第5場(1)

 ベレヌス各地で季節外れの長雨が続いていた。

 王都もまたその例に漏れず、屋根や石畳を濡らし尽くされていた。地盤の低い下町では用水路が溢れ、人家へ浸水したという。マリアはそれらの被害報告を聞き、担当大臣と共に連日連夜その対策を協議した。寝る間も削った、という意味では彼女もまた、長雨の被害者といえた(本人は頑なに認めないだろうが)。公務に追われる間に時は経ち、翼竜討伐隊の帰還は書類に埋もれながら聞かされた。数週に渡って降り続いた雨がようやく終息の気配を見せた頃だった。

「是非とも彼らを労い下さいませ」報告に来たノルマントは恭しく頭を下げた。

 自分が送り出したのだから、迎えに出ないわけにもいかない。マリアは急ぎ、残った仕事を片付け中庭へ向かった。

 小雨の降る見晴台からは傭兵たちの姿が見渡せた。結団式の時より明らかに減っている。約半分といったところだろうか。マリアは意識せず、臍の前で組み合わせた両の手に力を込めた。

 次に目を引かれたのが、傭兵たちに囲まれて横たわる黒い影である。初めは雨のせいもあり何であるのか判然としなかった。だが、雲が流れ、切れ間から日が射してくると、影もまた照らし出された。

 翼竜である。濡れた鱗が日射しを受けて、一枚ずつ輝いている。

 台車に載せられた竜はぐったりと頭をもたげ、動く気配はない。背中の羽根は広がってはいるものの、落ち葉のように萎れ、身体に貼り付いている。死んでいる、と言われても不思議には思えぬ様子である。

 マリアは息を呑んだ。そこへ、ノルマントが顔を近づけてきた。

「申し訳ありません、陛下。トカゲを城に持ち込むべきではないと思ったのですが、どうしても彼らが勲功の証としたいと聞かぬもので」

「死んでいるのですか?」

「生け捕りにしたそうです。ご命令通り」

「わたくしは『殺すな』と言った筈です。捕らえるようには言っていません」

「同じことではありませんか。さあ、戦士たちが陛下のお言葉を待っております」

 横目でノルマントを睨む。だが、公衆の面前で内輪の小競り合いを晒すような愚を犯す前に理性が働いた。これは彼女の美点であり、宰相に付け入る隙を与える弱点でもあった。

 拡声魔法を使い、戻った者には労いの言葉を述べ、戻らなかった者たちには哀悼の意を表した。それから先の事務的な用件については担当の大臣に任せ、彼女は言葉少なに壇上を後にした。

「ノルマント」と、マリアは宰相に言った。「話があります。後で執務室へ」

「御意に」ノルマントは頭を下げた。


「どういうことなのです、あれは?」

 入室の挨拶も待たずに、マリアは入ってきたノルマントに言葉をぶつけた。

「さて、何のことにございましょう?」

「惚けても無駄です。どうして竜を捕らえさせたのです」

 すると宰相は観念したように溜息を吐き、

「畏れ多くも女王陛下、我が国の財政は、傭兵の自己申告に応じて褒美を出せるほど裕福な状況にはありません」

「だからといって、わたくしに無断で、わたくしの発言を改竄して伝えたのですか?」

「改竄とは人聞きの悪い。条件を追加したまででございます。現に陛下のご命令からは一切外れてはおりません」

「屁理屈を……」

「私は王国のためを思い、行動したまでです。誹りは甘んじて受けますが、反省する気は毛頭ありません」

 そう言い切るノルマントを前にすると、壁に向けて泥団子を投げているような虚しさが湧いてきた。相手は頑として、己の正当性を信じて止まない。そればかりか、「王国のため」などという言葉を使われると、それに対して批難するこちらの方が間違っている気持ちにさせられる。

 いや、実際のところノルマントは為政者としては間違っていないのかもしれないと、マリアは思う。国の中枢にいる者が国を第一に考え、行動するのは何らおかしなことではないし、批難すべきでもない。むしろ賞賛に値する姿勢だ。

 問題は、「王国のため」に何故「竜を生け捕りにする」必要があったか、だ。どうして宰相は、そのような指示を出したのか。

 その答えは、間もなくマリアの前に現れた。

 ノックの音がし、近衛兵が顔を覗かせた。彼は部屋の主であるマリアではなくノルマントに声を掛けた。ノルマントの方でも承知していたらしく、頷いた。ただ一人、マリアだけが事情を呑み込めずにいると、やがて青年が、両脇を近衛兵に伴われて入ってきた。

 その青年に、マリアは見覚えがあった。討伐隊が出発した日、遅れてやって来た白馬の騎士である。

「こちらは遍歴の騎士、ジョルジュ=アジルールフォ殿にございます。今回の討伐隊に於いて最も誉れ高い活躍をなされたと、傭兵たちの誰もが認めております」

「お目通りが叶い、光栄にございます」ジョルジュと紹介された騎士は跪いた。「この栄誉、決して私一人の力でないことは十分に存じております。ですが、こうして皆の同意のもと推挙されたとのこと、仲間たちの思いを無駄にしないためにも、この身にお受けすることと決意いたしました」

 マリアは足元の騎士から宰相へ眼を向ける。説明を求めたつもりだったが、ノルマントは彼女の方を見ていなかった。そればかりか、部屋の外まで聞こえるよう高らかに声を張り上げた。

「今ここに、女王陛下のご成婚が決まった! 皆の者、国中にこの朗報を伝えよ!」

 あまりのことに喉が引き攣って、言葉が出なかった。そんな彼女の右手を、手袋を外した騎士の手がそっと誘った。

「こんな私でよろしければ」と、ジョルジュはマリアの右手に唇を添えた。「一生あなたをお守りいたします」

 ここまで聞いても尚、自分が討伐隊にとって真の「褒美」であったと気付かぬほど、マリアも世間知らずではなかった。

 雨が窓を叩く。弱まり掛けていた雨脚が、再び強まっていた。

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