で、赤と黒のドぎついダブルのジャケットに白いズボン、さらに肩の金モールと胸の略章がまるでダンスホールみたいにピカピカ輝いていて眩しいくらいだった。実際サーシャは目を細めてしまった。

 軍服の中の人は中年のちょっと白髪の早いオジサンで、第8軍司令部参謀補佐と名乗った。わりに慇懃な態度で、きちんと一礼してから部屋に入ってきて、角張った動作で椅子に座った。

「首都にて名うての狩人とお聞きしております」

 そう、これこそ素人のあるべき姿なのだ。サーシャは内心得意になった。

 狩人というのは人類種の希望として賛美されるカタルシスを夢に見ている。害獣駆除業者なんてぞんざいな扱われ方を望んでいるわけじゃない。今日の街中での活動はさながら過酷な現実だった。

「こんな格好で失礼」サーシャは咳払いして浴衣の襟を直した。「して、その私に何用でしょう」

「龍姫と呼ばれる存在をご存知でしょうか」参謀補佐は訊いた。

「ええ」

「軍がそれを捜索していることは?」

「捜索というより、もっと大規模に動いているんでしょう?」

「その通りです」

「龍に行く手を阻まれた、とか」

 参謀補佐は頷いた。

「龍を操る龍姫。それを標的にしておきながら狩人を連れていかなかったのですか?」

「もちろん。教育役としてベテランの狩人20名を動員しておりました」

「ん、20名? ペーパーではなく?」

「いいえ。全員ギルドキャリアの狩人でした」

 全員、過去形……だと?


「何に食われた? ミラーか」

「ミラーだったら全滅はなかったでしょう。いいえ、我々が直面したのはジオ・フォールターです」

 サーシャはすぐに口を開きかけて一度思いとどまった。

「狩人が全滅して、同定は誰が?」改めて訊いた。

「瀕死で戻ってきた狩人2人の証言です」

 参謀補佐は鞄からビロード製のスリーブを取り出し、中に入っていた狩人証をテーブルに並べた。ギルド加入時に1人1人名前を彫って渡されるものだ。

 8枚。刻印を見ると中には知っている名前もあった。それどころか顔が思い浮かぶ名前もあった。

「素人の妄想ではない、か」サーシャは狩人証を1つ取り上げて手の中に握った。鋳鉄でずっしりと重く、剣の形をしているので角がざらざらと指に刺さる「それを私に?」

「はい、生半可な実力者では話にならない。狩人ギルドに連絡したところちょうど貴方が東部にいると聞きまして」

「……噂には聞いています。地中深くに潜って生きる龍で、体長は800メートルを超え、科学が進歩する以前には地震や雪崩の原因と広く信じられていた。

 しかし、そう信じられてきたというだけで、実際に目にした狩人も、まして狩った証拠となる牙や鱗を手にした狩人もいないのです。私自身、当然見たことがない。ギルドではサイリージア・スクーパーの見間違いというのが通説です。龍研にある資料も不確かな目撃情報を集めた憶測の塊……塊というほどの厚さもないな、つまり、要は薄い本に過ぎない。討伐するにしても、弱点がどこにあるか、私の攻撃が通じるのか、それさえ不確定なのです」


 コンスタンツァがコーヒーを用意して2人の前に置いた。

「伝説、ということですか」と参謀補佐。

 サーシャは頷いた。

「差し出がましいですが、もし本当にそれほどの脅威に直面しているなら、兵を退かれた方がよろしい。ジオ・フォールターが龍姫と繋がっているとすれば、おそらく北の森を守っているのでしょう。いくら気を荒立てたからといって、縄張りから遠ざかればあえて追ってくるようなこともない」

