第4場(1)

 隣国テウタテスでの政変の報せが届いたのは、マリアとジョルジュが向かい合って朝食を摂っている時のことだった。報せを持ってきたのはノルマントで、報せを聞くなり若き国王を連れて執務室へと籠もった。マリアは置き去りにされた形となった。

 食事を切り上げ夫の部屋へ向かうと、僅かに開いた扉の隙間からジョルジュとノルマントが今後について話し合う姿が見えた。古来、ベレヌスとテウタテスは因縁浅からぬ間柄だった。諸問題の原因は西の平原の領有に関するものだったが、それでも先王の働きにより、近年は良好な関係を築きつつあった。

 テウタテスには以前より政情不安の噂が囁かれてはいた。騎士団の発言力が増していき、民衆の支持も集めつつあったという。この騎士団の団長というのがタカ派な思想の持ち主で、ベレヌスに対しても強攻的な手段に出るべきだと常々訴えていると、マリアの耳にも届いていた。

「すぐに平原へ兵を送るべきです。先手を打って守りを固めなければ」

 だが、ノルマントの言葉を受けてもジョルジュは渋っていた。

「人命に関わることだ。王妃殿下と話し合わなければ」

「事は一刻を争います。すぐにご決断を」

「しかし……」

「陛下」噛んで含めるように、ノルマントが言った。「誠に申し上げにくいことではありますが、私には王妃殿下が正常なご判断を下せる心理状態にあるとはどうしても考えられません」

 マリアはドアノブを握ったまま動けなくなった。

「な、何を言う」彼女の気持ちを代弁するかのように、ジョルジュが声を挙げた。

「これは殿下ご本人の責任ではございません。あの方は突然お父上を亡くされ、心の準備も整わぬままに女王の座に就くこととなりました。重責に、心身への負担が掛かっていたとしても無理はありません。私どもにも責任はあるのです」

「彼女は至って平常だ。狂ってなどいない」

「人に対しては、そうなのでしょう。ですが、竜に対する感情も、いささか博愛に過ぎるきらいがあります」ノルマントは続ける。「いえ、はっきり申しましょう。あの方は、翼竜を信仰していらっしゃる」

 無意識のうちに、マリアは左手首の腕飾りに触れていた。

「まさか」ジョルジュは鼻で笑う。それでいて、拭いきれない何かが鼻に付いている。

「陛下はご覧になられませんでしたか。あの晩、王妃殿下が塔の屋根に立ち、翼竜と触れていたのを。普通の人間にあのようなことが出来ましょうか」

 間が空いた。考え込むジョルジュの姿が目に浮かぶ。

「何かの間違いでは」やがてジョルジュは言った。

「そう信じたいお気持ちはよくわかります」しかし、と宰相の言葉は続く。「陛下ご自身にも思い当たる節はございましょう?」

「思い当たる節?」

「立ち入ったことを申しますが、王妃殿下とは床を別にされているとか。城の中、いえ、国中で噂になっております」

 マリアは目を見開いた。夫婦の寝室のことをまさか他人から、それも、よりにもよってノルマントの口から意見を聞くことになろうとは思ってもみなかった。怒りと驚きと悔しさと哀しさが一遍に押し寄せ、頭を芯から痺れさせた。

 よほど弁明しに入ろうとしたが、その前にジョルジュの声が聞こえてきてマリアを思い止まらせた。

「夜のことは我々二人で決めたこと。心配される気持ちもわかるが、熟慮の末に出した結論だ。他人にとやかく言われる筋合いはありません」

「奥方様が夜な夜な翼竜に祈りを捧げていても?」

「信仰の自由はこの国の基本理念の筈。それは民のみならず、王族にも当てはまろう。少なくとも私は、殿下がどのようなものを崇めようと彼女を愛する気持ちに変わりはない」

 気付けば早まっていた呼吸が、段々と落ち着いてくる。冷えてくると、顔が上気していたこともわかってくる。

「さいですか」ノルマントが呻くように言った。

 マリアはドアノブに掛けていた手を離した。それから、誰かがやって来る前にその場を後にした。廊下を足早に進む彼女は、両側から圧迫されているような苦しさを胸元に感じていた。

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