解放

 翌朝サーシャは振動で目を覚ました。体の下にはふかふかのベッドがあって、誰かがそれを揺らしているのだ。そう思った。セラだな?

「ちょっと、揺らさないで、もう少し寝かしておいて」

 サーシャはそう言って体を起こした。

 でもセラは隣でスヤスヤと寝息を立てていた。

 ???

 つまりベッド自体が揺れているのだ。

 そう思ってカーペットの上に足を下したが、揺れは続いていた。部屋、いや、城全体が揺れているのか?

 そう思った矢先、給仕さんがノックもせずに駆け込んできた。敷居に足を引っ掛けて一回転する始末だった。

「狩人様、大変です。アルカディア・レイが城を襲っています!」

「逃げ出したのか?」

「違います。外からです」

「もう1頭ってこと?」

「そのようです」

 サーシャはセラを起こし、仕方なく鎧を着込んだ。

「ほら、着替えなよ。もう1戦いかなきゃいけないかもしれない」

 セラは目も口も半開きの寝ぼけた顔のままインフェルノの鎧を身に着けた。


 見張り台に出ていくと1頭の大きなレイが城の石垣に向かってタックルしているのが真下に見えた。

 タックルの度にズーンと重い衝撃が城を揺すった。

 しかも外のレイが石垣から離れている間にも衝撃がきた。

 地下にいるレイも呼応して暴れているらしい。

 外のレイはどうもメスだった。まさか、つがいなのか?

 レイが鋭く咆哮を上げ、周りに集まっていた兵士たちが一斉に耳を押さえた。


 その時城主が出てきた。しっかりと豪華な服を着てビロードのマントを羽織っていた。着替えに時間がかかったのか。

「かる……を、あん……つ……か?」

「は?」

 城主が何かを言ったけど、ちょうどレイの咆哮と重なってほとんど何も聞き取れなかった。彼が気を取り直してもう一度口を開くと、またレイが吠えた。

 城主は咳払いをした。3度目の正直だ。

「狩人よ、あのレイをも捕えることはできないかね」

「可能でしょうが、時間がかかります。その間地下の1頭を放っておけば城を崩されかねません」

「城を崩す!?」

「ええ、そういった伝承があるでしょう。あれは誇張ではありません。昨晩何ごともなかったのはうまく落ち着けていたからで」

「では仕留められるか?」

「それはポリシーに反します。おそらく2頭はつがいでしょう。でもなければこれほど呼び合うのはおかしい。巣は未完成で、レイが同じペアで添い遂げるという話も聞きませんけど、稀なこともあるようです」

「なぜつがいだと狩れないのだ?」

「私は子育て親を殺さない。そう決めています。後味が悪い」

「一度は余の依頼を受けたではないか」

「捕獲でしょう? 私たちはそれを達成し報酬を受け取った。契約は切れている。また何かを頼まれるなら契約を結び直さなければ」

「一晩泊めてやった恩は?」

「報酬の一部だと捉えています。したがって、全くの他人の立場から僭越ながら申しますが、地下に捕らえたレイの解放を勧めます」

 城主は「クッ…!」と喉を鳴らした。顔が赤らんで額に血管が浮かび上がるのがわかった。

「よろしい。狩人などには頼らん。殲滅なら軍隊で十分よ。我が国の力、そこで見ておくがいい」

 城主は指揮官にいろいろ言って兵士たちを戦闘配置につかせた。

 城壁という城壁には大砲と弓兵が並び、門の中には剣と盾を持った兵士たちが控えた。

 ざっと500人といったところだ。

 指揮官の合図で砲兵と弓兵が一斉に撃ち始めた。

 レイが爆炎に包まれ、煙の中から痛々しい叫び声が聞こえた。


 だが石垣を震わせる衝撃が再び響いてきた。

 レイが煙を突き抜けてタックルしてきたのだ。

 全身の鱗が煤けていた。しかし砲丸はことごとく弾かれ、1本1本が槍ほどもある大きな矢も数本が鱗の境目や肌の柔らかい首元や脇腹に刺さっているだけだった。それもレイが体を震わせると簡単に抜け落ちてしまった。