「ウウム……、思った以上に深刻な状況だというのは理解できました。それほど珍しい龍を貴方ほどの狩人が差置くというのは意外でしたが」

「参謀補佐、あなたは数万の兵の命を預かっている。私1人の狩りとはわけが違う」

「ええ、先の戦いでは不意を突かれました。これより無用な犠牲は私も望みません」


 サーシャはコーヒーを飲んだ。風呂上がりにはいささか苦すぎる飲み物だ。

「しかし、仮に今手が出ないとしても、ジオ・フォールターが実在したとなれば今後のための情報収集はギルドにとっても有用か……」

早鳥はやうまは手配しております」

「交戦は今も継続中なのですか?」

「いいえ、我々が前線を下げたところで一度姿を消しました」

「あいにく我々も今はコンディションが悪い。一晩待っていただけますか」

「ええ、では……」

「報酬はジオ・フォールターを討伐した場合のみ。クエストの利便は図ってもらいたいが、それ以外は受け取りません」

 前金を貰わないというのは、つまり「軍に対して必要以上の便宜は図らない」という意味だ。決して親切などではない。

「わかりました」

 参謀補佐は表情を変えずに頷いた。サーシャの意図が理解できたようだ。

「私は指揮のために戻ります。伝令を1人置いていくので、明朝の案内にお使いください」

 参謀補佐はきっちりコーヒーを飲み干して席を立った。


「行くんですね」セラが風呂の方から出てきた。話を聞いていたようだ。

「軍の味方をしに行くわけじゃない。軍は北の森――龍の領域をあえて踏み荒らそうとしている。ただ、ジオ・フォールターが本当なのか確かめたいだけ」

「ジオ・フォールター……。初めて聞きました」

「図鑑にしか載っていない龍だよ。無理もない」

「どんな姿をした龍なんですか?」

「参謀氏に話したことが私の知っていることのほとんど全部よ。嘘は言ってない。」

 サーシャは紙とペンを探した。

「とても大きなドラゴンで、細長い体をしていて、鱗は白かグレー。額の硬い鱗で岩盤を割り、ヘビのようにくねって地中に潜っていく。そのために手足は体の表面にぴったり張り付くようになっていて、翼に至っては密着させるための窪みが背中にある」

「サーシャは絵が上手ですね」セラはサーシャが描くフォールターに食入っていた。

「そんなことより」

「ええと、スクーパーより細いですね」

「全体が大きいからそう見えるだけで、長いけど、細くはないわ。スクーパーが地面の表面をまんべんなく掘り下げるのに対して、フォールターは潜っていく。とても深くまでね。とても強い力で巨体を潜らせていくわけで、潜った穴が火山の火口になるとか、その時に生じる岩盤のひずみが地震を引き起こすとか、あるいは、ブレスがとんでもない圧力で、どうしても地面が硬い時にブレスでぶった切る、それが断層になってあちこちに残っている、とか、そんな言い伝えがあるのよ」

「地震も断層も地球の活動ですよね?」

「そういう説が広まる前から信じられてきた古い言い伝えなの」


 翌朝サーシャが目覚めると、セラが脇の下にぴったり顔をうずめて眠っていた。何か寝苦しい夢を見ていた気がしたけど、そのせいか。

 肩を揺すって起こしにかかる。せっかく再会したのにゆっくりしていられないのは残念だけど、仕方がない。

 手早く支度をして朝食を済ませ、厩舎に向かった。若い伝令兵が3頭のコンチネンタル・ランナーの世話をしていた。3頭とも背中に鞍を乗せている。荷車はない。ランナーは荷物を引っ張るより背中に乗せた方が速く走れるのだ。

「ただその分積載量は制限されます。人1人が限度ですね。鎧を着たままじゃ長距離は持ちませんよ。サーシャとセラ、それに荷物係が1頭で計3頭ってところでしょう」コンスタンツァが分析した。「サーシャ、無人のランナーを引っ張って走れますか?」

「いや、やったことがないわ。だいたい騎乗も滅多にやらないし……」

「私も専ら単独で」若い伝令兵も申し訳なさそうに答えた。

 コンスタンツァは溜息をついて自分の荷車から鞍を下ろし、ブルームーンの背中にポンと乗せた。

 ブルームーンは気合いを入れるように「ふん!」と鼻を鳴らした。

「あなた、騎乗もできたのね」

「当然です。キャラバンをやる時の商人の嗜みですからね」コンスタンツァは胸を張った。「私も行きますよ。先導は任せてください。荷車はここに預けていけばいい」

「ありがとう。過去イチ頼もしいわ」

「過去イチって、それはそれで……心外じゃないっすか」


 とにかく一行は北に向かって街を飛び出した。まだ朝の7時前だ。コンスタンツァと伝令兵が地図を読んで湿地帯を避けるルートを上手く選び、何度か休憩を挟みながら10時前には軍の野戦司令部に到着することができた。風を切って走った感触がしばらく頬に残っているくらいのスピード感だった。

 天気は悪くないはずだったが、地面近くにうっすら霧が立ち込めていて、しかも背の高い森の中なので妙に薄暗かった。視界が通らない。あまり聞かない鳥の鳴き声が木々の幹にこだましていた。


 テントの中で昨晩の参謀補佐が巨大な地図を広げ、駒を使って部隊の配置を説明してくれた。騎兵小隊が15、歩兵小隊及び偵察分隊合わせて50、本部付きの工兵・衛生兵が各1個中隊。総勢4~5000人、大隊規模が北の森を半円形に囲むように布陣しているのがよくわかった。

