一匹の龍が狩人になるまで

アルカディア・レイ種(偽)

 神聖暦1618年12月。

 サーシャはある討伐依頼のために北部山脈にいた。交易の要衝であるセラの谷近くに白龍が居着き、谷を通るキャラバンを度々壊滅させているという話だ。

 サーシャはクライアントが手配した荷車に乗ってキャラバンに随行、ドラゴンが襲いかかってくるのを待った。


 雪で煙った空に咆哮が木霊した。

 サーシャは毛皮の防寒着を脱ぎ捨て、荷車の外に身を乗り出した。

「方角は?」

「北北西」キャラバンのおさが答えた。

 荷車を引く走鳥たちが揃ってその方角に顔を向けたのだ。

 足を止めたキャラバンをあとに、サーシャは谷を進んだ。

 谷といっても両側の斜面はさほど険しくない。ただ岩場で灌木も茂っているため踏破は難しい。

 装備は両端の尖ったパワー系の槍杖、鏡面仕上げの白と金の鎧。雪に紛れる色合いだ。

 空に気配。

 白い影。

 十字形のシルエット――ドラゴン。

 サーシャは杖を掲げ、〈神速の火線ラピッド・ブレイズ〉を連射した。パルスレーザーのような攻撃がドラゴンの飛行を妨げ、回避を促した。

 ドラゴンは低空でくるりと回ってサーシャの頭上をかすめ、背後に着地して咆哮した。

 体長約14m、白い鱗、スリムな体躯、やや紫がかった翼膜、間違いない、アルカディア・レイだ。長い首に刻まれたエラ状の虹色の模様はオスの特徴、心なしか腕もたくましい。

 サーシャはニヤリと笑った。

 上手く敵と認識してもらえたようだ。ここで無視されれば戦いにならない。

 レイは咆哮のまま駆け寄り、ジャンプして噛みつきにかかった。

 サーシャは〈切断する火線レーザー・ブレイズ〉を放った。

 細く収束した炎を数秒間持続的に放射して刃物のように扱う技だ。

 だがレイは空中でくねりと体を捻ってそのひと振りを躱した。このしなやかさがレイの脅威のひとつだ。

 レイは頭を寝かせて顎を開いた。噛みつきだ。

 サーシャは避けずに槍をただ水平に構えた。

 そのまま顎を閉じれば杖が突き刺さる。 

 レイは引いた。そしてブレスの姿勢をとった。

 レイの口の中がきらりと光り、白黒の光線が空間に突き刺さった。

 光芒そのものは細いが、周囲の大気が歪み、地面の雪が溶けて幅2m近いまっすぐな道を作り出した。その道は大気の霞みの果てまで続いていた。

 レイの最大の脅威にして名前の由来がこの光線だ。

 サーシャは巨大な火球を目の前に展開、振り下ろされるブレスを受け止めた。火球は回転によって威力を受け流す。

 しかしそれでも次第に火球の表面が崩れ始めた。

 持たない! そう判断したサーシャは地面の窪みを探して飛び込んだ。

 遮るものをなくしたブレスは一瞬でサーシャの周りの雪を溶かし、頭上の岩を貫いてマグマのように溶解させてしまった。

 レイは止めとばかりに窪みに飛び込み、前足でサーシャの体を掴んだ。前足の器用さもレイの特徴だった。

 サーシャの全身が軋み、鎧がバリバリと砕け始めた。

 レイは空いた前足で鎧の肩当てを剥ぎ取り、一緒にフードを毟り取った。

 肩当ての結束部が脇に食い込み、サーシャは苦悶の表情を浮かべた。

 だがそれが決定打を呼び込んだ。

 身動きの取れないサーシャは鎧のスカートが溶けるのも構わず、掴まれた姿勢のままにレーザーブレイズを放った。

 火線は鎧や岩に跳ね返りレイの鱗を焼いた。

 掴みが緩んだ隙に抜け出すと、サーシャは杖のグリップを握り、火線の太さを絞った。

 青白く変わった火線はさながらレイのブレスのように雪と岩を裂き、鱗に弾かれながらもレイの喉に突き刺さった。首と胸板の間、ちょうど鎖骨の窪みのあたりに鱗の薄い部分があるのだ。かなり首を上げなければ狙えない位置だが、サーシャはレイのふところにもぐり込んでいた。

 喉に穴を穿たれたレイは雪の上に倒れた。即死だった。


 だがサーシャに息をつく時間は与えられなかった。

 死んだレイの姿は風船の空気が抜けるように変化していった。

 体が縮み、硬い鱗は羽毛状に変わり、体色から青みが抜け、角は枝分かれがなくなり、顎は細くなっていった。

 サーシャは目をこすった。

 そこにいたのはアルカディア・レイではなくイストリア・メタモーフだった。どちらも珍しい種類、雰囲気は似ていなくもないが、メタモーフの大きさはレイの半分以下。メタモーフは擬態のための変身を得意とする種族だが、同族との争いが絶えないレイ、それもオスに変身するなど通常では考えられない。

 だとすれば、他のドラゴンに襲われるのを避けるためにそうしたのではないか?

