第2幕
第1場(1)
新月の次の朝には、谷に住まう各家の長が頭領の洞に集まってくる。
ここでは通常、次の新月まで谷の者たちがどう生きていくかが話し合われる。狩場の選定や水の確保など、日常の生活に関わる議題が中心となるのだ。
しかし、このところ多くの時間を割かれているのは、雨についてであった。東の岩場に住む谷一番の古老ですら経験したことがないという昨今の頻発する雨は、体内に火を宿して生きる竜にとっては死活問題だった。
「何か良からぬ兆候かもしれん」
と、誰かが言えば、
「このままでは餌もまともに獲りに行けなくなる」
「まさに滅びの道だな」
などと別の者たちが受け合う。中には、
「いっそ別の場所へ逃げようか」
という意見を述べる者もあった。
侃々諤々の議論が交わされはするものの、相手が自然現象とあっては明確な解決策が導かれるわけでもなかった。やがて話し合いが下火になると、それまで無言だった頭領が口を開いた。
「ギギよ」
突然呼ばれ、何が起きたのか理解が遅れた。
見回せば、その場に集まったお歴々の眼がいっぺんに向けられていた。
「お前はどう思う」父のそれは、質問ではなく「意見を述べよ」という命令だ。
ギギは口ごもる。彼は頭領の息子という理由から父の隣に座らされていた。当然のように一番の若造である。このような場で若輩者の自分が意見を言うのは気が引けたし、碌に考えも纏まっていない。皆が首を揃えて考えてもわからないことが、どうして自分にわかるだろうか。そんな気持ちでいっぱいになった。
「わかりません……」ようやくそれだけ言った。
父は溜息を吐く。同じ落胆が一同にも広がった気がした。
「始祖ガガは」と、頭領は顔を上げた。「楽園にて神と決別した後、六人の共を連れてこの地へ来た。そして、永遠に続くかに思われた長雨に耐えられた。千の昼と千の夜を、この洞穴の中で過ごしたのだ」
家長たちは聞き入っている。谷に伝わる言い伝えは、子供の寝物語としてだけでなく、生きていく上での教訓としても機能していた。
「たった七人で耐えられた難局を、なぜ今の我々が恐れる必要がある。我々はあの頃とは違う。狩りの仕方も、戦い方も知っている」
皆、無言ではあったが、その沈黙には首肯が含まれていた。
「雨の止み間を無駄にするな。飛べる時には飛べ。そして糧を得るのだ。必要とあらば、戦うことも辞するな」
父は主語を省いたが、そこには「人間」が収まるのだと、誰もが知っていた。ギギにもわかった。
「生きることは、己が家族を守ることは、戦いである。臆するな。我らは偉大なる炎の末裔なるぞ」
薄暗かった洞穴の中が、俄かに明るくなる。集まった竜たちの胸で、灯が強まっていた。
風が小さな穴を抜けるような唸りが聞こえ始める。竜が、闘志を露にした証である。中でも頭領のそれは一際大きく、傍で聞いていたギギは恐怖さえ感じた。
ふと、人間について考えが及ぶ。
そこから思考の枝葉は昨夜見た夢に伸びていく。
青い空と、浮かぶ雲。それを映した、どこまでも広がる水面。まるで、空の中にいるような場所であった。
普段から空を飛び回っている身である。それだけならば大して驚きはないが、水面に映る自分は人間の姿をしていた。そして彼の向かいには、いつの間にかもう一人の人間が立っていた。
昔教わった人間の見分け方を用いるなら、女だった。それも、かなり若い。自分と同じ年頃かもしれない。
彼女はマリーと名乗っていた。谷では聞かない響きである。岩の隙間で風に揺れる、一輪の花のようだ。その名は彼女の佇まいとよく似合っていた。だからつい、「綺麗だ」などと漏らしてしまった。思い出すだに顔が熱くなる。
全然話が出来なかった、とギギは思う。彼女は一生懸命語りかけてきたが、それに対して碌に答える間もなく夢は終わってしまった。また彼女に会うことは出来るのだろうか、と考えたところで、ギギは夢の中のマリーが何処かに実在していることを信じ切っている自分に気付いた。彼女が己の作り出した妄想の産物だとは、微塵も思っていなかった。
散会となった後、ギギは父に呼び止められた。
「人間どもの村を焼いてこい」
何を言われているのか、意味を汲むことを頭が拒否した。
「若い衆を連れていけ。頭はお前に任せる」
「お、お待ち下さい」ギギは呻くように言った。「人間の土地へ下りるなど、危険です。わざわざ仲間を危険に晒すことはないのではありませんか?」
「人間どもは我らの領分を侵しつつある」父は重たく言った。「それがどういう結果を招くのか、わからせてやるのだ」
父の言う通り、最近は山深く、つまりは竜の狩り場にまで人間が姿を現わすことがあった。まさに先日の、角を失った時の一件がそれである。出会ってしまった以上、戦わないわけにはいかなかった。尤もあの時は、相手が明確な殺意を以て仕掛けてきたのだが。
「……威嚇、ということでしょうか」
「そうだ。その角の仇も取ってこい」
ギギは、まだ生えてこない鼻先の角を爪で掻いた。
「しばし時間を下さい。訓練が必要です」
「よかろう。だが、次の大満月までには行け」
「は……」
「励めよ。余がお前ぐらいの歳の時には、奴らの住処をよく焼いたものだ。二度と山へ踏み込めないようにしてやれ」
ギギは曖昧に頷いた。
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