第9場

「ギギ……」

 微かに開いた翼竜の口から、夢で聞いた青年の声が聞こえた気がした。

 王都を火の海に沈めた翼竜は、今やマリアの眼前にいた。折れた角の中心が疼くように光を帯びている。彼女の左手首にある腕飾りと同じ光である。そして何より眼だ。翼竜の眼差しは、夢で会った異国の青年のそれと同じ色をしている。

 マリアは血の滴る左手首を握りながら、屋根の縁に向けて一歩踏み出した。

「あなたなのね?」

 角折れの翼竜は唸る。牙の間から蒸気が立ち上る。

 マリアは唇を噛み締めた。どうして、と胸の内側で呟く。誰に対する問い掛けかは、自分でもわからない。全てに対して問うたのかもしれない。

 口を開きかけるが、言葉が続かない。言うべきことは沢山あった。しかし、喉元で目詰まりを起こして出てこない。どれか一つに絞ろうとしても、彼女には出来ない。どの言葉も、最初に言うべきことのような気がした。

 一つだけ、言葉が閃いた。マリアは辺りを包む炎と、黒煙に覆われた空と、己の足元の屋根と、汚れた寝間着の裾へそれぞれ視線を向けてから、最後に翼竜を見据えた。

 胸の底から声を出す気持ちで、唇を解いた。と同時に、翼竜の背中で爆発が起きた。

 火薬を含んだ煙が目に染みる。眉根を寄せながら、マリアは状況を把握すべく周囲に目を走らせた。

 中庭に砲兵隊が見える。移動砲台の後ろにはローブを纏った魔道士隊の姿もある。彼らを指揮しているのはノルマントだ。顔は煤け、服にも乱れがある。翼竜の攻撃から命からがら逃げ延びて、即席の部隊を作ったようだ。

 魔道士隊が宙に描いた魔方陣から、氷結魔法が発射される。円錐型の氷柱が一斉に、翼竜に突き刺さる。

 翼竜は痛みに吼える。

「やめて!」

 マリアは地上に向けて叫ぶ。だが、ノルマントに気付いた様子はない。或いは、彼女の姿を認めていながら敢えてやっているのか。一人奮闘するマリアを余所に、翼竜は口元に炎を湛えて振り返った。

「ギギ、待って!」

 中庭の即席攻撃隊は未だ健在だ。彼女の言葉がギギに届いたらしい。

「これ以上はもうやめて……あなたのためにも」

 翼竜が肩越しにマリアを見た。マリアは彼の折れた角に触れなければ、と思った。そうする必要があると、心が命じていた。実際に、手も伸ばしかけた。

 風が渦巻いた。

 翼竜が羽ばたいたのだ。

 マリアは風圧で、屋根に尻餅を突いた。見上げると、既に翼竜は黒煙のたちこめる空に消えた後だった。

 彼は何も残していかなかった。都を包み込む、紅蓮の炎以外何も。

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