第2場(2)

「父上、お訊きしたいことがあります」

 夕食時、マリーは国王と長テーブルを挟んで向かい合っていた。

「どうした?」王は食事の手を止めた。

「父上は祟りを恐れておられないのですか?」

「あの角のことか?」

 マリーは頷いた。すると国王は微笑んで、

「もちろん、恐れているとも。ノルマントの目の前で二度も祈りの言葉を上げることになった」しかし、と父の言葉は続く。「私にはどうも、あれが悪い物には見えなくてな。つい預かるなどと言ってしまった」

「わかります。わたしも一目見た時は美しいと思ってしまいました」マリーは言う。「竜というのは、かつては神の下で人と生活をしていた隣人だったのですよね? それがある時、神に背を向け、山に籠もった。悪しき心を持っているから村を襲い、田畑を荒らしたり家畜を奪っていくのだと学びました」

「たしかに、伝承ではそのようなことになっている。だからこそ私は思うのだ。神が悪しきものを、あのように美しく作るだろうか、と」

「竜は悪しき存在ではない、と父上は仰るのですか?」

「こんなことがノルマントの耳に入ったら、今夜は一晩中祈りを捧げることになるな」国王は肩を竦めた。幸い、食堂にいるのは給仕やメイドばかりで、口うるさい宰相の姿はなかった。

 マリーは少し考えてから、再び父を見た。

「もし伝承の通りだったら、翼竜と言葉を交わすことが出来るのではないでしょうか。元は隣人同士だったのですし」

「お前も宰相殿に叱られてしまうぞ」国王は笑う。「だが良い発想だ。どんな相手にせよ、力を以て接するだけでは何も前には進まぬからな」

 マリーは、父が隣国テウタテスとの同盟締結に腐心していることを思い出した。そして、その一環でもあった見合い話を蹴ってしまったことを、今更ながら申し訳なくも感じた。

「良いか、マリー。相手を滅ぼすことを考えるのは一番最後だ。戦いというのは、相手はもちろん己も消耗する。得るものは僅かで、失う物の方が断然大きい。お前が何か決断を迫られた時は、常にこのことを思い出しなさい」

「君主の心得など、まだわたしには早いですわ」今度はマリーが肩を竦めた。「父上にはずっと長生きしてもらわなくては。そんな、いなくなってしまうような物言いはよしてください」

 国王はまた笑った。

「もちろん、長生きするつもりだとも。お前がマリア、いや、マリアンナと名乗る日が来るまではくたばらんよ」

 そう言って王は、葡萄酒の入った杯を掲げた。


 湯浴みの最中、マリーの心に或る考えが芽生えた。寝室に戻り、ロゼッタに髪を梳かれながら、漠然とした考えは具体的な計画として形を成していった。

「ねえ、ロゼッタ」

「何でしょう」

「地下室の鍵は誰が持っているのかしら」

「地下室の?」鏡の中で、ロゼッタが訝る眼差しを向けてくる。「何故、そんなことを知りたいのですか?」

「ちょっと気になっただけよ。城のことはなるべく知っておきたいの。将来の君主として」

「いくら君主とはいえ、鍵の管理まで気に掛けることはありません。君主には君主の、気にするべきことが山ほどございます」

「『自分の足元がろくに見えていない者に遠くは見えぬ』と、いつか父上が仰っていたわ」

 するとロゼッタは溜息を吐き、

「門番小屋の壁に掛かっていますよ」

「そう、門番小屋」

「尤も、夜を通して見張りが詰めていますが」

「見張りが……」呟いてから、マリーはハッとした。「べ、別にそこまでのことは訊いてないわ」

「さいですか」

 ロゼッタは櫛を置いた。髪梳きが終わったのだ。彼女はマリーの髪を掌に載せ、その長さや手触りを確かめた。

 妙な沈黙に、マリーは身を固くした。

 やがて侍女が言った。

「姫様ももうじき髪を結われるお年頃なのです。あまり軽率な行動はお慎み下さいませ」

「言われなくても」

 マリーは精一杯の虚勢を張った。

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