間違った人々

 街中が狩人を求める声で溢れていた。傷ついてのた打ち回るラプテフ・ホッパーをどう扱っていいのか誰もわからないのだ。

 サーシャは溜息をついた。

 今この街にいる龍の専門家――狩人は私とセラだけだ。とりあえずは銃を持ち出してヤタラメッタラにぶっ放そうとする熱血漢たちを制止して回るところから始めた。

「やめておけ、その程度の散弾では龍の鱗は貫けない」

「じゃああんたがやってくれるのか。狩人だろ?」と銃を持った男。腰にエプロンを巻いたままだ。料理屋だろうか。

 サーシャは頷いた。

「依頼なら金貨10枚で請け負おう」

「な、なんだその額は。もうトドメを刺すだけじゃないか」

「あなた方は今ここにいる龍たちを邪魔にしているだけだ。どこかへ飛び去ってしまえばそれで何も不都合はない。それとも素材に何か使い道でも?」

 料理屋はしばらく黙った。

「追い払うならいくらだ?」

「いや、いらない。もとより逃がすつもりだった」

 サーシャの答えを聞いて隣でセラがにっこりした。

「それでも狩人か?」別の誰かが言った。

 サーシャは声の主を探し、腰の短刀を外してその足元に放り投げた。

「リアス・ピアスの嘴を研いで作った刀だ。そいつならホッパーの鱗でも爪でも簡単に切り飛ばせる。やってみるかい?」

 軽口だったのだろう、声の主の若者は短刀を拾いもしなかった。

「狩人というのは力だよ。力の使いどころは見極めなければいけない。私は目的のない狩りは――殺しはやらない。君がやらないなら、返してくれ」

 若者はしゃがんで、かなり躊躇ってから指先だけで短刀を持ち上げた。ホルダーに入っているので手を切る心配はない。つまり手が汚れる心配をしていたのだ。ぬかるみに落ちた短刀はほとんど泥の塊のようになっていた。

「すみません」若者はすごく言いづらそうに謝った。

「ああ、その、なんだ、こちらこそ……?」サーシャも少し気まずかった。すでに泥だらけのサーシャですら受け取るのを躊躇うくらいの泥っぽさなのだ。「わかってくれればいいんだ」と言えればよかったんだけど。


 街中を回る間に救うべきホッパーたちの数も確認できた。建物の屋根の上にいるのが2頭、道や路地に落ちたのが3頭、ドブにハマっているのが1頭、計6頭何とかしなければならなかった。

 うち路地に落ちた1頭は首の骨を折って瀕死の状態で、一通り回って戻ってきた時には死んでいた。住人たちが箒や物干しでつついて死んだのを確かめていた。

 あとの5頭は助けられそうだ。

 サーシャは血清密造業者の男にも声をかけた。

「捕まえるのは得意でしょう?」

「おいおい、金でも出すつもりか?」男は扉をぶち破られた倉庫の前で呆然と立ち尽くしていた。

「金貨1枚」サーシャは指で弾いて男の方へ金貨を飛ばした。「回復まで面倒を看るなら後金でもう1枚」

 男はしっかりと金貨の軌道を見て受け止めた。

「ずいぶん羽振りがいいじゃないか」

「お前のような人間は金でなければ動かない。それに、さっきホッパーが1頭死んだ。綺麗に素材を取ればそれくらいにはなる。それに、できれば道具も貸してほしいんだ。一式乗せた車がまだ街に入ってなくてね」

「なんだい、あんたらだって龍を殺すじゃないか。まだ生かしたままの俺たちの方がマシだぜ」男はグチりながら納屋の網を担ぎ出す。

「そうかもしれないね。まだ正義を振りかざすだけの悪人でいる方が楽だったよ」


 実際、やっていることは彼ら血清密造業者と同じだった。網をかけて動きを封じ、顎と翼、脚を縛って荷車に乗せ、とりあえずもとの倉庫に連れてきた。他に龍の保護に使えそうな場所がなかったからだ。保護と拘束というのは結局言い回しが違うだけなのだろうか。

「なんだよ、おい、少なくなっちまって……」随分がらんとした倉庫の中を眺めて男は改めて愕然としていた。

「毒液を作るには体力を使う。回復するまでは採らない方がいい」

「回復したら採っていいんですか?」セラが訊いた。

「治った頃には増水の季節が終わって渡りの意味がなくなっている。放すならもう冬の渡りの時期の方がいい」

 セラが釘を刺すようにキッと男を睨んだ。サーシャも男を見た。すると男は安っぽく微笑を浮かべ、安っぽく何度も頷いた。


「久しぶり、コンスタンツァ。心配かけてごめんなさい」

「セラ、無事でよかった」

「ブルームも元気そうでよかった」

 街の外の待ち合わせ場所に着いたところでセラとコンスタンツァは抱き合った。どちらかというとブルームーンが一番喜んで羽をバタバタしていた。

 街中で傷ついたホッパーたちの手当てに奔走している間から気づいてはいたものの、やっぱりエイミーは居なくなっていた。

「もう半時はんときばかし待ってますが、こっちには来てませんよ。セラの姿も見てないし、小鳥も寄ってこなかった。ずっと私とブルームの2人きりだったっすよ」とコンスタンツァ。

「今度はエイミーか。アウロラがセラと取り違えて連れて行ったのか……」

「アウロラはべつに私のことを捕まえたままにしておこうとしていたわけじゃないんです。彼女はあえてついて行ったのかもしれません」セラが言った。

「だとしてもね。エイミーを連れて帰らないとソフィアに何て言われるか」

「追いかけますか」とコンスタンツァ。

「どちらにしてもエイミー本人に確認した方がいいでしょう。セラはアウロラがどこへ帰るのかわかるわね?」

「はい」

「セラの装備も返してもらわなければ」

 サーシャは革製の手作りの鞘に入れたレイピアをセラに見せた。

「持ってきてくれたんですね」

「あの……」とコンスタンツァ。「でも私今日はこの街で休みたいです。ブルームをかなり走らせちゃいましたんで」

 荷車を止めてから十分休憩を取っているはずだが、ブルームーンはまだ鼻をフンフン言わせながら息をしていた。明らかに体力を消耗している。……ああ、いや、セラのことで興奮していたせいか?

