ぬかるみと毒の街

 セラが町外れの森の中に降りると、アウロラは鞄からまずセラの服を取り出した。彼女自身はすでに旅人のような黒い外套を羽織っていたが、それで町に馴染むには長大なランスが目立ちすぎる。ひと目で狩人とわかる服装でもない。

 アウロラはランスを両手で捧げ持ち、「レゾリューション」と唱えた。

 ランスはその手の上でみるみる小さくなり、ペンくらいの大きさになった。アウロラはそれを片手に乗せて何度か回し、柄の後端に紐を結びつけて首にかけた。


 町には簡素な城壁が巡らせてあり、木製の城門を時折荷車が行き来していた。その流れに乗って歩いていくと特に何の検問もなく城内に入ることができた。路面は城内も舗装がなく、雪解けのせいでどろどろにぬかるんでいた。建物も低い。栄えているのはわかるがまだ牧歌的なレベルだった。

 


 ちょうどラプテフ・ホッパーを積んだ荷車が後ろから来てゆっくりと追い抜いていった。ホッパーは傷ついてぐったりと気絶し、目の細かい網で荷台にぎっちりと押さえつけられていた。しかもよく見ると1頭ではなかった。2頭が翼や首を絡め合うように折り重なっていた。

 アウロラはセラに目配せして歩くスピードを上げた。かといってあからさまに追いかけるわけにもいかない。荷車が角を曲がるところで走って追いかけた。

 それでも離される。最後には見えなくなってしまったが、見当をつけて歩いていくと、塀に囲まれた敷地の中に走鳥の留め場が見えた。奥には倉庫のような建物が見える。おそらくここだろう。

 門の横で男が1人出入りを見張っていて、アウロラが中に入ろうとすると「待て待てい」と引き止めた。

「お嬢さん方、誰に呼ばれたんだい?」

「誰?」

「ボスの知り合いか」

「そう」アウロラは頷いた。

しるしを見せな」

 印? 会員証の類、いや、刺青いれずみのようなものか。

「ないよ。私にはない」アウロラは答えた。

「ちぇっ、薬局か。女まで使うとはな。だめだめ、入れないぜ」

 アウロラは頷き、それからセラに言った。「いいよ、また来よう」

「また?」

「表から行っても入れてもらえない」

 アウロラは引き返した。来た道を戻り、2ブロックほど行って角を曲がる。振り返るとさっきの男がまだ門のところからこちらを見ていた。

 アウロラはきっとこっそり忍び込んで建物の中を確かめるつもりなのだ、とセラは思った。


 アウロラは市場に入って鉱物商の店を探し、森で採ったトパーズやラピスラズリなど宝石の原石を売り、酒場の看板を見つけてその金でシードルを頼んだ。要はリンゴジュースだ。アルコールの薄そうなものはそれくらいしかなかった。

 店の中は昼間とはいえ薄暗くほぼ無人だった。

「あの人たち、なぜホッパーを捕まえているんだろう」アウロラは言った。

「助けを求めにきたホッパーは何も言ってなかったの?」

「人間は牙を抜く。でもなぜかはわからない。それだけ」

 セラは少し考えた。

「……あなたもこういう時は喋るんだ」

「人の領域には人の言葉が溢れていて、それが私の中まで流れ込んでくる。考えていることが勝手に言葉になるの。わかる?」

 この1週間セラは喋らないなりに頭の中では色々なことを考えていた。言葉が渦巻いていた。でもアウロラは違うのだろう。言葉を聞いていない時、彼女の頭の中は空っぽなのだ。いや、空っぽというより、言葉とは違う軽やかで鋭敏な感覚に満たされているのかもしれない。

「アウロラは『龍の領域』と言ったけど、同じように『人の領域』もあると思う?」

「どういうこと?」

「村を襲ったりする龍もいる。龍が人の領域に踏み込むのもいけないことだと思う?」

 アウロラは頷いた。「龍と人はそれぞれの領域を踏み越えてはいけない。でも人間は領域の境目を少しずつ広げて龍の領域を人の領域に変えてきた。畑を広げ、街を広げてきた。だから人の領域に踏み込んでしまう龍がいる。人間が狩や探検をするのとは違う」

