第4場

 夢を終わらせたのはロゼッタだった。

「夜分に申し訳ありません」

「どうかしたの?」

 未だ醒めきらぬ頭のまま、マリーは身を起こす。蝋燭の炎に照らされたロゼッタの顔には、珍しく焦りの色が覗えた。ただ事ではない何かが進行しているらしかった。

「国王陛下が……」

 ロゼッタは皆まで言わなかった。尤も、マリーは次の瞬間にはベッドを転がり出ていたから、最後まで言われたところで聞きはしなかったのだが。

 寝間着のまま廊下を駆け、父の部屋へ飛び込んだ。

 既に大勢の者たちが集まっていた。彼らはマリーの姿を認めると、自然に道を明けた。父の寝台では、治癒魔道士が医療魔法による施術を行なっていた。

「お父様!」

 駆け寄ると、すっかり顔を蒼白くした国王が息を荒くしていた。彼は虚ろな眼をマリーの方へ向け、魔道士に施術を止めるよう手で合図した。

 同じ手が、マリーを傍へ来るよう招く動きを見せた。

「どうやら、お前の髪結い姿を見ることは出来そうにない」枕元に跪いた娘に、国王は言った。

「そんな、お父様……どうしてこんなことに……」

「そう取り乱すでない。これも神の思し召し。致し方ないことなのだ」

 国王の手が、小刻みに震えながら宙を泳ぐ。マリーはそれを掴み、顔の傍へ引き寄せる。枯木のような手触りだった。

「お前には結局、大したことを教えることが出来なかった。まだまだ教えたいことは沢山あったのだが……」

「そうですよ。だから元気になって、また色々なことを教えて下さい」

 父は微笑む。その口元に、赤黒い汚れを拭き取ったような跡が残っている。

「マリー、国を、民を、よろしく頼む」

「わたしにはまだ……」

「お前なら出来る。全ての民の母となれ、マリア」

 両の掌で包んだ父の手から力が抜けた。

 父の瞳は光を失っていた。彼に関する全ての時間が、流れを停めていた。

 集まった者たちの間に、啜り泣きが伝播していく。だが、マリーだけはその波に呑まれなかった。彼女は未だ父の手を離さずに、抜け殻のようになった父の顔を見つめていた。

「姫様、残念ながら……」

 治癒魔道士が言いにくそうにしながら声を掛けてくるまで、マリーはずっと同じ姿勢のままでいた。父の瞼が音もなく閉じられ、ようやくその死が現実のものとして目の前に横たわった気がした。彼女は温度の引いた手を離した。

 傍らに誰かが立った。

「お悔やみ申し上げます、姫様」ノルマントである。彼も沈痛な思いに顔を歪めているようだった。「ですが、ご安心くだされ。これからも我々は全力を尽くし、王国のために務めて参る所存であります」

「ありがとう、ノルマント」

 窓の外が光る。宰相の顔が半分だけ照らされた。

 間髪置かずに雷鳴が轟いた。マリーは初めて、外が大雨だと知った。

「天も泣いておられますな」

 宰相は言った。マリーも、雨が打ち付ける窓の方を見やった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る