「うん、そうしよう。ホッパーも捌かなきゃいけない」サーシャは答えた。


 とりあえず宿を探すことにしてコンスタンツァとブルームーンを連れて街の中に戻った。看板頼みで探してもいいが、ホッパーたちが暴れた爪痕のせいで街中の雰囲気にまだ落ち着きがなかった。どうせなら伝手を頼るか、とサーシャは思い、現状一番面識がある血清密造業者の男のところへ向かうことにした。

 あえて裏手から倉庫を覗き込むと男は早速ホッパーを押さえてその牙に毒液採取用のスポンジを押し当てていた。

 約束を守らない人間だということがよくわかった。

 セラが後ろからこっそり男に近づいて行って片足を後ろに振り出し、無言で強烈な金的蹴りを食らわせた。

 男は悶絶してのた打ち回る。顎が自由になったホッパーはスポンジを振り払って「シャー!」と鳴きながら唾液を男に吹きかけた。

「あっ、毒が、かかった。毒っ」

「血液毒だって言ってるでしょう。体の中に入らなきゃ大丈夫よ」サーシャは男の足を持って水瓶のところまで引きずり、手桶に汲んだ水を男の手と顔にぶっかけた。「いまさらこんな数匹から搾り取って、一体どれだけ金になるっていうの」

「寒っ。っていうか何で戻ってきた?」

「自分に訊いてみたら? ……というのは半分で、宿を紹介してもらおうと思って。ふふん、この分だと一泊くらい奢ってもらえそうね」

「はぁ?」

「それとも、セラ、もう一発行っとく?」

「今度は前から踏みますかね」セラは相手を生き物とも思っていないような目で男をじっと見ていた。

「わかった、わかったよ」

「私たちもいいんすか?」コンスタンツァが表の扉の破れたところから顔を出した。

「いいよ」サーシャは先に答えた。

「あ、じゃあ、ゴチになります」と言ったコンスタンツァの横にブルームーンも顔を出した。

「お、俺の金貨2枚ェ……」

「まだ1枚でしょう?」


 男が用意してくれた宿は案外上等だった。もしかするとマフィアだとか上部組織のお偉いさんを通すための部屋だったのかもしれない。

 分厚い綿入りマットレスのベッドが人数分あって、部屋の浴室にはタイル張りのピカピカのバスタブがついていた。しかも3人で入っても全然余裕な大きさなのだ。何ならブルームーンだって一緒に入れたかもしれない。そうそう、ブルームーンの寝床に乾いた藁がたっぷり敷き詰められていたのも高得点だ。

 サーシャはようやく全身の泥を落とし、鎧や短刀の手入れをした。

「温かいお湯につかるのは久しぶりです」セラは浮かぶようにして湯船につかっていた。

「アウロラのところは水だった?」

「はい」

「今頃向こうも水浴びをしているのかな」サーシャは目の前の桶に溜めたお湯がもし冷たかったらと想像してブルっと身震いした。


「……私たちのやったことは正しかったんでしょうか」セラは神妙な口調で訊いた。

 私たち……? と思ったけど、セラとアウロラのことだ。

「ああ、ホッパーを逃がしたこと?」

「そうです。あの業者の人が言っていたように、あの人たちは龍を殺していたわけではないんです」

「それに対して私たちは龍を殺す。どちらにしろ自分たちの目的のために龍を素材と捉え、龍が望まないことをしているのに変わりはないものね」

「はい」

 セラは龍姫の立場から狩人の立場に戻った。そのせいで彼らの商売の邪魔をしたという事実がまた違った角度から見えてきたのだろう。

「そうね、それはただ、どちらの味方をするのか、というところによるんじゃない? 龍の立場になれば渡りをして繁殖をする必要があるし、人間の立場になれば薬を作る必要がある」サーシャは言った。

「正しいか、正しくないか、の問題ではないんですね」

「生き物が生きようとすれば食べ物として他の生き物の命を取り込んでいくのは避けられない。生きることを認め合うからこそ、争いや狩りも許されるんじゃないかしら」

「私は自分自身を騙しているのかもしれません」セラは体を起こして部屋の方へ目を向けた。「そうやって言葉にしてもらってやっと納得できたような気がします」

「……私も同じだよ。あの男にも言ったけど、説明を盾にして愚直な正義漢でいる方が楽なんだ」


 先に上がったコンスタンツァが戻ってきて浴室の扉を開けた。

「サーシャ、お客さんが来てます」

「お客は私たちの方でしょう?」とサーシャ。

「軍服来てる人」

「ああ、やれやれ、アウロラのことだな」サーシャは立ち上がった。

「あ、鎧は私が干しておきます」セラも湯船を出た。

「頼むね」


 結果的にサーシャの予想は半分当たっていたし、半分外れていた。





 

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