第7話『レート・テン(2)』
アクセサリーショップのショーケースを、心なしか瞳を輝かせて覗き込む舞花。ガラス窓の向こうに展示されているのは、色とりどりの宝石をあしらった銀の指輪やネックレス。
素人目から見ても恐ろしく精巧な装飾が施されたそれらに使われているのは、ハイ・カーボンを使ったイミテーションではなく、最新の加工技術で彫刻された本物だという。
流石に学生向けの店なので、そこまで高級な輝石は使っていないようだが、それでも美麗さは劣るまい。艶やかな舞花の黒髪と、匣の中の銀色、その対比が良く似合う。
改めて、本当に美しい少女だ――氷菓は再度驚く。氷菓も座る休憩ベンチの片隅に腰かける有司。その横顔を見れば、とてもではないがこの二人が兄妹だなどとは想像できない。確かに顔の細かいパーツであるとか、長い前髪は良く似ているような気がするが、だとしても整い具合とでもいうべきか、そういう部分の差がちょっと開き過ぎだ。
氷菓も自分の容姿に自信が無いわけではないけれど、少々自信を失ってしまうほど。できすぎというか、いっそ人形めいた精緻さだ。
「兄様、これ、どうかな」
彼女はくるり、と踊るように振り向くと、小さなその手で兄を招く。
「あん? ……うげっ、なんつー値段してやがる」
「指輪以外なら何でもいいって言ったのは兄様でしょ」
「そりゃそうだけどさ。もうちょっとこう、兄ちゃんの財布事情に配慮してくれ」
「選択幅を狭めると逆に出費が酷くなることを想定しないのは兄様の悪い癖。そもそも似合うかどうかを聞いている」
「畜生浅はかだった……うーん、個人的にはこっちよりも赤か黄色が似合うと思うけどな」
「ん。じゃぁそうする」
こくりと頷き、少女はまたガラスケースへと視線を落とす。うへぇ、と顔を顰めながら、有司は氷菓の隣へ戻ってくる。むべなるかな、酷くグロッキーな表情だ。
先ほどちらっとお値段を確認させていただいたが、最も安いもので氷菓が異端騎士として一月に稼ぐ膨大な金額、その六分の一ほどは吹き飛ぶのは確定と見てよかった。
もしも自分が有司の立場だったら、と思うと冷や汗が止まらないが、有司に問うてみれば「それはそれ、これはこれ。いっそ安い出費と言える」という信じがたい答えが返ってきた。妹の笑顔を取り戻すのも大変なものだな、と、姉妹のいない氷菓はちょっと意外に思う。
まぁよく考えれば当然かもしれない。まだたいした日数も経っていない付き合いだが、三橋舞花という少女の性格というか、思考パターンはなんとなく把握できた。きっとそのくらいでもしないと、お金では買えないもの――例えば人生とか――を要求してくるのだと思われる。己の未来を取るか財布を取るかと言われたときに、有司は後者を選ばざるを得なかった、という話なのだろう。
隣の席に、《第三最大異端》がどかっと腰を下ろす。お世辞にも行儀が良いとは言えないが、不思議と様になっていた。おかしなもので、彼の表面から消し去り切れない『戦闘者の気配』のようなものが、逆に粗暴な動作を正当化しているように思える。
「……ったく……金出すこっちの身にもなってくれよな」
「お疲れ様です。でも、自業自得だと思いますよ」
「まぁ、流石にそれは分かってるつもりだ」
困り顔の有司。その表情は彼自身へと向けられたものだと、容易に想像がついた。彼自身、悩んではいるのだろう。そうでもなければ、あんな対応などするまい。
「舞花にもよく言われるよ。自分の行動が他人に与える影響を考えないのは兄様の悪い癖だ、ってな。俺としては第三者目線からみたら当然の行動をとってるだけのはずなんだが」
「それがいけないんですよ」
氷菓は、少し苦笑しながら諭す。有司は十六歳だという。自分よりも年上の異端騎士、それもあの《大戦争》を生き延びたのだから、精神的にはもっと成熟しているだろう青年にお小言を言うなどと、随分と新鮮な体験だと思う。
「合理的に考えた場合の最適解と、心象的な答えは大きく異なるものです。人間は機械じゃないんですから、心のことも考えて上げないと」
もうちょっと色々考えて行動してください、などと叱ってみる。