 それほどレイの鱗は衝撃に強く、血管や内臓を守る筋肉の層は分厚かった。

 狩人たちが龍の素材で武器を造るのは生半可な金属では龍の体に傷をつけることができないからなのだ。

「だ、第2射用意!」指揮官が叫んだ。

 2列に並んだ弓兵が前後を入れ替わった。

 だがレイは発射の号令より早く再びタックルを決めた。

 そして石垣からいくつか石が抜け、その上に建っていた城壁は指揮官ほか50人近い弓兵を上に乗せたまま崩落した。

 命令を失った他の兵隊たちは何をするでもなく呆然とその光景を眺めていた。

 すると足元から衝撃が響き、崩落した瓦礫や死体の山を突き破って囚われのレイが外に飛び出した。

 首や手足に結ばれた鎖はそのままだったが、それを繋ぎ留めていた柱の方が基礎からすっぽりと抜けてレイに引っ張り出されてきた。

「何をしている! 撃て! 撃たんか!」城主が指揮官不在に気づいて城壁の上に身を乗り出しながら叫んだ。

 兵隊たちは思い出したように弦を引き、あるいは弾を込めた。

 再び鉄球と大矢の雨がレイのつがいを襲った。

 だが今度は煙を抜けるまでもなかった。2条の光芒が空を走り、城の鐘楼を横薙ぎにぶった切った。

 レイのブレスはさらに城の基礎に切り込んだ。支えを失った城の上屋は山の傾斜に引かれて滑りながら崩れていった。

 それはまだ部分的な崩落だったけど、このままの勢いだとおそらく城全体が危ない。

「セラ、行こう。ぐずぐずしていると私たちも生き埋めになっちゃうよ」サーシャは言った。

 崩れた城壁を滑り降りていく。

「でも……」

「大丈夫、報酬はギルドが担保している」

「助けなくていいの?」

「ああ、そういうこと? でも、兵隊たちを、それともレイを?」

 セラは答えない。

 地面に降りて木々の間まで走った。つがいのレイはまだこちらには気づいていなかった。


 茂みの中に身を隠すのとほぼ同時に地響きが起き、いよいよ城全体が傾き始めた。

 オスのレイは首の模様をいっそう鮮やかに輝かせ、血走った目をして延々とブレスを吐き続けていた。ブレスを浴びたカーテンや家具から火の手が上がり、炎はやがてすっかり瓦礫の山になった城を巨大なたき火のように包み込んだ。

 瓦礫の下にはまだだくさんの兵隊たちが生き埋めになっているはずだった。

 でもどう考えても彼らを助け出す方法はなかった。

「よく見ておきな。あれが龍のおそろしさだよ」サーシャはセラに言った。

「あのレイを捕まえていなければ、私がクエストを受けていなければこんなことにはならなかったのかしら」

「あの王様が素直に逃がしていればよかったのよ」

「そうかもしれない。でも大勢の兵隊さんたちはそれに付き合わされただけなのに」

「それが他人の愚かさよ。でも、セラは偉いね。他の人のことを悲しむことができるのね」

「サーシャは感じないの?」

「……そうだね。大勢に嫌われてきたから。共感なんてきっとずいぶん昔に忘れてしまったわ」

 サーシャは杖を掲げた。

 つがいのレイの背後に巨大な火球が生まれ、そこから無数の火の矢が降り注いだ。

 つがいは別の敵がいることに気づいて振り返り、城への攻撃をやめて相手を探し始めた。でもそれはサーシャが隠れている場所とは全然見当違いの方向だった。

 攻撃は止んだけれど、大きな城はすでに土台すら跡形もなく崩れ去り、燃え盛る炎はまだ留まる気配を見せなかった。


…………


 オスを救いにきたレイのメスの一件だが、首都に帰ってからソフィアに話すととても興味を持った。

 オスのレイが広大な縄張りを確保して巣作りをするのは当然メスに気に入られるためであって、もしペアが確定しているならアピールにそんなに労力を割く必要はない。

 2頭の絆はいったい何なのか。ソフィアはそれを調べるためにそれからしばしば城の跡地に通っているらしい。幸いつがいは城の瓦礫の上に巣を移して子育てをしているということだった。


 狩人は龍を殺す。

 しかしそれは決して人類の尖兵として行うものではない。

 兵隊が力任せに龍を殺したところでその死体に利用可能な部分がどれほど残る?

 できるだけ慈悲深く、そして最低限の殺しで済ませるためのプロフェッショナルが狩人なのだ。

 狩人は人間よりむしろ龍に寄り添った存在なのではないか?

 セラと狩りに出るようになって以来、サーシャはそう感じることが多くなっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る