第2場(3)

 それから数刻の後、マリーは地下倉庫への階段を降りていた。

 手にはランプと、金属の輪で纏めた鍵束。一つ一つの鍵が分かれているのかと思ったら、一塊で門番小屋の壁に掛かっていた。見張り役の兵が大口を開けて鼾を掻いていたのを幸いに、一束丸ごと拝借してきたのである。

 地下に着いた。入口の木戸には案の定、鍵が掛かっていた。

 ランプで手元を照らしながら、一本ずつ選び出しては鍵穴に挿していく。十本もいかないうちに、錠の外れる感触があった。半信半疑のままノブを捻ると、果たして木戸は手前に開いた。まるで導かれているような幸運に、マリーは神への短い感謝を唱えながら扉の間に身を滑り込ませた。

 倉庫は湿り気を帯びた冷気に満ちていた。後ろ手で戸を閉めると、完全な闇が訪れた。ランプを掲げ、足元にも気を配りながら、時間の流れが止まったような空気の中を歩き出す。

 屋根には数えきれないほど上っているマリーも、この地下世界に足を踏み入れるのは初めてだった。王家の紋が焼き付けられた木箱や、くすんだ甲冑・武具の類。その他、用途不明の代物が雑然と置かれている。それら一つ一つにも十分興味をそそられるが、今は寄り道をしている余裕はない。

 注意深くランプの灯りを巡らせていくと、奥まで来たところで目当ての物に行き着いた。大きな盾の隣に立て掛けられた布包み。橙色の光に照らされたそれは、昼間、謁見の間で目にしたものと一致した。

 手近な木箱にランプを置き、マリーは結び紐を解きにかかった。だが結び目が固く、これがなかなか解けない。悪戦苦闘していると、「汚らわしい」と叫んだノルマントの声が頭に蘇ってきた。それでついムキになって、他の部分がお留守になった。結び目は解けたものの、次の瞬間、壁に寄りかかっていた包が倒れ出した。

 自分でも驚くほど咄嗟に身体が動いた。マリーは生まれて初めてに等しい速さで腕を伸ばし、布包みを抱き留めた。

 安堵の溜息が漏れる。抱えてみると、しっかりとした重さはあるが、持っていられないというほどではない。それに心なしか、温もりがある。強く抱きしめると腕の中で、布に包んだ角がじんわりと暖まった。

 温もりの元は、いつの間にかマリーの中に移っていた。今では彼女の胸の奥から、滾々と暖かさが湧き上がってきた。

 目を閉じる。まるで、自分のベッドの中にいるような安心感がある。

 包み込まれるような。そして、どこか懐かしいような――。

 まどろみかけた意識を、鉄板を落としたような音が現実へ引き戻した。

 音は倉庫中に轟いた。残響が、しばらく耳から離れなかった。何が起きたのかわからず、マリーは布包みを抱えたままその場に立ち尽くした。

 盾が倒れたのだと理解するまでには、しばし時間を要した。ランプが発する薄明りの底で、角の隣に立て掛けられていた盾が伏せっているのが見えた。角を抱き留めた拍子に傾けてしまったらしい。

 くぐもった足音が聞こえた。誰かが階段を下りてくるようだ。マリーは角を抱えたまま右往左往した挙句、目についた隙間に身を隠した。

 木戸が開く。兵士が、硬質な装備の音を立てて入ってきた。

「誰かいるのか?」

 問いかけに、マリーは息を詰める。鼓動が耳元で鳴っている。

 一瞬、正直に出て行こうかという考えが頭を過ぎった。だがすぐに、夜中にこんな場所で何をしていたのかと詰問される図が目に浮かんできた。鍵を盗んでまで何をしに来たのか問われれば、答えに窮さずにはいられない。何より厄介なのは宰相の耳に入ることだ。彼のことだから、直ちに竜の角と結びつけて考えるに違いない。そうなれば、角を処分するなどと言い出しかねない。

 そんな風に逡巡しているうちに、別の足音が下りてきた。

「あれ? お前、何やってんだよ」後から下りてきた兵士が問う。

「見廻りしてたら大きな音がしたから来てみたんだ」先に来た方が答えた。

「いつの間に鍵持ってったんだ?」

「いや、俺は持ってないぞ」

 その鍵は今、マリーとは通路を挟んだ反対側の箱の上に、ランプと一緒に置いてある。

 そもそもランプが見つかったらお終いではないか。マリーの背中を冷たいものが伝った。彼女は抱えた角の包みを強く抱きしめた。

 足元に、小石のようなものが落ちた。

 ごくごく小さな音だったが、静かな地下室に於いては十分、誰の耳にも届く大きさだったようだ。

「何の音だ?」

「さあ。奥からだな」

 足音が近付いてくる。

 マリーは己の二の腕に口元を埋めた。万事休す。打開策を求めて辺りに目を走らせるが、助けになりそうなものは見当たらない。だが、足元で光るものがあった。この危機の元凶となった、小石のような物体である。

 包みの中から転げ出たそれは、角と同じく艶やかだった。折れた角の欠片のようだ。

 マリーは息を呑んだ。

「ランプだ」声はすぐ傍まで迫っていた。

 迷っている暇はない。

 最後にしっかり抱きしめてから、マリーは布包みをランプ目掛けて放った。目論見通りガラスの割れる音が響き、辺りが俄に混乱を来した。

「何だ!」

「おい火だ! 消せ消せ」

 マリーは兵士たちの叫ぶ声をくぐり抜けるように身を屈め、出口へ向かった。その際、足元に落ちていた白い欠片を拾い上げることは忘れなかった。

 混乱の坩堝と化した倉庫を背に、階段を駆け上がる。無我夢中で足を動かし、気付けば自分のベッドの中にいた。まるで短い夢でも見ていたような気がしたが、掌にはしっかりと白い欠片が握られていた。

 胸の高鳴りが収まらない。欠片を包み込んだ手を引き寄せて、マリーは瞼を閉じた。意外にも、眠りはすぐにやって来た。

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