リアス・ピアス種
神聖暦1621年4月。
「君、俺たちのパーティに加わってはくれないか」
サーシャが杖の職人のところへ行っている間、セラはギルドの掲示板を物色していた。
すると1人の狩人が声をかけてきたのだ。
「私?」セラは訊き返した。
そんなことを言われるのは初めてだったので驚いていた。
「見ての通り、俺たちはトドメの決定力に欠ける。レイピアの君がいればそれを補えるし……、それに、加入テストの話は聞いたよ。あのインフェルノを殺したって。それほどの実力を持った狩人がいてくれれば心強い」
彼らは4人のパーティだった。話しかけてきたお兄さんが直剣、もう1人の男の人はメイス、あと2人は両方弓使いで女の人だった。
「どんなクエストなの?」セラは訊いた。
「西の海岸に行ってリアス・ピアスを狩る」
「!!」
「ど、どうした?」
「ちょっと待っててください」
セラはそう言って駆け出し、杖の工房までまっしぐらに走った。
サーシャはまったりコーヒーを飲んでいたが、セラがバーンと扉を開いたのでコーヒーをこぼしてしまった。
とっさに足を開いたので膝にはかからなかったけど、スカートには黒いシミができてしまった。
「サーシャ、海に行きましょう!」
「また、どうして」
サーシャは答えながら職人さんが放った雑巾を受け取ってスカートのシミを吸い取った。
「海に行くなんて初めてなんです。生まれてこの方、川と湖しか見た――」
「だから、どういう成り行きなの?」
「パーティに誘われたんです」
「ああ、そういうこと」
「ね、行きましょう?」
「行ってきたら? そろそろ私ばっかりについていても面白くないだろうし、1人の方が甘えがなくていいよ」
「サーシャはパーティを組みたくないんですね」
「誘われたのは私じゃなくてセラだよ。大丈夫、セラならちゃんとやれる。気をつけて行ってきな」
教育者の皮をかぶったただの人嫌いなのでは? そんな気もしたけどセラはギルドに戻った。
4人組のパーティは喜んでセラを迎え入れた。
2時間ほどで準備を整え、走鳥2羽立ての4輪荷車1台で出発した。
クエストの内容を詳しく聞いたのは道中だった。
リアス・ピアスはやや大型のワイバーンで、13mほどある体長の1/3近くを長く鋭い嘴が占めていた。その嘴を槍のように使って魚や鳥を突き刺して仕留めるのだ。名前の「ピアス(貫く)」はその狩りの方法からつけられたものだった。
ピアスは潜水も得意で、母系の家族単位で群れを作り、群れで協力して魚群を追い込む。
討伐依頼は地元漁師からのものだ。ピアスが魚群を求めて漁場に入るとカモメやカツオドリといった海鳥は恐がって逃げてしまう。そうすると漁師たちは鳥山を頼りに魚群を探すことができなくなってしまう、というわけだった。
ピアスの姿を頼りに魚群を探せばいいじゃないか、と思うかもしれない。
しかし一度漁場に入ったピアスはほとんど水中で行動するので遠くからだと姿を見つけるのは困難だった。
依頼人の話によると漁の邪魔をしている群れは1つだった。数はおそらく2頭。群れというより若いあぶれオスの道連れかもしれない。そこで海岸にあるねぐらを襲い、仕留めるか追い払う、という計画だった。
いわゆる2級クエストで、受注できるのは実力者に限られていた。
パーティの4人は「フラック(対空砲)」というチームを自称して、飛翔能力の高い龍を狩るのを得意としていた。
飛び上がった龍を撃ち落とすために弓使い2人という構成にしているわけだ。
セラはとにかく海が楽しみだった。白い砂浜、降り注ぐ太陽、打ち寄せる波。
想像するたびにごくりとツバを飲んだ。
一夜野営して翌朝には現地に入った。
そして想像は打ち砕かれた。
海岸には30mはあろうかという断崖絶壁が切り立ち、真下で荒波が砕けて真っ白なシブキを打ち上げていた。
おまけに空はどんよりした雲に覆われ、
「こんなのだと思わなかった……」セラは青ざめた。
ここから海に入ろうとするのは飛び込みというより投身自殺だ。
「残念だけど西の海岸ってのはこういうものなんだよ」弓使いの1人が苦笑いしながら慰めた。
道中も彼女が一番セラに親しくしてくれていた。彼女はサイリージア・スクーパーの緑色の鎧でがっちりと防御を固めていた。
「さあ、早速行こう」剣使いが言った。
彼が指差す先、崖に突き出した岬にピアスのねぐらがあった。2頭のピアスは横になって休みながらも首を上げて狩人たちを警戒していた。全身の鱗が黒く、顔だけが白かった。
パーティは身支度を整え、前衛の3人が前に出た。
後衛の弓使いが痺れ矢を空高く撃ち上げた。2本の重い矢はちょうど1頭のピアスを挟み込むように地面に突き刺さった。矢の先端で返しが開くので簡単には抜けない。
矢に仕込まれたゼンマイが摩擦ベルトを回転させ、瞬間的に強い静電気を発生させた。
