第5場(2)
月明りに照らされた谷を、風を切りながら九つの影が進む。影は三角形の二辺のような隊列を組んでいる。その突端にいるのがギギである。
蒼白い光を帯びた岩場を抜けると、眼下に広がる景色が濃紺に変わった。
草原。人間たちの領分である。
「全員、列を乱さないで。はぐれたら危険だ」ギギは言った。
彼はある魂胆を抱えていた。このままなるべく遠くまで飛び、夜明けを待って山へ引き返す、というものだ。若い竜ばかりなのだから、闇夜の中を飛び回って人間たちの集落を見つけられなかったのであれば、不首尾で終わっても仕方がない――。谷の大人たちは、そのように考える筈だ。父は納得しないかもしれないが、その時は台座の下に平伏せる所存であった。いずれにせよ、過ぎたことは引っ繰り返せない。
「すっかり気分は頭領かよ。炎も吐けないくせに」
右端を飛ぶジョジョが茶化すと、その一つ手前と二つ手前を飛んでいるトトとポポがクスクス笑った。三人は段々と緊張感を欠いていく。
「おい、早くどっか襲おうぜ」
「腹減った」
「アニキ、肉食いたい、肉」
この場にいるのは、食べ盛りにも関わらず頻繁な雨によって十分な食糧を得られていない若者たちである。三人の言葉は全員の代弁でもあった。それだけに、整然と隊列を組んで飛んでいた者たちの心はいとも簡単に掻き乱された。
「黙って飛べ、馬鹿ども!」
最左翼を飛んでいたビビが三人組に言った。しかし、一旦生じた解れはあれよあれよという間に隊列の全体へと広がっていった。
「火が見える」
ジョジョが言った。その方角には確かに火が見える。人間たちの集落の灯りだ。だが、拙いことに灯りの数が多い。ギギが想定していたものより大規模な集落のようだ。数的にも練度的にも、この隊での襲撃は心許ない。
ところが、ギギが止めるよりも早く、ジョジョはトトとポポを伴って隊列を外れていった。二辺の内、右側の一辺が途端に短くなった。
「駄目だ、ジョジョ!」
言葉は届かない。
「あいつら!」ビビがいきり立つ。
「ビビ、みんなをお願い」
「一人で行く気か?」
「あの灯の数は危ない。もし何かあったとしても、被害は最小限に抑えたいんだ」
「だとしてもあたしぐらいは……」
「いや、君はみんなを連れてここで待っていてくれ」
隊列に残っているギギとビビ以外の竜は、皆年少の者たちだった。いずれも山を下りた経験がなく、彼らだけで谷まで戻れるとも思えなかった。
ビビは少しの間だけ考えてから、ギギの頼みを呑んだ。
そうしてギギは方向を変え、ジョジョたちが向かっていった灯の群れを目指した。
いくらも行かぬうちに、今までなかった音が聞こえ出した。何か硬いものを打ち鳴らしているような音だ。
かと思えば、灯の群れの上で炎の線が走った。誰かが炎を吐いたのだ。たちまち地上で火の手が上がる。赤々と照らされた空に、旋回する三つの影が浮かび上がった。燃えているのは、壁で囲われた人間の住処。〈村〉ではない。いつか古老が言っていた〈要塞〉と呼ばれるものかもしれない。だとすると、大いに危険な状況だ。
〈要塞〉は、人間の戦士が住む場所なのだ。迂闊に手を出して良い場所じゃない。
「ジョジョ! 今すぐ退くんだ!」ギギは影の一つに向けて叫んだ。
「黙れ腰抜け! お前についてったんじゃいつまで経ってもメシにありつけねえ!」
すると他の二人も「メシ、メシ」と同調する。ギギは負けじとジョジョに追い縋る。
「獲物を狩る場所は他にもある。なにもこんな大きな場所を狙わなくたって」
「デカけりゃその分、食い物だって多いだろうが」
「大きいのにはそれなりの理由があるんだよ!」
その時、ギギの真横を何かが通り過ぎた。いつだったか見た、氷の棘である。
棘はいくつも飛んできた。地上から、空へ向けて放たれているのだ。ジョジョたちは円を崩され、散り散りになって夜空を逃げ回る。
炎の間に人影が見えた。魔法を武器として使う類の人間らしい。
「あいつら! ぶっ殺す!」
ジョジョが口に炎を湛える。吐き出さんとした瞬間、その胸元にギギが飛び込んだ。体勢を崩したジョジョはあらぬ方向へ炎を噴き出した。
「何しやがる!」
「攻撃しちゃ駄目だ!」
「やらなきゃやられるんだぞ!」
「だから逃げるんだ!」
そこへ悲鳴が聞こえてきた。声の主はポポだ。彼は地上を見ながら何か叫んでいる。その視線を辿っていくと、ヒラヒラと落ちていく竜の影があった。
「トト!」
ジョジョが行こうとするも、氷の棘に阻まれる。ギギは身を翻し、棘の襲来をかわしながらトトを追った。
地上では武器を手にした人間たちが待ち構えている。落ちたら最後、角を折られるだけでは済まないだろう。吹き上がる熱気に何度も体勢を崩されながら、それでもギギは、墜落する寸前だったトトを抱き止めた。人間たちの顔色まで見える距離を滑空して、再び空へと舞い上がる。
「ジョジョ、行くぞ!」
有無を言わせぬ勢いで促した。さすがに気圧されたらしく、ジョジョとポポは大人しく付いてきた。
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