第6話『レート・テン(1)』
異端者学園というものは、大抵の
寮での一件より小一時間後。新出雲市で最大のショッピングモール。
そのアベニューに、有司、舞花、氷菓の姿があった。舞花はぶっすぅぅぅぅ、と、お手本のような仏頂面。今さっき買ったばかりの様々な家財を乗せたショッピングカートを押す有司が、がりがり頭を掻きながら、前を歩く彼女に向かって呼びかける。
「おい舞花、いい加減に機嫌直してくれよ」
「嫌」
「悪かったって」
有司が両手を合わせても、舞花はつんとそっぽを向いたまま。心なしか歩調も速い気がする。カートの重量に手間取っていれば、その隙にどんどん距離を開けられてしまいそうだ。はぐれてしまっては大変なので、氷菓には彼女の動きをしっかり見てもらっていた。
そんな彼女だから、舞花の考えが読み取れたのだろう。最低です、という心の声が聴こえそうな、極寒の眼差しで指摘する。
「相当機嫌を損ねたみたいですよ。完全に突き放しているときの歩き方です」
「だよなぁ……」
有司ははぁ、とため息を一つ吐くと、取るべき対応を模索して思索する。
こうなってしまうと舞花は頑固だ。時間経過での解決を望むのは不毛だろう。彼女が一度決めたことを中々曲げない性格なのは良く分かっている。まったく、誰に似たのやら。その一方で、絡め手を使っての解決は有司の特に苦手とする分野だ。ああいうのは場数とテクニックがモノを言う。戦闘ならいざ知らず、人間関係ともなればさっぱりである。たとえそれが、妹を相手にしたものであったとしても。
思えば舞花がここまで気を悪くしたのも久しぶりだ。昔はもっとワガママだったのだが、成長するにつれて彼女なりの良識を培ったのだろう。ここ最近は、ちょっとたしなめてきたり、服越しにつねってきたりする程度だった。
それが今回に限ってあれだ。積もり積もった兄の狼藉(?)のせいで、ついに堪忍袋の緒でも切れたのだろうか。まぁ確かに有司自身の目線からみても、ちょっとないな、と思う対応がここ数日で多発しているように思う。
……まぁ、全く理由が想像できないわけではないのだ。むしろそれしかないとさえ言える。ただなんというか、認めるのが恥ずかしいというか……ああもう。
謝っても機嫌を直してくれそうにないことは、今さっき証明されたばかりだ。だったら、導き出されたこの答えに従うしかあるまい。
「時凍、荷物、ちょっと預かっておいてくれ」
「え? は、はい、構いませんけど……」
カートを氷菓に押し付ける。有司たちの部屋は、まだ洋服が段ボール詰めになったまま隅に置かれている程度。クローゼットにカーペット、各々の部屋に置くための机など、調達した家具は大抵のものが大型だ。女の子一人に任せるのはどうかとも思うのだが……。
「それから、その、なんだ。これからすることに、あんまり目くじらを立てないでくれると嬉しい。また話がこじれるかもしれないからさ」
「はぁ……」
困惑気味に頷く氷菓を後目に、有司は駆け足で舞花の背後に近づく。
「舞花」
「ひゃんっ」
その小さな体を、ぎゅっと抱きすくめた。びくり、と跳ねる肩。改めて己の妹の、なんと軽く、細く、儚いことだろうかと密かに驚く。いつもの気の強い言動や、戦場での頼りになる姿、そして有司自身の精神的主柱としての立場が、彼女を知らぬ間に大きく見せていたらしい。ああ、そうだよな、と、心の中で呟いた。
努めて明るく語り掛ける。逃がしたりしないように、両腕にちょっと力を込めて。背後の方で氷菓が「なんてはしたない……」とつぶやいているのが聞こえたきがしたが務めて無視。目くじら立てるなって頼んだじゃん。
「もうちょっとゆっくり歩いてくれよ。俺、走らないと追いつけなかったんだぞ」
「……別に、追いつかなくてもよかったじゃん」
返答はぶっきらぼう。まるでいつもの有司のようだ。なんだかんだ兄妹、素のところはきっと良く似ているのである。
「そういうわけにもいかねーだろ。大事な妹を一人でいかせるわけにもいかんしな」
「兄様は!」
