第2場(1)

 御前会議は粛々と行なわれた。各機関による王都復興の報告が、担当の大臣たちによって淀みなく読み上げられていく。復興初期のような混乱も今では収まり、事務的な、形式張った報告が殆どとなっている。

「続いては私から」

 そう言って、宰相ノルマントが立ち上がった。彼の持ってきた事案は、教会の修復に関するものであった。教会は、奇跡的に本堂こそ被害を免れたものの、尖塔が竜の熱線により断ち切られていた。それを直して欲しいとの訴えが、宰相の口を介して述べられたのである。

「陛下、何卒ご一考いただきますよう、私からもお願い申し上げます」ノルマントは頭を下げた。

 尤も、その敬意が向く先はマリアの方ではない。彼女の隣の玉座に座るジョルジュ――ジョルジュ=アジルールフォ=ベレヌス陛下に向けられたものであった。

 彼は口元に手を充て、考え込んでいる。その横顔はいかにも真面目に思案している風である。やがて自身の内で答えに達したらしく、青い瞳がマリアの方を向いた。穏やかに促すような眼差しだった。

「あなたはどう思われますか、王妃殿下?」

 マリアは夫に目配せする。あくまでも自分の面子を保とうと水を向けてくれる気遣いへの感謝を示したのだ。その上で、彼女は口を開く。

「わたくしは不要であると考えます。幸いにして、教会本堂の方は災禍を免れ、人々の拠り所として十分に役割を果たしています。尖塔は意匠の意味合いが強く、先々代の司祭の代に造られたりと、歴史的にもそう深いものでもありません。それよりも今は、復興の遅れている地域への援助を優先するべきです。市街地は徐々に元の姿を取り戻していますが、下町にはまだ瓦礫が残っている区画もあります。人々の暮らしを、何よりも先に考えなければならないとわたくしは思います」

 するとジョルジュは頷き、

「私も王妃と同じ考えですが、いかがでしょう、宰相閣下? 納得いただけましたか?」

「……国王陛下がそう仰るのでしたら、異論はありません」

 そう言ったノルマントが歯噛みするのを、マリアは見逃さなかった。それから、一瞬だけマリアへ刺すような眼を向けてきたことも。


「また宰相閣下のお怒りに触れたようですね」鏡の中でロゼッタが、マリアの髪を梳かしながら言った。

 何のことだか、マリアにはすぐにわかった。

「怒らせたつもりなどないわ。ただ真実を述べただけ」

「閣下と教会の仲を御存知ないわけではないでしょうに」

「だからといって、今も屋根のない暮らしをしている人々を放ってはおけません」

「もちろんそれも大事ですが」ロゼッタは声を低める。「ご自身の安全のこともお考え下さいまし」

「わかっているわ」マリアは胸苦しさを覚えながら言った。

 翼竜の襲撃の後、マリアはノルマントによって拘束されかけた。彼女が竜に魂を奪われ、王都を襲わせたというのだ。宰相の言葉には教会の後ろ盾も加わり、一時は女王が竜に拐かされたという俗説が国中に広まった。そんな中、あわや女王の追放という危機を救ったのが、ジョルジュであった。

 ノルマントは王家存続の条件として、ジョルジュとの即時結婚をマリアに要求した。王都復興に向けて人心を束ねるために必要だというのだ。実際の形式としてはもう少し穏やかなものだったが、その本質はどう振り返ってみても「要求」と現わすべきものだった。

 かくして二人は、王都復興の旗印として結婚を果たした。そこに愛があったといえば嘘になるが、忸怩たる思いを抱えての婚儀でなかったのは、マリアにとって数少ない幸いのうちの一つである。ジョルジュの方でも、国王という立場に立ったものの、ベレヌス王国の君主は王家の血を引くマリアであるとの見解を崩さなかった。いつでもマリアを引き立て、国政に関わる事柄では全てマリアによる裁定を仰ぐのであった。

 そんな夫とはしかし、寝床は別々にしている。マリアは相変わらず少女時代と変わらぬ部屋で寝起きし、ジョルジュは先王の居室を生活の場としていた。夫婦となってから一度も閨を共にしたことはない。別段求められないので、拒むこともなかった。かといって、こちらから誘うようなこともしなかった。

「ねえ、ロゼッタ。わたしはひどい女なのかしら」マリアはロゼッタに助言を求めた。

「後ろめたさを感じているのなら、陛下のお部屋へ行けば良いではないですか」

「……意地悪」マリアはむくれる。

「あなたももう子供ではないのです。良し悪しの判断を他人に委ねるべきではありません」

 鏡の中の自分と眼が合った。そこにいるのは髪を下ろしているものの少女ではなく、一人の女である。子供の頃からずっと彼女を映してきた鏡だが、変わらないのは鏡そのものだけで、そこに映るものは何もかもが時の洗礼を受けてしまった。そんなことを、改めて実感させられた。

 やがて、ロゼッタの櫛が離れた。

「できました」それから彼女はマリアの耳許で、「おやすみなさい、マリア王妃殿下」

 敬称を誇張され、マリアはツンとそっぽを向いた。

 一人になって寝床に入り、灯りを消してからも、なかなか寝付くことが出来なかった。

 ロゼッタの言うことは尤もだった。これは夫婦の問題である。他人に助言を求めるべきではないし、そうしたものを受けても有効だという保証はない。結局答えは、自分自身の決断によってのみでしか得られないのである。

 だけど、誰かに答えを求めてしまう自分がいる。誰かに背中を押して欲しいと願う弱さが、未だに自分の中には残っている。

 いつしかマリアは瞼を閉じていた。

 シーツの下では、左の手首に嵌めた腕飾りを、知らず知らずの内に握りしめていた。

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