人間になります!
サーシャは結局セラを手放さなかった。
なつかれているという感覚がなんとなく心地よかったからだろう。何度か売り飛ばそうとは考えた。だが、別にカネが足りないわけじゃない、売ったところでどうせはした金にしかならない、と思うとモチベーションが失せてしまった。そのうち売ろうと思い立つこともなくなっていった。
サーシャは首都の家を引き払って郊外に農園のようなだだっ広い土地付きの家を買い、ほとんど放し飼いのようにセラを育てた。街道からも離れているので人目に触れることはまずなかった。
3ヶ月もするとセラは吐き戻しも全くやらなくなり、トイレも必ず砂の上でするようになった。ピィピィ騒ぎ立てることもなくなり、それどころかほとんど鳴き声も聞かなくなった。もともとメタモーフというのはあまり発声器官が発達した種類ではないらしい。
1年もすると成龍とほぼ同じ大きさ、体長4mほどまで成長し、口周りもスマートになり、脚は長く、翼は大きく、メタモーフ唯一の武器といえる鉤爪も鋭くなった。体長4mといっても首と尻尾の割合が大きく、体高は1.5mほど、体格的には人間より2回りほど大きい程度だ。翼を除けば最もオーソドックスな走鳥であるコンチネンタル・ランナー種によく似たシルエットだった。
そして何より、ふわふわの毛が抜け落ちて硬い羽毛にすっかり生え変わった。鱗ではなく羽毛に覆われているのがメタモーフを含む
ただメタモーフの最初の硬い羽毛は前羽といって成龍より灰色がかっていて、完全に大人と同じ姿になるのは生後2年程度と言われていた。
言われている、というのは決して確固たる研究が存在しないという意味ではない。初歩的な変身能力を使って幼龍が成龍に、また成龍が幼龍に化けてしまうことが多々あるので判然としないのだ。
セラが変身能力も身につけたのもその頃だった。
もちろんはじめから全身の変身が素早くできるわけではない。まずは一部分だけじっくりと時間をかけて変化させるのがせいぜい。何に変身するのかは本人の関心次第だ。
セラの場合、それは鳥だった。
ちょうど家の前に大木が植わっていて、そこをねぐらにするタカの様子がリビングの窓からよく見えた。
セラは幹によじ登ったり、生後半年ほどで飛べるようになったので木の周りを飛んでタカを捕まえようとしていたが、タカの方がずっと身軽で飛翔能力が高いのでまるで相手にされなかった。タカが逃げずにその木に居座り続けていたのが何よりの証拠だ。
ある日サーシャはセラの指先が茶色く変色していることに気づいた。セラ自身も自分の体に何の異変が起きているのかという不安な様子だった。
サーシャは何かの病気かと思ったが、数日経つと指が小さくなって肘にかけて冬芽のような風切り羽が生え始め、さらに数日経つと立派な翼になっていた。それで背中の膜翼はそのままなので、全然種類の違う翼が一対ずつというとても奇妙な格好になった。しかもその翼はセラの体に対して妙に小さく、飛行には何の意味もなさなかった。
セラはただその翼をバタバタさせながら走り回っているうちに満足して、また数日がかりで元の姿に戻った。
最初の変身というのはどうやらイメージと能力の暴走のようなもので、全然意図しない変化を遂げることもあるようだ。でもそれは遺伝子に刻まれた能力。タカの雛が飛び立つのと同じように、いつかは必ず扱い方を覚えるのだ。
セラはそれ以降ほとんど変身しなかった。セラとの2年目はいわば愛犬家と愛犬の平和な暮らしのような日々だった。毎朝の散歩を欠かさず、食事の支度はセラの視線との戦い、サーシャが狩りの日はセラは大人しく留守番、休みの日は厩舎の走鳥たちの世話をしてリビングで一緒にごろごろ、日が落ちれば寝床を並べて眠った。
神聖歴1620年12月。
2年経つと布団が作れるくらいたくさんの羽毛が抜けて、セラは真っ白なきれいな龍になった。口周りもほとんど色素が抜け、逆に色素が未定着のために青かった目は鮮やかな紅色になっていた。角が伸びないところからしてメスだった。
セラの誕生日、サーシャは森に入ってシルバニア・イエローピークを1羽仕留めた。いわゆるライチョウで、その肉は王家の台所でも使われる高級品だった。
サーシャがイエローピークを担いで家に戻ると、リビングに見知らぬ少女が裸で立っていた。
いや、「見知らぬ」というのは語弊がある。漆黒の髪、赤い目。それはサーシャそのものだった。
「誰?」サーシャは身構えた。
「サーシャ」少女は答えた。
「え?」
「あなたはサーシャ。私はセラ」
「人間に変身したの?」
「うん」
「人間に変身したの?」サーシャはパニクって同じ質問をした。
「うん」
「そう、人間に変身したの……。でも、その見た目はちょっと」
「だめ?」
「だめじゃないんだけど、居心地が悪いというか、見心地が悪いというか……」
「だって、人間ってあなたとソフィアしか知らないから」
「そう、そうね。でも少し変えられない? もう少しもとのあなたっぽく、髪の色とか」
「これなら、どう?」
そう言うとセラの髪が上から脱色されるように変化していった。青みがかった銀色の髪、紅色の目。抜けるように白い肌。人離れした容姿になった。
「いいよ。それにしても、変身すると喋れるようになるのね――」
セラはサーシャに飛びついて頬ずりした。
すりすり。
「サーシャ」
「どうしたの」
「ずっと練習してたの。2年経ったらあなたを驚かせようって」
「どうして?」
「人間になったらもっとずっと一緒にいられるでしょ? 街へ行ったり、狩りに行ったり」