振りほどくようにこちらを向いた舞花は、いつものポーカーフェイスを大きく崩していた。今にもこぼれ落ちてしまいそうなほど大粒の涙を、その麦穂のような黄金の瞳になみなみと湛えて、それでもなお、彼女は押し殺すように声を絞り出した。
「兄様はいつもいつもそう言ってばっかり……! 私が、どんな想いでいるのかなんて、分かろうともしない癖に!」
「そうだな。だから今、分かろうとしてる」
きゅっ、と、その小さい手を執り、握りしめる。ああ、体躯にも増して儚い手だ。幼子ならば残しているだろう柔らかさが、少女特有の別の柔らかさへと転換している。彼女は見た目通りの幼女ではなく、れっきとした一人の女性なのだと思い知らされる。必然的に彼女の儚さとは、年齢からくるものではないことも、同時に。
ああ、そんな変なところで脆い部分も良く似ている。おかしいくらいにそっくりだ。ならば、読み取れない感情は、自分の内に語り掛ければ見えてくるはず。無論、女の子特有の感情の機微、みたいなのまでは流石に分からないけど。
「こんなんでも、俺にも色々と人間関係はある。その中には、お前とは結んでないものもあるかもしれない。でもな、舞花。お前と結んだつながりは、他の誰かじゃ代用できない唯一無二のものなんだよ。俺の妹はお前しかいないんだ、舞花」
言い方は悪いが、昨日今日会ったばかりの誰かに崩されるような絆ではない。これまで一緒に歩んできた人生の長さ……端的に言い換えれば『重み』みたいなものが、根本的に異なる。
三橋舞花は、誰の代わりでも、誰かに代わられるものでもない――かけがえのない、有司の妹だ。
でもそれを、言葉にしてきたことは、思い返せばそんなになかったような気がする。その代償がこのケンカだというのなら、仲直りの方法はひとつしかあるまい。
「毎朝ちょっと過激だけど起こしに来てくれて、ご飯を作ってくれて、戦闘でも日常生活でもサポートを徹底してくれる、頼りになって可愛い妹はお前しかいないんだ」
多分有司自身、同じ状況に置かれたら、今の舞花みたいになるだろう。そう思えるからこそ分かる。
今まで自分が一番だった部分を、氷菓に取られてしまったことで、「有司がまるごと氷菓に奪われてしまうのではないか」と恐れたのだ、彼女は。自分がどっちつかずの対応をしたことも悪かった。その不安に、拍車をかけてしまった。
では、その不安を打ち消してやるには、どうするのが最適だろう? 同じように舞花が誰かに取られてしまうかも、と自分が錯乱したならば、どういうことを言われれば落ち着くだろう? そうやって逆算していけば、案外と答えは簡単に出てきた。
――彼女の立場の不動性を、見せつけてやるのが丁度良い。
有司は妹の手を握る指に力を込めると、その瞳を真っすぐに見て口説きにかかる。まったくガラでもない。
「どんなに俺が変わっても、お前が、俺の世界で一番大切な妹であることは変わらない。それじゃダメか?」
「やだ」
即答である。まぁそうだよな、第一なんだ今の言い草、などと一人反省会を開きかける。
だがそれは、舞花の潤んだ瞳に、哀しみや憤怒とは違う色を見たことで、即座に閉会した。ああ、うん、よく見る光だ、これは。ならば次に彼女の言う言葉は決まっているだろう――
「私は兄妹以上の関係になりたいから」
「畜生そんなところだろうと思った」
大正解。思わず苦笑してしまう。その表情に、何か安らぐものでもあったのか。舞花もまた、釣られるように笑い出してくれた。ああやっぱり、女の子っていうのは笑っているときが一番可愛い。あれだけ彼女に対して戒めていたくせに、不覚にも自分の方がドキっとしてしまったではないか。
「……プレゼントくらいで許してくれ」
「ん。特別に許してあげる。私、指輪が良い。薬指に付ける用の」
「流石にそれは駄目」
「兄様のケチ」
笑顔を引っ込めて、いつもの無表情に戻る舞花。けれどそれは、よく見ればどこか晴れやかというか、心配事が一つなくなった、というか。そんな軽快さを帯びているように思えた。
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