もう1頭のメタモーフ
セラは龍研のベッドで目覚めた。
色も光もわからなくなってしまったんじゃないかというくらい真っ白な部屋だった。何か「ジジジ…」という小さなノイズが聞こえた。
ベッドの横にはソフィアがいて、セラの顔を覗き込んでいた。
セラは自分の手を見た。
それは人間の手だった。
「いつ人の姿に……」
「自分で戻ったのよ。誰かが勝手に変えたと思った?」
「まるでそんな気分です」
「急いでここへ連れてきて血清を打ったから、もう毒は抜けているでしょう?」
セラは体を確かめた。違和感はなかった。一時は気絶するくらいとても苦しかったのに、不思議だ。
「人の血清がメタモーフにも効くの?」セラは訊いた。
「今のあなたは人の体なのだから……と自信を持って言いたいところだけど、確信はなかったわね。半分は実験だった」
「サーシャは?」
「狩人ギルドと織物ギルドを回ってるわ。ちょっと甲斐性なしよね。あなたのことが心配じゃないのかしら」
「いえ、そのへんドライな人ですから」
「あら、やけに大人な反応」
「ねえ、サーシャの鎧は何の素材なんですか」
「なぜ私に訊くの?」
「ソフィアならわかると思って。村で思ったんだけど、サーシャはなかなか鎧を着ないので聞きそびれちゃって」
「あの黒と金の鎧?」
「そう」
「アビス・オブシディア。南の大陸の大地の裂け目に住んでいるとても硬い龍なの。硬いくせにすばしこくて、狩るのはとても難しい。その鱗は盾にも刀にもなるというわね」
「だからホッパーの歯も通らない」
「そう」
「ホッパーはなぜホッパーという名前なの?」
「セラ、どうして今?、という質問ばかりね」
「気掛かりなの」
「きっと頭が空っぽになっているのね」
「そう。イメージの破片みたいなものがぽこぽこ頭に浮かんでくるの」
ソフィアはセラの額に手を置いた。
「いいわ。ホッパーはね、繁殖の時にオスがメスにアピールするの。ダンスよね。メスの周りをぴょんぴょん跳ね回って。それが名前の由来」
「そういうこと」
セラは目を瞑った。
「ひどい戦いでしたね」
「そう?」
「レイに変身する前、水車を壊すつもりなんてなかったんです。でもそうなっていた。自分が自分でないみたいだった」
「人や他の龍では感じなかった?」
「うん」
「メタモーフの変身は性格や感情まで再現してしまうのかしら。だとしたらレイの凶暴さを身をもって知ったということになるわね」
「あの群れのメタモーフたちにはそんなの全然感じなかった」
「慣れ、でしょう。あなただって人の姿をサーシャに見せる前に相当練習したのでしょう?」
「でもスクーパーに変身した時はすごくスムーズだった」
「何か条件があるのかしら」ソフィアは顎に指を当てた。
「ブレスを使うかどうかとか、ワイバーンかドラゴンかとか、そういうんじゃないって気がします」
「心性……というか、性格的なもの?」
「目に見えないもの。アルカディア・レイの心には何か根本的に攻撃的な要素があるのだと思う」
「あるいはホルモン系の特徴として興奮物質の分泌が多いとか、分泌しやすいとか、そういった特徴があるのかもしれないわ。群れのメタモーフたちは意図的にその分泌腺の再現を避けているのかもしれない」
「どういうこと?」
「頑張って訓練すれば、その興奮もコントロールすることが可能ってことよ。もしそうだとすれば、ね」
セラは布団をはねのけてベッドから飛び起きた。
「どうしたの?」
「なんだか体がむずむずしてきちゃった」
セラはそのまま側転やバク転をやった。それくらい広い部屋だった。
「ああ、そうそう、あなたを呼んだのにはきちんと目的があったのよ」ソフィアは手を合わせた。
「目的?」
「とりあえず服を着て、ついてきて」
ソフィアは龍研の地下に案内した。前に変身を見せた巨大な部屋と同じフロアだ。
廊下を進むと片側に分厚いガラスで作られた大きな窓が見えてきた。
だが外ではない。龍の飼育室にはめられた窓だった。いわば水の入っていない水槽だ。そこにあらゆる種類の龍が閉じ込められ、いずれもやや諦めた様子でのんびりしていた。水槽にはそれぞれが翼を広げるのに十分な広さがあり、土や植物で外の環境を再現していた。闘技場のインフェルノとは違い、みな綺麗な体だった。
「この大陸で最高の技術を結集して砂の不純物を取り払い、最高の魔術を結集した超高温の窯で焼いたガラス。これだけ平たくて透明なガラスを作るのはとても大変だったの」
ソフィアは立ち止まった。
「イストリア・メタモーフ」
「はい?」セラは思わず返事をした。
その水槽に入っていたのはイストリア・メタモーフだった。岩の隙間で体を丸め、自分の翼を枕にして眠っていた。
……眠っているように見えた。
セラが近づくとメタモーフは立ち上がった。頭を下げ、ガラスにそっと額を当てた。
「ご飯がほしいの?」セラは訊いた。