「待て待て、狩り?」
すりすりすり。
「とにかく、人間になりたかったの。人間に育てられたのだから、その方が自然でしょ」
「私はおまえの父さんを殺したんだよ」
「でもその分育ててくれた」
すりすりすりすり。
「うん。わかったよ。わかったから、そろそろ頬ずりをやめてもらわないとほっぺがズリ剥けになりそうだよ。あと、服を着て」
セラは手先も器用で、今までよく見てきただけあって料理の手順も把握していた。メタモーフの観察力はさすがのものだ。
「せっかくのプレゼントなのにね。私の方がサプライズされちゃった」
「それはイエローピークに失礼ですよ。とってもおいしいし。ねえ、明日は街へ連れてってください」
「……うん。私もいろいろとソフィアに訊きたいことができたからね」
翌日、サーシャは厩舎からコンチネンタル・トランスポーター種の走鳥を連れ出して首都に向かった。ランナー種に比べると走力は落ちるが、背中が長く、荷箱をかければかなりの荷物を運ぶことができる。セラとの2人乗りも楽々だった。
ソフィアはセラの観察のために度々サーシャの家に出向いてきていたが、逆にセラを龍研に連れていくのはセラの誕生日以来初めてのことだった。
ロビーで待っているとソフィアは10分ほどで迎えに出てきた。
「急に、それにあなたの方から来るなんて。セラの誕生日検診をしたばっかりなのに」
「セラです」セラは言った。
「何が?」
「この目を見て。セラの目でしょ?」
ソフィアはセラの目を覗き込んで、引きで全身を見て、それから気絶した。
まさか人間に変身するなんて思いもしなかったのだろう。
「大丈夫?」
サーシャが危うく抱き止めるとソフィアはすぐに戻ってきて足腰を立て、2人を地下に案内した。
暗い階段を降りて扉を2枚抜けると巨大な箱の内側のような真っ白な空間で、天井に四角い穴が開いていた。大きなドラゴンの観察設備らしい。
「だって、ついこの間まで変身するそぶりなんてまるで見せなかったじゃないの」
「完璧に綺麗に変身して、言葉もできるようになって、そういう姿を最初に見せたかったんです」
「1人で練習してたのね」
「はい」
「ということは不格好な変身もあるということかしら? というかどうやって変身するのか見てみたいわね」
セラは紺色のワンピースをぽーんと脱ぎ捨てて素っ裸になった。
「ああ、服を着たままだと引っかかるのね」ソフィアは納得した。
「破いたら帰りに着るものがなくなっちゃいます。じゃあ行きます」
セラはぐるりと腕を回して腰に当てた。
「そのポーズ何か意味があるの?」
「いいえ。ただ、こう、合図というか」
セラの全身が粟立ち、尻尾と翼が生え、首が伸びてメタモーフの姿になった。かかった時間はものの10秒くらいのものだった。
「すごいわ。滑らかなものじゃない」ソフィアは歓喜した。「ゆっくり変身もできるの?」
セラは少し悩んでからまず手足を人間の姿にした。
「おお!」とソフィアが言ったところで変化が止まった。ドラゴンの体に人間のぬるっとした手足がついたなんとも妙な姿だった。そのまま歩くと人間の足がぴたぴたと音を立てた。
「セラ、そこで止めるはちょっとエグいからやめて」サーシャは言った。
セラは完全に人間の姿になって「ふぅ」と一息ついた。顔の変化をまじまじ見ていると結構グロテスクで気持ち悪かった。
「龍の姿では喋れないのね」ソフィアが訊いた。さっきから目元に指をあてているが、それが彼女の考える時のポーズのようだ。
「はい。声、出ないんですよ」
「そうか、やはりメタモーフの変身は見かけだけでなく物理的な身体構造そのものを変化させるのね。喉だけではなく、言語機能をつかさどる神経系の構造まで変化させている。だから話すことができるのよ」
「でもこの子はまだ2歳なのよ」
「だから、赤ん坊でも幼児でもなく、言語能力が十分な10代半ばの人間に変身しているのよ。2歳といえばメタモーフとしては成熟年齢よ。対象を選んで好きに変身できるのは当然よ」
アポなしで来たせいでソフィアはあまり時間が取れなかった。サーシャとセラは次回の約束をして龍研をあとにした。
セラは龍研前のテラスから一望できる街並みをきらきらした目でしばらく眺めていた。風が銀色の髪を煽って光らせた。
「人間ってすごいですね。こんなに集まって、建物を建てて、景色を変えてしまうんだ」
「それは少し違うよ。すごくはない。ただこうやって集まって誰かに守られていないと、普通の人間は弱いから、自分1人で龍から身を守ることができないの」サーシャは手摺に寄りかかって頬杖をついた。
「人間と龍は敵同士……」とセラ。
「敵ではない龍は鳥になったよ」
「どういうこと?」
「大昔、鳥と龍の祖先は同じ生き物だったの。人間より大きな生き物を食べるものは龍に、人間より小さな生き物を食べるものは鳥になった」
「それって……」
「そう。人間が勝手に線引きしているだけなのよ」
「……龍にもいろいろいる」
「そう、人間にもいろいろいる」
セラはもう少し考えた。
「サーシャ、私を狩人にしてください」
「龍でも鳥でもなく、人間になりたい、か」
「はい」
「自分の親戚を殺すことになるかもしれない」
「それでも。私の育ての親はサーシャです」
「そういう覚悟なら、いいよ。上等。武器屋に行かなきゃ」
サーシャはセラの頭をぽんとひと撫でしてテラスを離れた。
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