ラプテフ・ホッパー種

 調査クエストから首都に戻る途中、ある村を通りかかった。川沿いに水車小屋の並んだ農村で、周囲に広がる畑は雪で覆われていた。

 集落の中に入ると1人の男が飛び出してきて走鳥を止めた。急に止まったせいで荷車に背中をどつかれた走鳥はイライラして「キュウ!」と鳴いた。

「ちょっと、危ないでしょうが、」馭者さんが怒鳴った。

 男は荷車の後ろに回ってドロドロの地面に膝をついた。

「狩人様とお見受けします。どうか頼みを聞いていただきたく!」

 サーシャが腰を上げて荷台から降りた。雪の混じったシャーベット状の泥がピシャンと跳ねた。

「私はこの村の長、ツィガーです」

「依頼という形であれば聞かないでもないですが」サーシャは男の前にしゃがんで訊いた。

「はい。謝礼は用意いたします」

「それで依頼の内容は」

「龍の群れが水車に居着いてしまいまして、それを追い払っていただきたいのです」

「ほう?」

「奴らがいると我々村人は水車に近付こうとするだけで追い回されてしまいます。水車がなければ我々は小麦を挽くことができません。このままでは冬の蓄えもなくなってしまいます。それに追い回された村人が噛まれてケガを負い、毒を持っているのか、熱や壊疽えそにやられているのです」

「それほどの案件ならギルドに上げればいいはずだ」

「はい。私もそう思って依頼したのですが、すでに3組の狩人様方が返り討ちに遭っているのです」

「3組……。レーティングを間違えたのか……。それで、龍というのは?」

「灰色と茶色の羽で覆われた2メートルほどの――」

「ソフィア」サーシャは荷台を振り返った。

「ラプテフ・ホッパー」ソフィアが答えた。「ツンドラで繁殖する種類よ。越冬のために渡ってきたのでしょうね。あまり強力ではないけど、牙に血液性の毒があって、放っておくと噛まれたところが腐ってしまうの」

「なんだ、ホッパーなら大したことない」

 ソフィアは首を振った。「あなた、さっき群れと言ったわね」

「はい。それが100頭は下らないと思われます」

「100……」サーシャもさすがに驚いたようだ。

「群れの力だ」セラはそう言ってソフィアと顔を見合わせた。

「サーシャ、あなたがイメージしたのは夏のホッパーでしょう。繁殖期を過ぎると群れを作るのよ。それで、謝礼というのは?」ソフィアが訊いた。

「はい。冬の稼業としている村のレース製品、全て差し上げます。街に持ち込めば相当な額に換えられるかと」

「なんだか体良く商人の役目押し付けられてないかしら」

「まあ、でもこの冷たい泥に膝をつき続けたこの人の覚悟は本物だよ」サーシャは言った。「立って、ひとまず案内をお願いします」

 いつの間にか周りに集まっていた村人たちが嬉しそうに拍手をした。


 その男、村長は一行を連れて水車小屋の列に近づいた。石造りの水車はかなり堅牢な造りで、まるで物見櫓のような円筒形をしていた。ホッパーはその屋根の平らな部分をねぐらにしているようだ。

 200mほどまで近づくと何匹か警戒して首を上げ、地面に飛び降りてきた。

「もう危ない距離ですよ」

 村長が言い終わらないうちに地面に降りたホッパーたちが走り出した。

「そうそう、ホッパーの翼は長距離を飛ぶために細長くて、滑空は得意だけど羽ばたきや小回りは不得手なのよ。その分足が強くて、地上で駆け回ると速いの」とソフィア。

「誰に解説してるんですか! 逃げますよ」村長は気が気でない。

 ホッパーはドラゴンタイプだ。体長2〜3mと小型で、地上での身軽さはメタモーフに通じるが、手足の長さが揃っていて四足走行が速い。胴体をまっすぐ寝かせ、肩と腰の高さを動かさずに走ってくる。人間の全力疾走の2〜3倍の速さだ。

 逃げる方はセラが一番速く走り、ソフィアが2番手、村長とサーシャがビリ争いだった。サーシャは鎧が重いのだ。

「走れ! 私が食い止める」

 サーシャは杖を抜いて立ち止まり、火炎の渦スパイラル・ブラストを放った。太い炎の束は先頭の数匹を捉えたが、左右に膨らんだ後続が追い越して迫った。

 サーシャは杖を振って片側は防いだが、もう片方に横から噛み付かれた。

「サーシャ!」セラは振り返って叫んだ。

「大丈夫よ。あの鎧はあの程度じゃ抜かれないわ」

「そういう問題!?」

 ホッパーに噛まれたサーシャの体はおもちゃのように振り回され、しまいにはポンと放り投げられて雪の中に落ちた。

 いくら小型の龍とはいえ人間とのパワーの差は歴然だった。

「サーシャ!」セラはまた叫んだ。

「だめ。今行ったらあなたも巻き添えになる。その鎧だと毒を防げない。彼女の犠牲を無駄にしてはだめよ」

「サーシャ……」

 追いついた村長が息を切らせながら振り返り、雪の中に落ちたサーシャを見て手を合わせた。

 数匹のホッパーがなお3人の方に向かってきたが、セラがレイピアで2匹、ソフィアがハルバードで1匹相手にして返り討ちにすると、あとは諦めて足早に縄張りへ戻っていった。

 誰もいなくなった雪原ににゅっと起き上がり、「死んでないよ!」とサーシャは叫んだ。


 死んだふりをやめてゆっくり歩いてきたサーシャの黒い鎧はホッパーの唾液でヌメヌメになっていた。

「触らない方がいいわよ。ホッパーの毒は牙の中の空洞を通って切っ先から吐き出されるの。たぶん混じっているから。布切れで拭くのがいいでしょうね。雪でこすったり水で濯いだりすると周りに広がるわ」ソフィアが言った。