とはいえ、妹の気を悪くしたことを本気で反省する彼の姿には、ちょっと感心した。例の覗きアクシデントのせいで、なんというか、自分の行動や発言を正当化するタイプの人間だと思っていたからだ。《最大異端》は動乱の時代を生き延びた猛者の称号に等しい。そんな人物であるならば、総じて我が強くても不思議ではない。だから彼の見た目からすれば想像しにくい性質であっても、納得してしまっていたのだが。
正直な話をしてしまえばほっとしているのだ。憧れの異端騎士が、人間の屑というよりは単にコミュニケーションが苦手なだけなのだと分かって。あれだけの力があっても、彼もまた、普通の人間なのだ。
だが三橋有司の自己認識は、そうではなかったらしい。
「……そうだ……そうだよな……」
視線を落とした彼の口元は、笑っていた。楽しさや嬉しさによるものではない。引きつった、自嘲気味の笑みだ。後悔や疑念、自分自身への怒り。そういうものが込められた表情。
乾いた声が、その喉から紡がれる。
「人を機械みたいに、か……はは、何だよ俺。舞花より、よっぽど《異端者》してるじゃねぇか……」
「……?」
首を捻る。《最大異端》の、いっそ悲鳴とも取れるその言葉は、昨日の会話を思い出せば随分と不可解な呟きだったから。
「舞花ちゃんは《異端者》ではない、と聞きましたが」
昨夜、自己紹介をしてくれ舞花は、自分を《異端者》ではない、と言っていた。本人曰く「私はあくまで兄様の所有物」とのことで、有司が冗談を言うなと頭を叩いていたことを覚えている。
その問いに少年も頷く。感じた不可解さが、勘違いや聞き間違いではなかったことが肯定される。
「ああ、違う。あいつは《異端者》じゃない。厳密には、《異端者》とは呼べない、と言った方がいいかな」
「《異端者》とは、呼べない……?」
きっとここから先は、本当なら自分が聞くべきことではないのだ、と即座に悟る。美有が口にした、明かすことのできない事情。いくら護衛とはいえ所詮は部外者、『騎士狩り』事件が終われば兄妹とは関わることもなくなるだろうこの身が、彼に先を促すのはきっと間違っている。
けれどもそれが、まるで有司が自分を信頼してくれた証であるかのように思えてしまって。どこか嬉しく思っている自分がいるのを、否定できない。
「この話、あんまり他人に言いふらしてほしくないんだけどさ」
「はぁ……」
時凍氷菓は頷いていた。返事が煮え切らないものになったのが悔やまれる。だってこれから話されることの重要性なんて、考えなくてもすぐ分かる。そういうときには、しっかり返事をしておきたいものだ。
けれど有司にとっては、それでも十分お気に召したらしい。サンキュ、と小さく笑うと、《第三最大異端》、その片割れは、自分たちの秘めたる事情を語るべく口火を切った。
「舞花は、
「……え?」
自分でも恥ずかしくなるほど間抜けな声が、自然に出た。
いっそ冗談だと言われた方がまだ納得できる、そんな突拍子もない『真実』。いくつもの疑問が生まれては弾け、生まれては弾け――まるでシャボン玉の様に浮かんでいく。
「で、でも、舞花ちゃんは、あなたの実の妹だと……」
ようやく絞り出せたのは、それだけだった。けれどそこに、疑問の全てが詰まっていた。
そうだ、冗談に違いない。確かに義理の妹だと言われた方が納得のいく容姿ではあるが、それは有司と舞花の間だけでの話だ。三橋のきょうだい全員を並べれば、ちゃんと血が繋がっているとよくわかる。
美有と舞花は纏う雰囲気こそ大幅に違うが、外見のクセのようなものが良く似ている。これでも彼女との付き合いは長い方、それこそ彼女が理事長に就任したころからなので、そういう細かい部分は良く把握しているつもりだ。
そもそも有司自身、不細工というわけではないのだ。目つきが悪いせいで精悍とは言い難いが、きちんとおしゃれをすればそこそこ整った見た目になる気がする。
「おう。俺も姉貴も舞花も、みんな血は繋がってる実の家族だ。ただ、舞花が俺の両親から生まれたとは、一言も言ってないだけで」