「違う。こんな反応は今まで見たことがないわ」ソフィアは答えた。「あなたがメタモーフだということに気づいたんじゃない?」
「なぜ?」
「それはわからない。同族にしか見えないしるしのようなものがあるのかしら」ソフィアメタモーフの反応に興味津々で、セラの問いかけにはあまり真剣に答えていなかった。
メタモーフは一度下がってセラをじっくりと観察した。まるで距離感を測っているようだった。
メタモーフは毛並みがよく、羽もくちばしも真っ白で、いかにも成熟した姿だった。
――そしてふとした瞬間にセラの姿に変身していた。
まるでセラとソフィアが同時にまばたきするのを待っていたかのようなタイミングだった。
その上あまりに速い変身だった。
「それは、私?」
メタモーフはしばらく答えずにガラスに指を触れていた。
「そう。まるで鏡のようでしょ?」メタモーフは訊いた。
その声は分厚いガラスなど存在していないかのようにクリアだった。
「私はあなた。自分の姿を見るのは気色が悪い? 自分が真似されるのは」
「少し」
「でもあなたもメタモーフ。その姿も誰かの似姿。あなた自身のものじゃない」
「少し変えてるの。そのままじゃない」
「そう?」
沈黙。
「私はセラ。あなた、名前は?」セラは訊いた。
「ここの人たちはエイミーと呼ぶけど」
「じゃあ、エイミー。あなたは人に変身し慣れているの?」セラは訊いた。
メタモーフは自分の手を見下ろした。
「いいえ」
「でもすごく速かった」
「あなたは何歳?」
「生まれて2年と少し」
「そう、それならもっとたくさんのものに変身して、何度も変身して、そうすればずっと速くなる」
「もしかして喋ったのも初めて?」
「そうだと思う。でも不思議ね。私たちは同類なのに、わざわざ人の言葉でコミュニケーションしている。私たちは本来言語を持たない。人の言葉の方がディテールを伝えることができる。面白いわね」
「ディテール?」
「もしかしてこんなふうに何かを伝えたり訊いたりしなきゃいけないというのがそもそも人間的な行為なのかしら。セラ、あなたは違和感を感じなかった?」
「いいえ。私はずっと喋りたかった。話しかけてくれる人に答えたかった」
エイミーは目を瞑った。
「……セラ、そう、あなたはサーシャを慕うがゆえにその姿を真似て生きているのね。人として」
「なぜサーシャのことを?」
セラが訊くとエイミーは頭を指した。
「あなたが覚えている。記憶にある」
「そんなことまで……」
「変身というのは、本来的にそういうものなの。相手の全てを再現すること、そのものになりかわることなのよ。あなたも私を知りたければ私になるといいわ」
「それは超えてはいけないもののような気がする」
「なぜ?」
「なぜ??」
「……つまり、それが人間的な価値観なのでしょうね。自分と他者との間に超えられない敷居を設けて」エイミーはじっとセラを見つめていた。
「メタモーフは違う?」
「違う」
「あなたはメタモーフのことも人のこともよく知っているみたい」
「そういう時期に捕まったのよ」
「なぜ人の世界のことがわかるの?」
「閉じ込められているのに?」
「そう」
「本当にそう思う? あなたもわかるでしょう? 私たちにとってここから抜け出すのは難しいことじゃないって」
「トカゲや虫になって通気口からでていけばいい?」
「人の世界を眺めるだけなら別に人の体でなくてもいいでしょう」
「でもあなたはここにいる」
「なぜなら、快適だから。大きなドラゴンに襲われる心配もないし、ごはんもくれる。だからなぜあなたが人の姿をしているのか、最初わからなかったの。変身したままでいるなんて息が詰まらないんだろうかって」
「あなたは普段からそんなふうに考え事をしているの?」
「なんとなく、ね。言語ではない。本来の私の頭の中には言葉はないから」
エイミーはガラスから離れた。
「また来て。話しましょう。楽しかったわ。でも話すのって疲れるのね」そう言ってメタモーフの姿に戻り、岩の上で丸くなった。
ソフィアが廊下の方へ呼んだ。
「エイミーにあんな能力があるなんて、私も知らなかったわ」ソフィアは言った。
「エイミーは何歳なの?」
「推定だけど18歳くらいだと思うわ」
「あっ……」セラは立ち止まった。
「何?」
「メタモーフの寿命って、どれくらいなの?」
「野生だと20年そこそこと言われてるわね。飼育下だとかなり伸びるだろうけど、どうかしら……」
「人の姿で生き続けても、やっぱりその歳になると死ぬのかな」
「わからないわ。検討もつかない。若い姿に変身すれば延々と生き続けられるのか、それとも変身能力そのものが衰えていくのか」
「私はできるだけ長生きしたい」
「サーシャと一緒にいたいのね」
「うん。サーシャより先に死ぬのは、かわいそうだから」
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