「それはとても偏った考え方だと思うけど」

「人間はもともとこの世界にはいなかったの。昔は龍の繁栄する世界があって、でも人間が来てから龍は狩られるようになり、少しずつ数を減らしてきた」

「じゃあ、龍は世界の始まりからそこにいたのかな。龍も別の誰かの領域を押しやって繁栄するようになったんじゃない?」

「だとしても、たとえあなたに理解されなくても、私は龍と龍の繁栄を守る」


 セラは話題が逸れていることに気づいた。

「ホッパーには毒がある。牙を取るってことはその毒を集めているのかもしれない」セラは言った。

「毒、何に使うの?」

「軍隊に売るのかな……」

「でも薬局って言ってた」

「そう。もし公に納入しているなら商業ギルドに探りを入れられるはずない。軍でなければ、領主とか……」

「一領主がそんなに使うのかな……」

「じゃあ、薬なんだ。毒を薄めると薬になるって聞いたことがある。ギルドを介さずに売ろうとして目をつけられてるんだ」

「何の薬?」

「……わからない」

「確かめる方が早い」アウロラはそう言ってシードルを飲み干した。

「仮に彼らがその薬で金儲けしていたとしてアウロラはどうするつもり?」

「解放する。あなたが何と言おうとも、それがホッパーたちのお願いだから」


 セラとアウロラは酒場を出て先ほど見つけた倉庫の裏手まで戻ってきた。路地は細く人通りもない。塀に囲まれていて人目も感じなかった。

「ディレゾリューション」アウロラはそう唱えてランスをもと通りの大きさに戻した。柄を下にして突き立て、セラに向かって左手を広げた。抱きつけ、ということらしい。

 セラが恐る恐る懐に入ると、アウロラはその体をガバッと抱きしめた。

「柄を掴んで。自分で自分の体を支えて」

 アウロラはそう言うなり柄のボタンを押して火薬を起爆した。

 爆発の反動でランスが飛び上がり、それに引っ張られて体が浮かんだ。肩が外れそうなほどの力だった。

 空中でさらにもう1発吹かし、屋根の高さを超えた。ランスをやや寝かせたので斜めに飛び、ちょうど足の下に倉庫の屋根が入った。勢いに合わせて足を振り、駆け足で着地、屋根の上に乗った。


 アウロラは換気塔の隙間から中を覗き、棟から1mほどのところに目星をつけてランスを垂直に突き刺した。瓦が割れ、地板の裂ける「バリッ」という音が聞こえた。

 柄の先端を少し捻って回すと鍔の部分が十字に開いた。アウロラはその状態で3度目の火薬を起爆した。

 ただし今度は誰も柄を握っていない。ランスは人間2人を浮かばせるだけのパワーでもってやすやすと屋根を突き破り、倉庫の中に飛び込んだ。あとには直径1mほどの穴が開いていた。


 アウロラがその穴に飛び込んだのでセラも残った瓦を掴んでぶら下がりつつ降りた。

 中は鳥舎ちょうしゃと同じように柵で1頭ずつのスペースが区切られ、ホッパーたちが鎖に繋がれていた。

 2人の大胆な登場に驚いて飼育員たちは手を止め、ホッパーたちは翼を打って暴れた。しかしホッパーたちはくつわを嵌められているせいで声は出せないようだ。半端に開いた口の中で鎌状に曲がった毒牙が開いたり閉じたりしていた。ホッパーの毒牙は普段は上顎のヒダの中に格納されていて、噛む時や威嚇の時だけ立ち上がるようになっているのだ。

 

 アウロラは床に刺さったランスを引き抜き、左手で飼育スペースの角を指差した。鉄製の柵に大きな瓶がかかっている。その細い口にスズ製の漏斗が差し込まれ、中にはなぜかスポンジが詰まっていた。瓶には透明の液体。スポンジに毒牙を刺させて毒を採取しているのか。

「一体どういうことなんだ、挨拶もなしに」門のところにいた男が駆け込んできて屋根に開いた穴を見上げた。

「あの毒は何に使うの?」アウロラは瓶を指して訊いた。

「やっぱり薬局ギルドの差し金か」

「違う」

「違う?」

「なぜ薬局の差し金だと思うの?」

「違うならなおさら教えられない」

「そうしたらあなたたちは何の意味もなく龍を傷つけて捕まえてることになる。私はまだ知りたいだけ」

 アウロラはランスを男に向けた。背丈以上長さのあるランスを軽々と振るアウロラを見て男はあからさまにたじろいだ。

「……血清を作ってるんだよ」男は言った。

「血清?」

「カランスクの出血熱」

 アウロラは知らないようだったが、セラは聞き覚えがあった。首都で時々耳にした病名だ。

かかった人は高熱を出して鼻血が止まらなくなるって……」

「おまけに治療法がないっていう、あれのことさ。ホッパーの毒を薄めて、凝固しないようにちょいと加工してやれば薬になるんだよ。そいつを打った患者の熱が半日で下がったって実績があるんだ」

「だからホッパーを集めてる?」とアウロラ。

「1匹から採れる毒の量は少ないからな」

「採ったら逃がす?」

「ああ。2,3回は毒嚢どくのうがすぐ膨れてくるんだが、あとはダメだな。なかなか戻らない」

「それってどのくらいの期間?」

「ひと月からひと月半ってところだな」

「どこから連れてくるの?」

「ボウワフ方面の休耕地」

 アウロラはランスを下ろした。

「見逃すの?」セラは思わず訊いた。てっきり力ずくで解放してやるつもりなのかと思っていた。

「人の領域。でも、傷つけるのはよくないし、ひと月も囚われていたら北への渡りに遅れてしまう。この子たちは解放して」

「なあ、じゃあ、1匹1回だけにするってのはどうだ? それなら飼育の手間もかからない。捕獲の人手さえ集まればそれでもいいんだ」

 アウロラは眉間にシワを寄せた。「今ここにいるホッパーたちの話をしてるの」

「結局、話し合うつもりなんかないんじゃないか」男は毒づいた「要は、ネエちゃん、あんたは龍が傷つくのが嫌なだけだろ?」


 その時屋根の穴がさらに崩れ、瓦礫とともに何か黒いものが降ってきた。

 アビス・オブシディアの黒い鎧。間違いようもない、それはサーシャだった。

「サーシャ!」セラは呼んだ。

「龍姫、おまえは目先の欲で龍を狩っている愚かな狩人と同じだ。自分の都合と感情だけで人を害しているに過ぎない」

 サーシャは立ち上がりながらそう言うと、バトンのように杖を回してアウロラに突きつけた。

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