けれど三橋有司は前言を撤回などしない。むしろそれ以外の事実などないと言わんばかりに、はっきりと続きを口にした。まるで子供の仕掛ける言葉遊びだ。
「時凍は、六年前の《大戦争》をきっかけに《異端者》に覚醒したクチか?」
「え……あ、はい。戦後に行われた一斉検診で、《異法》が見つかって、それで自分がそういう存在だと知りました」
その答えに有司は、そっか、と、一言だけ呟く。
「じゃぁ、《大戦争》が起こった理由は、知らないよな。六年前、ある異端騎士……まぁ当時はそういう呼び方は定着してなかったけど、まぁ面倒くさいからそう呼ぶ。とにかく、ある異端騎士の家系が、一族の落ちこぼれだった少年を無理矢理異端世界に接続させる、っていう出来事があった」
有司の黒い瞳が、どこか遠く、もうどこにもない場所を見るかのように、すっ、と光を喪った。ぞくり、と背筋が泡立つ。いっそ虚無とも捉えられるその瞳の表情は、よくよく観察すれば、極めて深い憎悪を湛えている――そう見えたからだ。
「騎士家の落ちこぼれ、っていう表現から察せる通り、接続させられたそいつは本来、《異端者》としての素質はなかった。けれどいくつかの検査の末に、どうやら異端世界にあるものを、なんでもかんでも『
息を呑む。それがどれだけ重大な才能なのか、即座に理解できたから。
異端騎士にとって、
それがどれほど異端騎士同士の戦闘において絶大なアドバンテージになるかなど、火を見るよりも明らかだ。他ならない《第三最大異端》が、兵装中心のストラテジーを提唱したのも、「兵装は異端騎士のバトルスタイルを定義する」という理論に基づいたものだったはずだ。
原則として、一人の異端者が接続する世界は一つ。転じて、その身に宿す異法も一つ。目の前の《第三最大異端》のような特別な人間でもなければ、必然的に異端兵装も一人一振りのはずなのだ。そこに『二つ目の異端兵装』が加われば、パワーバランスが大幅に崩れることなど想像にたやすい。過ぎるといっても良いほどだ。
例えるならば、素人のモーターレースに、プロを乗せたジェットエンジン付きのスーパーカーを投入するようなものである。文字通りに次元が違う――異端騎士としての戦闘ならば、レートすらもアテにならなくなるほどの力を手に入れることが可能だろう。
「没落寸前だったその家系では、一人でも多く、強力な異端騎士を揃える必要性があってな。無責任な話だけど、起死回生の一手としてその子供の力を使うことにした」
その時の情景が、目に浮かぶようだ。
持って生まれた己の力。その希少性も理解できぬまま、ただ大人たちに命じられた通りに異世界の門を開く少年の姿。その胸に宿った恐怖の、どれほど絶大なものだっただろうか。
家族だと思っていた人たちから向けられた瞳が、自分を道具としてしか見ていなかったこと。それを知った時の彼の絶望が、どれほどその胸を引き裂いたことだろうか。
有司は続ける。一言発する度に、その顔から感情が抜け落ちていく。
「無理矢理の接続儀式は当然失敗する。そいつは、どこか特定の世界に接続することはなかった。当たり前だよな、《異法》ってのは時凍みたいに、普通は先天性で授かってるもんなんだ。異世界と繋がる才能は、後付けで手に入るもんじゃない。それが
そこで初めて。
彼に、表情が戻ってきた。
「ああ。正統のままならよかったのに……無理矢理異端世界に放り込まれたそいつは、どうやら、最大級に異端だったらしい」
それは、さっき見せてきた、自嘲気味の笑いと、ほとんど変わらないものだった。あるいは、もっと酷く、誰かを、自分を責めている様にも見えた。
「確かに落ちこぼれ野郎は、どこの世界とも接続することなく帰ってきた。だが代わりに、そいつはとんでもないものを正統世界にもたらした。端的に言うなら、異端世界の物体をこっちの世界に持って来ちまったんだよ」
一瞬、何を言っているのか分からなかった。
そもそもの
彼らが操る異能は大抵の場合、次元を超えて接続先から召喚される。地球の法則・規則に囚われない数々の超自然現象は、まさにその典型例だ。
ゆえにこそ、異端世界の物品が正統世界へと持ち込まれることは、決しておかしなことではない。そう考えたのだ。