 メタモーフは多種との競合を避けて冬に繁殖を行う。抱卵と育児はオスの役割だ。

 レイに化けていたメタモーフはオスだった。メスには角がない。メタモーフの変身は性別を超えるが、基本的にオスはオス、メスはメスだと聞く。

 

 サーシャは血を吐きながらメタモーフが巣穴を掘りそうなこんもりした雪の塊を探した。

 果たして、寒さで真っ黒に変色したカンブリア・インフェルノがメタモーフの掘ったを突き崩し、中に収められた卵を口いっぱいに頬張っているのが見えてきた。

 インフェルノはサーシャを見つけると、まるで悪いことをしていた自覚でもあるかのようにプイっとそっぽを向いて飛び立った。

 サーシャがかまくらを見に行くとほとんど孵化直前だった卵はあらかた噛み殺され、完全な状態で残っているのはたった1つだった。それも裏返すとヒビが入っていた。

 だがそのヒビは外からの力によるものではなかった。

 ヒビは広がり、嘴のような顎が現れた。辺りの騒がしさで早く出てこなければと思ったのかもしれない。

 サーシャはその雛を持ち帰ることにした。メタモーフからは金になるような素材は採れない。もともとまとまった採取量がなく活用法が知られていないし、今回のように他の種類のドラゴンだと思って狩ったらメタモーフだった、というがっかり案件が多く、クズ龍として狩人たちから嫌われているのだ。

 だが狙って狩ろうとするとそれはそれで難しい。生きた個体となれば研究機関も欲しがるのではないか、という見込みだった。


 雛を毛皮にくるんで荷車に乗り、キャラバンと別れ、馭者ぎょしゃに頼んで街まで急がせた。サーシャは荷車の上で自分に治癒術をかけた。

 狩人ギルドは夕方の店仕舞いに入る直前だった。

「少し待っておいて」サーシャは馭者に頼んだ。

 中へ入ると受付さんがペンやベルを片付けてカウンターを拭いていた。

「アルカディア・レイの依頼を終えたんだけど」

「お疲れさまでした」受付さんはちょっと億劫おっくうそうに答えた。サーシャの乱れた格好を見て何か面倒事だと悟ったらしい。

「アルカディア・レイじゃなくてイストリア・メタモーフだったわ。報酬はもらえないけど、発注を間違った分の補償はしてもらわなければ」

「メタモーフだったと確認できる証拠はありますか」

「これよ」

 サーシャは毛皮をどんとカウンターに置いた。包みがほどけて雛が現れ、ピィピィ鳴いた。それも可愛い鳴き声ではなくて、喉が破れても構わんというくらいの大音量だった。

 受付さんはちょっとギョッとしたあと、バックヤードに顔を突っ込んで鑑定さんを呼んだ。

 鑑定さんは眼鏡を直して図鑑を開き、ペンの先で雛の毛並みをほじくったり、ひっくり返して尻の穴の形を確かめたりした。

 雛はひっくり返された時にをした。は水っぽく、カウンターに落ちて白く飛び散った。

 受付さんが厭々を拭っている間、鑑定さんはすらすらと鑑定書を書き、封蝋をしてギルドの印を押した。

 鑑定書を渡すと鑑定さんは耳に指を突っ込んですぐバックヤードに戻ってしまった。

「クライア……」

「ピ ィ ィ ィ ィ ィ イ イ イ ィ イ ! ! 」

 延々と続く雛の鳴き声が受付さんの声を遮った。

「クライアントに連絡を取りますが! 返事は明日になるでしょう! あなたの連絡先を教えてもらえますか!?」

「え? 聞こえない!」

「連絡先、レ・ン・ラ・ク・サ・キ、です」

「ああ! で、雛はどうするの?」

「明日クライアントに届けてくださ」

「ピィ ピィ ピーイ ィ ィ ィ イ イ ィ ィ イ イ イ ! ! 」

「……ええと! ギルドでは預かれません。ア・ズ・カ・レ・マ・セ・ン。夜は誰もいなくなってしまいますから」

 サーシャは延々と鳴き続ける雛を毛皮に押し込んで建物の外に出た。

 馭者は走鳥に水をやりながらきちんと待っていた。

「ねえ、あなたは誰がクライアントなのか知らない?」サーシャは声をかけた。

「いいえ。運送ギルドからアサインされただけですから。うちのギルドもここから頼まれただけだと思いますよ」

「そんなものよね」

「宿はどこです? 帰りがけなら送っていきますよ」

「カドモス通り」

「それならちょうどいいや」

 御者は荷台を指した。まるで妹みたいにフランクな少女だ。

「ありがとう。今日はあなたがいちばん優しいよ」

 

 宿に着くとサーシャは部屋を暗くしたまま毛皮を解いて雛の口と鼻を押さえ、鳴かなくなるのを待った。龍を連れ込んだなんてことがバレれば追い出される可能性が高い。

 手の中の振動が消えた。

 一瞬、死んでしまったかと思ったが、手を離すときちんと息をしていた。眠ってしまっただけのようだ。

 危ない危ない。生きている方がずっと高く売れるに違いないのだから。

 サーシャも疲れていた。鳴き声の心配がなくなると眠気がどっと押し寄せてきて、鎧を着たまま眠ってしまった。

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