第1場(2)
頭領の洞穴へ向かった。
随分前から寝たきりとなっている父だったが、それでも以前は起きている時間の方が長かった。しかし今では、眠りの合間に僅かに覚醒しているという案配で、不意に訪ねていっても瞼を下ろしていることの方が多かった。それだけなら良いが、谷の寄り合いの場でも時折寝息を立てることもしばしあった。皆、頭領の身体については存じていたので、誹る者はなかった。だが、頭領の交代については、誰の意識にもあったようだった。
洞穴に足を踏み入れるなり、唸りが聞こえてきた。父の立てる鼾だと、ギギはすぐに思い至った。自分で呼び出しておきながら、その相手の到着を待たずして眠りに落ちる。憤りはなかったが、父の衰弱を突き付けられた気がして胸が詰まった。奥へ行くと、果たして父は眠っていた。
しばらくして、鼾が止んだ。頭領の瞼が重たく上がる。
「……ギギか?」
「はい。お呼びだと伺ったので」
頭領は眼を閉じ、少し時間を置いてから再び開けた。
「儂ももう長くはないのかもしれぬ」
ギギは何も答えない。何を言っても嘘になる気がした。
「最近は鍛錬に励んでいるようだな。良い心がけだ」
「他にすることもないので」ギギは父から目を背ける。別に、父のためにやっているわけではない。そもそも強くなる目的があっての鍛錬などではない。言ってみれば見たくない夢からの逃避である。病人を傷つける趣味もないので黙っておくが。
「強くなるのだ、ギギ。仲間たちを護るのは強さだ」
反対する気持ちは湧いてこない。父の言葉が一理持っていることを、ギギはその身を以て学んでいた。自分の弱さで様々な者を傷つけてきた。自分が強くさえあれば、誰も傷つけることはなかっただろう。
マリーの住む場所を焼くこともなかったかもしれない――。
「やらなければやられる。それが、この世の理というものだ。少なくとも、我らと人間との間で覆ることはない」
ギギは口を開き掛け、思い直してやめる。呑み込んだのは、「わかり合うことは不可能なのか」という問いだ。かつての彼であれば、一瞬だけ迷っただろうが、口に出していた筈だ。だが、今の彼は違った。理想論を容易く声に出せるほど、彼は若くなかった。根拠のない原動力がなくなっていた、というべきかもしれない。
「谷は護ります」と、ギギは言った。「必ず――もう二度と、仲間たちに手出しはさせません」
すると頭領は、
「それで良い。それでこそ我が息子」満足げに瞼を下ろした。
騙したつもりはなかった。だが、口の中には苦みがあった。
父が再び鼾を掻き始めたので、ギギは洞穴を後にした。岩場へ戻ると、草原を渡ってくる雲の量が増していた。地上は恐らく曇天である。
流れる雲の中で一人、力について考える。
力――。
仲間を護るためには必要なもの。強くなければ、誰も護ることは出来ない。
それはわかる。わかるのだが、どうにも気持ちが晴れない。雲が胸の中にまで流れ込んできたみたいだ。
ギギは、雲に向けて炎を放つ。
真っ直ぐに飛んだ線が白い流れに円を穿つが、次々と続く雲が空いた穴を即座に覆ってしまう。だからというわけではないが、ギギの胸にはつかえが残ったままだった。
地上へ眼をやっても、雲に隠れて何も見えない。彼女は今頃どうしているだろうか、と一瞬だけ考え、すぐに頭を振って妙な思考を追い払った。そして自分に言い聞かせる。自分にはもう、彼女について考える資格などないのだ、と。
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