第5場(2)
テウタテス側にもギギの同族と思しき竜がいて、軍に睨みを利かせていた。そこへ竜の背中に乗って敵方の国王夫妻が現れたのだから、警戒が一層硬くなるのも道理であった。
和議を申し入れる前に、テウタテスの将軍が姿を現わした。敵方の首領の、突然の登場に対抗する気持ちがあったものと見受けられる。彼は護衛を伴うこともなく、一人でマリアたち夫妻の前に歩み寄ってきた。
口元を硬そうな髭で覆われた、いかにも武人といった趣の男であった。鎧を着けずとも岩のような体格で、左目は刀傷で潰れていた。敵方とはいえ一国の王を前にして、軽い会釈と握手だけで済ませたのは、無礼というより、このような場での武人として正しい振る舞い方であるように見受けられた。
「噂には聞いていましたが、お若いですな」将軍は言った。身長差から、自ずとジョルジュが見下ろされる形となった。「このような若者を相手に攻めあぐねていたとは」
「こちらはいつでも必死でした。朝日を見るたびに、常に最後の朝だと覚悟を決めながら戦の支度をしていました」
将軍は呵々と笑った。ジョルジュも笑った。
「して、停戦の申し入れとのことだが……」
将軍の視線が、マリアたちの後方に向けられた。ギギが鎮座している。更に上空には、彼の仲間たちが留まって地上を見下ろしている。
「降伏勧告ではないのですな?」
「彼らは我々の戦いを停めに来たのです」ジョルジュが言った。「もし戦いを続けるのなら、私たち諸共焼き払う筈です」
「とんだ仲介役を連れてきたものだ。竜はあなた方の王都を焼いた忌むべき存在とばかり思っておりましたが」
「幸いにして、私の妻が竜と友達になったのです」
それまでジョルジュの後ろに控えていたマリアに、将軍の眼が向けられた。
「ほう、細君が」
将軍は、何かに気付いたように「失礼」と言ってマリアの左手を取った。そしてまじまじと、その手首に嵌められた腕飾りを眺めた。
「なるほど、角ですか」
「伝説を御存知なので?」マリアは訊ねた。
「私も山沿いの出です。タラニスの竜の伝説は、子供の頃から聞かされて育ちましたよ。『竜は恐ろしい存在だが、その身体の一部を持つ者は夢の中でわかり合うことが出来る』とね。竜の角や爪をよく探し回ったものだ」
「同じ王国にいるわたくしたちは、そのような伝説をすっかり忘れていました」
「近すぎる故、災厄としての側面も大きく映るのでしょう。尤もそれは、国同士にも言えることかもしれませぬが」
「言葉を交わせば、わかり合うことが出来る筈です」マリアは身を乗り出すように言った。「剣を交えるより先に、我々は互いのことを知ろうとすべきだったのです。ただ相手のことを疑うのではなく」
「それが出来ぬから、争いが生まれる」将軍が、硬くも柔らかくもない声で言った。「理想を述べていることは、ご自身が一番よく理解してらっしゃいますな?」
頷きたくはなかった。認めてしまえば、自分がこれまで大事に抱えてきたものを、放棄することになるような気がした。それは硝子細工のように繊細で、ひとたび落とせば粉々に砕け散り、二度とは元に戻せぬものだった。
だが、ここは嘘を吐く場ではなかった。我を張り通すには、腕に抱えた硝子細工に較べ、失うものが大きすぎた。
マリアは、ややあってから頷いた。
値踏みするように彼女を見ていた将軍は、やがて口髭をしごいていた手を止めた。
「しかし、理想なき場所に未来はない」
相手の言葉に、マリアは顔を上げた。
「理想があるから、人はそちらを目指して進む。良くも悪くも」
「ええ、その通りです」
「細君――いえ、王妃殿下。貴女は夢見がちな理想論者かもしれないが、貴女のような考えがなければ、両国の行き着く先は恐らく闇だ」それから将軍は、改めてジョルジュの方を向いた。「停戦の申し入れ、受け入れよう。国境線を河の中間とし、我が軍は領内へ引き上げます」
「ご英断、感謝いたします」ジョルジュは頭を下げた。
「良い細君を持ったものですな。やはり戦は、後ろを守る女房が左右する――」
そこで、将軍の言葉が途絶えた。
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