第5場(1)

 ギギが草の上に降り立つと、野営地からは出撃を控えた兵たちがガチャガチャと装備を鳴らしながら飛び出してきた。武器の矛先が漏れなく向けられる中、マリアはギギの鱗に手を掛けながら、彼の背中を降りた。

「国王陛下を」彼女は狼狽える兵たちに言った。「陛下はおられますか」

 すると人垣が割れ、虚ろな足取りでジョルジュが現れた。

「マリア殿下……ご無事でしたか」

 マリアはスカートをたくし上げながら、夫に駆け寄った。

「陛下、お願いがあります。すぐにわたくしと来て下さい」

「どこへ行くのです?」

「相手方の、テウタテス軍の本陣です。戦いが止んでいるこの隙に、今一度和議を申し込みます」

「受け入れられるだろうか」

「だからこそ、貴方が行かねばならないのです」

 そう言ってマリアはジョルジュの腕を掴み、踵を返した。そして夫を連れて、ギギの元へと戻った。

「ギギ、お願い。わたしたちを向こう岸まで連れて行ってほしいのだけど」

「それが君の望むことならば」そう言ってギギは頭を下げた。

「ありがどう」

 マリアと、それからジョルジュも竜の背中に乗り込んだ。

 ギギが羽ばたき、地上を離れた。彼はゆっくりと、風の流れに乗るように、闇の中を進み出した。

 ふと、夫の視線が気になった。マリアが振り返ると、ジョルジュは逃げるように俯いた。

「いや、すみません」

「陛下が謝ることはありません。むしろ、謝らなければならないのはわたくしの方……」

「あの夢で」と、ジョルジュは言った。「貴女が竜に呼び掛けているのを見てからも、心のどこかでは『あれは夢だ』と思っている自分がいました。しかし本当は、『信じていない』のではなく、『信じたくなかった』だけだったのだと、ようやくわかりました。私はただ、傷つきたくなかっただけなのです」

「陛下……」

「私は弱い人間です。傍に居ながら、決してこちらを向いてくれない貴女を見ていることに堪えられなかった」

「それで、わたくしを牢へ?」

 ジョルジュは弱々しく頷いた。

「王として、成果が欲しかった。テウタテス軍の動きを聞いた時は、いよいよその機会が来たと思いました」

「では、出兵を決めたのは、飽くまで貴方の御意志なのですか?」

「そうです。そうした決断も、貴女の面前ではする勇気がなかった。貴女の眼がないのを良いことに、豪気に駆られて、戦争を始めたのです」

 自嘲して笑うジョルジュは、今にも夜風に崩れて消えてしまいそうだった。そこに、竜の討伐に成功した「栄光の騎士」の面影はなかった。あるのは、一人の青年の、疲れ果てた顔だけだ。それは激しい風雨に晒され続け、ついに露出した、彼の本性でもあるようだった。

 マリアは目を細める。ようやく、夫の人間らしい一面を見た気がした。

「陛下」そう言って、彼女は夫の手を取った。「貴方の辛いお気持ちを、何一つとして汲んでいなかった愚かな妻を、どうかお許し下さい」

「マリア様……」

「そして、くれぐれも功を急がないで下さい。貴方には貴方の進む速さで、王国を統べていただきたいのです」

「私をまだ、国王の椅子に座らせておくおつもりですか」

「貴方の勇敢さを見逃すほど、役立たずの両目を持った覚えはありません」

 ジョルジュの瞳で、光が大きく揺れた。彼は再び俯き、間もなくして面を上げた。

 マリアが取り上げていた手が、反対に握り返される。同じように手を取られたことが前にもあったと、マリアは思い出した。

「マリア様が命ぜられるならば」そこには、騎士の顔があった。「私は王として、この身を貴女に、そして王国へ捧げます」

 ジョルジュはマリアの手を引き寄せ、その甲に口づけした。マリアは、かつて呆気に取られながら眺めるしかなかったその様子を、今度は胸に温かいものを感じながら見守ることが出来た。

「マリー」と、ギギの声がした。「もうすぐ降りるよ」

「ええ、お願い」マリアは頷いて、夫の隣に身を屈めた。

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