「しかし、あなた方でも力不足とは……」村長は残念がった。

「10匹程度はやりましたよ」

 サーシャの火炎放射を浴びたホッパーの丸焦げになった死骸が散らかっていた。

 だが水車小屋の上にはまだ大量のホッパーが残っていた。

「サーシャ、私に妙案があります」セラは耳打ちした。

「何?」

「私がレイに変身してホッパーを追っ払うんです」

「いい案ね。ホッパーにとってもレイは天敵だもの」聞き耳を立てていたソフィアが言った。

「レイだって毒は効く。それに水車小屋を壊すわけにはいかない」サーシャは乗り気ではなかった。

「上手くやります」とセラ。

「本当に?」

「本当に」


「いい作戦を思いつきましたよ」サーシャは村長を呼んだ。

「と言いますと?」

「アルカディア・レイを呼びます」

「レイ……、あの禍々しい龍を」

「レイの縄張りだと知ればホッパーはすぐに逃げ出すでしょう」

「でもどうやって?」

「村中のブラックベリーを集めてください。それを炊きます。メスの出すフェロモンに似ているのでじきにオスが寄ってきますよ」

 ……。

 真っ赤な嘘である。

 もし本当なら街という街のジャム工房は今頃1軒残らず消し炭になっているだろう。

「では――」

「ちょっと待って。その前に確認しておきたいんだけど、あなたはホッパーの群れを追い払ってほしいと言いましたね」サーシャは村長に訊いた。

「はい」

「追い払われたホッパーはどこかに別のねぐらを探して他の村で悪さをするでしょうね。そうすればその村の人々は狩人を呼ぶために不要な出費を強いられ、狩人は……儲かるけど、出血を強いられることもある。依頼を殲滅にしなかったのは、なぜ?」

「邪魔なだけで、何も殺すことはないでしょ?」

「龍に対する良心、か。あるいはただ利己的なだけか……」サーシャはつぶやくように言った。

「倫理的に間違っていると?」

「いいえ。ただなぜ『人として』の利害を貫かないのか、少し疑問だっただけ。依頼は依頼なので指図はしません」

「……追い払ってもらうで構いません」村長は改めて言った。

「まあ、それを龍が良心と受け取るかどうかもわからないけど……」サーシャはセラを見て言った。「私たちは林で薪を探してきます。普通の薪ではダメなんですよ。匂いが変わってしまうので」


「たぶん殲滅の方が楽だっただろうね。ま、レイに人の言葉が通じるわけでもなし、好きに暴れてくれていいよ」サーシャは林に分け入ったところで言った。

「上手くやりますよ」セラは答えた。

「いや、水車の1棟くらい本当に壊してやりなよ。あんまり綺麗にやると変だから」

「はい」

「じゃあ、煙を立てるから、適当なタイミングで」


 セラは1人になった。

 鎧を脱ぎ、服を脱ぎ、人目を遮る谷あいに入ってアルカディア・レイの容姿をイメージした。

 メタモーフの群れと戦っていたレイ。

 レイが去ったあとセラに向けられたメタモーフたちの赤い目。

 なぜあの目はあんなに印象的だったのだろう?

 ……いや、今はレイだ。レイに集中しよう。

 体が大きくなり、腹の下で雪がこすれるのを感じた。

 セラはレイになっていた。

 平地に高い煙が見えた。かすかに甘い匂いがした。

 セラは飛び立った。

 ホッパーの「ギャギャギャ」という警戒の鳴き声が聞こえた。

 セラはひと声叫び、ブレスを放った。撃ち方は体が知っていた。

 光線は地面を走り、飛び立とうとしていたホッパーの何匹かを引き裂いた。

 ホッパーたちは逃げ惑いながらもセラの背後をとってタイミングをうかがい、攻撃を仕掛けた。

セラはデタラメにブレスを撃ってまとわりつくホッパーを追い払った。

 そして腹いせのように1棟の水車小屋の上にブレスを浴びせ、そこに残っていたホッパーの死骸の上に飛び降りて前足で押さえ、口で首を噛んで引き千切った。

 もう辺りにはホッパーの影はなかった。


―――――


 セラの暴れっぷりにサーシャですら怯えていた。

 石積みの重たい水車小屋は弾け飛ぶように崩壊し、残った基礎の上で木製のシャフトなどが燃えていた。

 ブレスを浴びたホッパーは僅かな破片を残して消し飛び、前足に掴まれた個体なんて紙細工みたいにやすやすと引き裂かれていた。

 セラは嵐のように飛び去った。

「なんてことだ!」村長が叫んだ。「水車が!」

「でもホッパーたちはいなくなりましたよ。みんなどこかへ行ってしまった。これでいいでしょう」サーシャは冷たく言った。「強いて言うなら、ホッパーたちがこのことを忘れる前に水車小屋に屋根をつけることです。とんがり屋根を。上が平たいから住みやすくなってしまう」

「わかりました。でも水車の再建費用分は引かせてもらいますよ」

「どうぞお好きに。クエストの達成証明さえ書いてもらえるなら」

 ドラゴン退治が成功ことを察した村人たちが家から出て歓声を上げたり笛を鳴らしたりし始めていた。

 彼らにとっては崩壊した水車小屋も勲章に過ぎないようだった。再建よりドラゴンに居座られる方がよほど厄介なのだ。

「サーシャ、あなたはセラの様子を見に行って。手続きは私がやっておくから」ソフィアが間に入った。


 サーシャが林に入っていくとセラはレイの姿のまま谷あいに蹲っていた。何ヶ所かホッパーの牙に刺された痕が見えた。

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