第4場(2)

 その晩、マリアとジョルジュは寝床を共にした。誘った、というと語弊がある。彼女はあくまで自然に〈提案〉したのだ。ノルマントとの話を立ち聞きされたとは知らないジョルジュはこれを快諾した。喜びを押し隠している風でもあった。

 どちらからともなしに、相手の肌に手を伸ばした。決して短くはない時間、二人は体温を分け合った。このような営みはしかし、婚礼の初夜から数えてもまだ指折り数えられる。時期にすると、一つの季節を丸々跨ぎ越した分の時間が前回の時より経っていた。これを「少ない」と捉えるのかはマリアはわからなかったし、面と向かって注意する者もなかった。ノルマントに言われなければ、恐らくもっと期間が空いていたかもしれない。

 なんだかノルマントに乞われてこうしたようだ。そんなことを、マリアは夫に愛されている最中に天井を見上げながら考えた。

 不意にジョルジュの動きが止まる。まさか頭の中を見られたかと肝を冷やしたが、彼が見ているのはマリアの頭ではなく、左手だった。正確には、手首にぶら下がった腕飾りである。しっかりと組み合わされていた手が解かれ、腕飾りに触れた。

 マリアは口の奥の奥で、小さく舌打ちしたい気分だった。入浴の時は、ロゼッタにされるがままなので、わざわざ意識せずとも腕飾りはなくなっている。今回もされるがままといえばまあその通りだが、相手が違えば一から十まで勝手も違った。それに、慣れぬこと故、少なからず緊張もあった。

 だが、しくじりを痛感させる何より大きな原因は、昼間の夫と宰相の会話を聞いておきながらこのような失態を犯した自分である。翼竜信仰を疑われ、それを夫に庇われ喜んだ身でありながら、結局は竜の一部を身につけている。これは夫に対する大きな裏切りであり、同時に哀しいぐらい間が抜けている。ともすると、わざわざ喧嘩をふっかけているように思われるかもしれない。

「この腕飾り……ずっと嵌めていますね」

「お守り、のようなものです」マリアの喉は渇ききっていた。

「何かの角のようだ」

「ええ、動物の」

 ジョルジュは何も気付いていないらしい。本当に動物の牙か何かだと思っているようで、マリアを舐るのと変わらぬ手つきで腕飾りを検分した。

「仄かに温かい」

 それについて、マリアは何も答えられなかった。


〈果てのない湖〉にギギが立っていた。その背中は紛れもなくギギのものだった。

 尤も、この場に自分とギギ以外の誰かがいることはない。そんなことはありえない、と彼女は今更ながら己に教え諭す。

 この夢を見るのがいつぶりだかわからない。たしか、前に見た時は自分一人のうちに目覚めてしまった。それが今日はギギがいる。嬉しくて、つい声を掛けそうになったところで、マリアははたと立ち止まる。ギギと会うのが、あの夜以来であると思い出したのだ。

 あれから少なくはない時間が過ぎた。時が経てば少しは気軽に話が出来るような気がしていたが、そんなのは淡い期待でしかなかった。いざ、(夢の中とはいえ)実際に本人を目の前にしてみると、やはり言葉が出てこない。お互いを隔てるきっかけとなった出来事はあまりに深く、大きなものとして、二人の間に横たわっていた。

「ギギ……」ようやく、呟くような小ささで言った。

 マリアの声が届いたかは定かではない。だが、彼女が言うのとほぼ同時に、ギギの背中から羽が生えだした。翼竜の物だ。続いて尻尾が生え、身体がムクムクと膨れ、全体が細かい鉄板のような鱗に覆われていく。瞬く間に青年は首の長い翼竜に変貌した。王都に甚大な被害をもたらした、あの「角折れ」の竜である。

 翼竜が羽ばたく。水面が揺れ、滴がマリアの方へ飛んできた。巨体がふわりと浮き上がる。丁度身体一つ分浮かんだところで、竜は空中を踏み切るようにして飛び去った。尖った尾の描く軌跡が、残像となってマリアの眼に焼き付いた。瞬く間に青空へ吸い込まれていく竜の影を、彼女はいつまでも見送った。しばらくして目を落とすと、波紋で揺れていた足元は、再び鏡のような静寂を取り戻していた。

 背後に気配を感じ、振り返る。そこには誰もいなかったが、僅かに湖面が波打っている気がした。

 そこで目が覚めた。

 薄目を開くと、カーテンの隙間から差し込む朝日が真っ白なシーツを斑に輝かせていた。 肩が冷えると思ったら、裸のままだった。マリアはシーツを引き上げながら、夜着を取ろうと身を翻した。やけにベッドが広く感じられたが、それも道理、寝床にいるのは彼女一人だった。

 辺りを見回しても、やはり一人である。ただ、ベッドの半分に残る温もりが、そこに彼女以外の人間がいたことを告げていた。

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