「司令部の両翼にあるこの駒は? 初めて見ます」サーシャは訊いた。

「砲兵です。ジオ・フォールター相手に効果があるかはわかりませんが、我が方面軍で最も威力の高い臼砲きゅうほうを呼び寄せました」

「まだ撃ってはいない、と」

「ええ。弾薬が少ないのです。重いのでそうそう補給できるものではない。かの龍は霧を纏って現れる。的を絞らなければ、必要な時に無用の長物というのでは困ります」

 サーシャは指か爪でも噛みたくなるのを堪えた。臼砲といえば首都のパレードで砲身に人間が入れるくらいの代物を目にしたことがあった。そんな弾が森に落ちれば大木も根こそぎになるだろう。

「それで、どうです、フォールターの足取りは」サーシャは気を取り直して訊いた。

「昨夜私が戻った後にまた目撃報告がありまして、この部隊を1.5キロほど後退させました。その後は大事ありません。ですから今いるとすればこの付近の可能性が高いと思われます」

「行ってみましょう」


 森といっても実質は山だ。川や尾根線の高低差が連続し、木の根や岩でアップダウンが激しい。重い鎧を着ていくのは得策ではない。胸当てと籠手、杖だけにして自分の足で進んでいくことにする。セラはもとよりレイピアだけだ。

 コンスタンツァはランナーの世話があるのでここまで。セラと2人で進むつもりだったが、兵士数人が先導を買って出てくれた。仕方がない、彼らにもプライドがあるのだろう。


 微妙な変化なので気づくのが遅れたが、現場に近づくにつれて霧が濃くなってきていた。

「サーシャ」セラが呼びかけた。

「うん。もう160メートルも視界が通らない」

「ミラーのブレスでしょうか」

「かもしれない」

 そう話していた矢先、ぐらぐらと地面が揺れ、兵士たちがどよめいた。鳥たちの警戒する鳴き声と飛び立つ羽音が辺りに響き渡る。

「近くにいる」

「この方向に引いた。向こうにいるぞ」

 彼らももう何度もこの揺れを感じているのだろう。慣れているというより神経がすり減っているのが窺えた。

「狩人殿、もう先には進まない方がいい。勘づかれればひとたまりもない」

 やはりもう帰りたいようだ。

「道は覚えた。下がって構わない」

「しかし……」

「命大事に、だ。防護魔法には自信があるが、一度に大勢は守れない」

「……御免」


 兵士たちが引き返そうとした矢先だ。行く手でバリバリと嫌な音がして霧の中から太い木の幹が倒れ掛かってきた。

「シェル!」サーシャは両手で杖を掲げて防御魔法を唱えた。半透明な半球形の殻が目の前に現れ、木を受け止める。あまりの重さで両足ががくんと沈み込んだ。セラがすかさず背後に回り込んで背中でもってサーシャの腰を支えた。

「逃げろ、早く!」サーシャは兵士たちに呼びかけた。

 兵士たちは散り散りになって駆け出していく。サーシャはその方向をよく見極めながら倒木を左手にいなした。「ドォォン!」とものすごい音がして枝葉が周囲に飛び散った。

「セラ、助かった」

「はい」


 サーシャは額を拭って目の前を見上げた。

 白い霧の中に何かギザギザした鱗の模様が走る。

 目の錯覚じゃない、ジオ・フォールターの鱗、体の側面だ、と気づいた時、尻尾の先端が頭上をひゅんと通り抜け、周囲の木々の幹を軒並みその高さで寸断するとともに衝撃波で霧を薙ぎ払っていった。

 木々が倒れ、霧が晴れ、一瞬だがジオ・フォールターの全身が見えた。尾を左に振り出し、首を擡げて右の方を見回している。頭なんて大気のせいで霞んで見えるくらいだった。

 しかし視界が通ったのは本当に一瞬だった。尻尾の後流に引きずられた霧がまた辺りに流れ込んできて世界を真っ白く染めてしまった。

 打ち上げられた木々の枝葉や幹の破片が遅れて降ってくる。

 サーシャはセラを抱き寄せ、頭上に杖を掲げてシェルを展開した。

「見ましたか?」とセラ。

「ああ、見たよ」

「サーシャに教えてもらった通りの姿でした。本当に大きかった」セラは半分放心していた」

「……待って、教えた通り?」

「はい……?」

「私が描いたのは龍研の資料通りの想像図だよ」

「ええ」

「とても不確かな情報に基づく適当な想像図さ。そんなものがどうして本物とぴったり一致するんだ。あり得ない……」

「あっ」セラも気づいたようだ。「龍研の資料って……」

「そうさ、あれはジオ・フォールターなんかじゃない」

「でも、そんな、そんなことが可能なんでしょうか」

「私にだってわからないよ。どうにかして確かめられればいいんだけど……」

 せめて正体を暴かなければ、とサーシャは思った。

 地震にも似た足音はのっそりと、しかし正味相当な速さで遠ざかりつつあった。

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