2本の矢を結んだワイヤーに電流が走り、下敷きになったピアスの体にバチバチと閃光が走った。
ピアスが痺れている間にメイス使いが走り込んだ、
そして脳天に一撃。
ピアスは気絶してぐったりと倒れた。
もう1頭は電撃にびっくりしたようにガウガウと吠えながら飛び上がっていた。
すかさず弓使いたちが矢を連射、ピアスの翼膜をこれでもかというほどズタボロに射抜いた。
ピアスは耐えかねてドスンと地面に降り、長い嘴を振り回して前衛の3人を遠ざけた。
そこに顔を狙った矢の一撃。
矢は目の後ろに突き刺さり、ピアスは痛みに呻きながら首をまっすぐに伸ばした。
「隙あり!」
剣使いが剣を構えて突っ込み、ガラ空きななった首元の腱を正確に切り裂いた。
首に力の入らなくなったピアスはわけもわからず倒れた。
その成果を見ようと剣使いが振り返った時だ。
気絶から復活したもう1頭が飛び上がり、矢の雨をものともせず、ほぼ真上から剣使いに襲いかかった。
「避けて!」弓使いが叫んだ。
剣使いも回避はした。
だがピアスの軌道修正の方が
ピアスの細く鋭い嘴は簡単に鎧を貫通して剣使いの胸に深々と突き刺さった。
ピアスの勢いはそれでも止まらず、嘴が地面にぶつかった。その衝撃はピアス自身の頭蓋骨を砕くほどの威力だった。
捨て身の攻撃だったのだ。
ピアスは鼻の穴から血を垂らしながら倒れた。その体は半分ほどが崖下に乗り出し、早くもずり落ちていこうとしていた。
嘴には剣使いが刺さったままだった。
メイス使いが駆け寄って嘴を掴んだ。
しかしピアスの体の方がはるかに重い。
メイス使いの足が表土を削りながらジリジリと崖っぷちに近づいていった。
彼は仕方なくメイスでピアスの嘴を打ちつけた。
嘴はボキッと折れ、ピアスの体の方だけが崖下へ落ちていった。
セラは首の腱の切れた方の心臓めがけてレイピアを突き刺したところだった。
剣使いを助けるより、先にピアスを仕留めなければ状況が悪くなるのは明白だったからだ。
レイピアの先で心臓の鼓動が止まっていくのを感じた。
パーティの他の3人は剣使いに駆け寄っていた。
止血のためにピアスの嘴は刺さったままにされていたけど、それでもとめどなく血が流れ出していた。
かなり斜めに刺さっていて、心臓だけでなく周りの太い血管まで傷つけられているようだった。
血は止めようもなく、剣使いは間もなく息を引き取った。
4人は沈痛な気持ちでしばらく俯いていた。
狩人に死はつきものだ。そうわかっていても知り合いがいなくなるのはつらい。
ふと弓使いの彼女が立ち上がり、剣使いの剣を拾ってピアスの死骸に歩み寄った。
そして息絶えた横顔に向かって剣を突き立てた。
「返せ!」そう叫びながら、目玉をえぐるように何度も突き立てた。
セラは止めに入った。龍の死骸が傷つけられているのが我慢ならなかったからだ。
「やめて、彼を殺したのはそいつじゃないでしょ?」
「離して!」
「それに、殺されたのはこの龍たちの方でしょ?」
「わかったように言わないで」
セラは彼女から離れた。
頭に血が登るのを感じた。親しいと思っていた相手にそんな言い方をされるのもショックだったし、死骸の扱いも見損なった。他の誰も止めに入らないのも見損なった。
でも、言われた通りだ、とも思った。
彼女にとって死んだ彼がどんな存在だったか、セラは知らなかった。
私が彼女の気持ちを推し量れないのも、人間が龍の都合をわかろうとしないのも、同じようなものなのかもしれない、とセラは思った。
崖の下では嘴のないピアスの死骸が波に洗われていた。
セラの他にそれを覗き込む者はなかった。
人間はなんて強欲なんだろう。
自分の活動のために邪魔な龍を殺す。
その程度の利己はいい。龍だって同じだ。
でも自分から仕掛けておいて殺されることに逆上する。
それは覚悟していたことじゃないのか?
何の痛みもなく命のやり取りができると思っていたのか?
龍にだって仲間意識はある。だからこそあんな捨て身の攻撃ができるんだ。だから剣使いは死んだんだ。
自分だけ仲間が大事で、そのためなら死骸を傷つけてもいいなんて、そんな道理はない。
それに気づかないのが人の強欲なのだ。
セラはその思いを口には出さなかった。誰の共感も得られるわけなかったからだ。
もう知らない人とはパーティを組まない。
セラは静かに心に誓った。
ところでそのクエストはクリアにはならなかった。
漁場を荒らすピアスの群れがまだ他にあって、被害が収まらなかったのだ。
しかし1週間もすると依頼は取り下げられた。
なんでもクズ魚の捨て場を岬の近くに移したところ、ピアスたちはそれで満足して漁場には近づかなくなったそうだ。
龍を狩らないその解決策を考えたのは村民でもなければ狩人でもなかったという。
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