だが数瞬の後に、話の主題を思い出したことで、それは間違いだと悟った。その人物が正統世界に持ち込んだ、異端世界の存在は、きっと。
「正統世界の住人になった……? 完全にこちら側に定着した、ということですか?」
「まぁ、端的に言えばそういうことだ。異端世界が正統世界を侵食するためには、《異法》を持ち込む媒体、つまりは契約する《異端者》が必要になる。だがそいつは、完全に独立して行動する、いわば異端世界の欠片みたいなのを、『兵装化』して連れてきたんだ」
少年は、一度言葉を切った。わずかに俯き、逡巡するように押し黙る。
その先を続けるには、少し、勇気が必要だ、といわんばかりに。
けれどもすぐに、その顔が上がった。瞳には、迷いの色は見えなかった。
「連れてこられたそいつには、落ちこぼれ野郎のDNAを基盤として、人間の、丁度十歳くらいの少女の姿が与えられた」
「ッ!」
ここまで聞けば、もう、誰にだって分かる。それが誰を指しているかなど。ああ無論、『完全自律型兵装』だけでなく、『兵装化使い』の正体まで。
正直、途中で察してはいた。けれど実際に「そうなのだ」と分かると、なんというか……想像以上の衝撃、雷電のような何かが、背筋を駆けあがっていくようだった。
「まさか……」
「ああ、そのまさかなんだわ。異端世界に放り込まれた問題児っていうのは俺のこと。俺が連れてきた、連れて来てしまった異端世界の生物が、今、三橋舞花って呼ばれてる女の子だ」
ぐらり、と視界が揺らいだ。咄嗟に手を付き、倒れることだけは避けた。逆に言えば、それが限界だった。受けた衝撃の全てを、隠し切ることはできなかった。
「異端世界の住人がこっちの世界に顕れるなんて、神話時代から通しても初めての話だ。加えて舞花は無害なだけの偶像ではなく、凶悪な《異法行為》を行使できた。時凍も見ただろ? あいつ、全部の《異端者》のパーソナルデータが分かるんだけど……その力も、元を辿ればその《異法行為》に基因する」
今は本人の希望で封印してるんだけどな、と、有司は苦笑する。
その瞳の、なんと悲し気なことだろうか。その表情の、なんと辛そうなことだろうか。
己の過去の行いを――
「ついでに俺の、《異法》に関係なく兵装を引っ張ってこれるっていう力も、他の勢力の注目を集めた。調子に乗った偉い方は、俺たちを交渉材料にして異端騎士社会での地位を上げようと画策し始めたんだが――」
「……没落寸前の弱小騎士家の交渉に応じるよりは、奪い取る方が早い、と……」
「まぁ、そういうこった。恥ずかしい話だが、俺と舞花を巡って戦争が起きた。舞花は異端世界を解明するために必須に近い、格好の研究材料だし、俺の力に関しても、戦争で優位に立つために、いくらでも使い道がある。騎士たちは自分が今後の抗争で有利になるために、血みどろで戦った。気が付けばそれは全世界に波及していて……結局、表世界に《異端者》の存在がバレるくらいにでかくなっていた」
現代の人間なら誰でも知っている、紛うことなき歴史の分水嶺――《大戦争》。その引き金を引いたのが、隣に座るこの少年なのだ、という事実に、改めて驚きを隠せない。
だってそうではないか。確かに、三橋有司は《最大異端》だ。世界でたった五人しかいない、最強の異端騎士の一角だ。それでも彼は、女の子の下着姿に動揺して、普通の朝ごはんにひどく喜んで、妹との関係性に悩む、どこにでもいる普通の男の子なのだ。にもかかわらず、彼はずっと、己を責め続けているのだ。一人の少年が背負いきれるはずもない、あまりにも大きな罪を携えて生きているのだ。
ふと、氷菓は有司の肩上に、身の丈の数倍もありそうな錘が乗っている様を幻視した。
この六年間、ずっと背負ってきたのだろう、世界中を巻き込む戦争の、火ぶたを切った己の罰を。自分と出会ったがために、最愛の妹を戦の渦に叩き落したその咎を。
鉛の何十倍も重い――彼の、人生そのものを。
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