第8話『レート・テン(3)』

「……それから、どうなったんですか」


 聞くのは野暮かもしれない、と、声に出してから思った。けれども何故だろう、取り消すことはできなかった。

 身の上を語る有司が抱える辛さ。それを自分に吐き出すことで、楽になって欲しかった。少しでも、背負うものを軽くしてほしかった。


 その想いが、届いたのだろうか。有司は瞼を閉じながら、むしろ穏やかに語り出す。


「当たり前だけど、家は潰れたよ。生き残ったのは姉貴と俺と舞花だけ。あとは歴史の教科書で知っての通りだ。姉貴はその後、地道に異端騎士として強くなり、俺と舞花は三橋の生き残りであることを隠すために名を偽って、異端騎士として戦い続けた。戦いすぎた、と言った方が良いかもしれない。気が付いたときには、四人のレート9をも下してしまった後だった」


 彼の言う通り、そこから先は《異端者》どころか表世界の住人でも知っている常識だ。世界中を巻き込んだ《大戦争オリジナル》は、五人の《最大異端イレギュロード》たちによる同盟の締結、という形で終幕した。

 目の前の少年を始めとし、彼らは単騎で複数人の異端騎士を鎮めることもできる絶対的な強者だ。それが五人、束になったらどうなるかなど、誰もが分かり切っていた。


 戦争は瞬く間に片付いた。《異端者》に纏わる様々な条約や国際法が整備され、それまで個人ごとに呼び方も異なっていた《異端者》に纏わる用語が、明確に定義づけられた。異端深度、という言葉も、そうやって生み出された新語の一つだ。


 そう、異端深度だ。今の話だけでは、有司のレートと、《第三最大異端》のレートが大きく異なる現実に説明がつかない。


「それだけの功績を得れば、レートは相当な数字になるはずですが」

「まぁ、予想してはいると思うけど、俺は《異端者》じゃないから、厳密には異端深度もない。なまじ異端世界に触れるせいで、いわゆる普通人ってわけでもないあたりがややこしいとは自分でも思う。レート0ってのはまぁ、そういう事なんだが……」


 言いよどむ有司。次の言葉が見つからないらしい。


「では、《最大異端》の称号は、レート9だから得たものではない、と?」

「そこにも色々事情があるんだが……言ったろ、《第三最大異端》バアル=アスタナトライは俺一人のことじゃなくて、俺と舞花二人を合わせた偽名なんだ。舞花は元々あっち側の存在だ。彼女の本当の異端深度は、まぁぶっちゃけると10なんだよ」

「レート、10……」


 理論上、存在するのではないか、と聞いたことはあった。

 そもそも異端深度が上昇する理由には諸説があるらしいが、最も有力なのは《異端者》と異端世界、ひいては《異法》の適合率が向上したことを示す、というものだ。


 氷菓にテレビゲームの経験はさほどないが、よく『レベル』と表現されるのはそういうことなのだろう。《異端者》とは、経験を積めば積むほどより正統から外れていく、つまり一層異端になっていくのだ。だからこそ、全ての異端騎士の頂点に立つレート9の事を、最も異端なる者として《最大異端》と呼びならわすのである。


 それでも、《最大異端》は正統世界に生まれた人間だ。彼らは異端世界の住人ではない。

 ではその存在が、完全に異端世界の側に置かれるようになったなら? 正統性など微塵もなく、その人間がいわば《完全異端》になってしまったならば?

 きっと異端深度は9を超えるだろう。最初から異端世界で生まれた舞花ならなおさらだ。


「まぁ色々ワケあって『三橋舞花』の殻が与えられたことで、彼女はこの世界の人間として定着した。その時点で舞花のレートは9に『下がった』。それは《第二最大異端》が覚醒した後で、後の《第四最大異端》がレート9に到達する前だった。舞花が舞花として存在するには俺が必須だし、《異法行為》も俺経由じゃないと使えない。実際あの戦争を勝ち抜いたのも、恥ずかしいことに俺だしな」


 息つぎをするように、有司は一度言葉を切る。


「でも、《異端者》の定義ってのは『異法に触れた人間』だ。俺たちは二人合わさることでようやくその資格を手に入れる。三橋舞花は人間に、三橋有司は異端騎士に。だから舞花だけを見れば《異端者》とは呼べないし、俺もどこに出しても恥ずかしいレート0ってわけ」


 だから彼らが、バアル=アスタナトライなのだ。

 だから彼らは、二人で一人のレート9イレギュロードなのだ。

 兄だけではただの人。妹だけではただの兵器。二人揃うからこそ、彼らは騎士になれるのだ。

 なのに、と、三橋有司は――かつて《第三最大異端》と呼ばれた少年は歯噛みする。


「どうやら俺だけ、相当に《異端者》っぽくなっちまったらしい。自分を特別扱いして、舞花のことも特別扱いしてた。あいつを特別な存在にしちまったのも、あいつが普通の人間であれる世界を作ろうと戦ったのも、他でもない俺だっつーのに……」


 俯いたその表情は暗かった。握りしめた拳が震えているのが、すぐ隣に座る氷菓には分かってしまう。


「怒られて当然だよな。特別な間柄だから、舞花は俺の事を分かってくれるはずだって……あいつなら、俺が何をしても理解を示してくれるはずだって甘えてたんだ。そのことに気付かずに、二人の関係性は変わらない、なんて無責任なことを言っちまった。悪い方向に変わることはない、っつー意味で言ったつもりだったけど、それは二度と、出会う前の俺達には戻れない、ってことでもあるわけだ。舞花に呪いをかけたようなもんだよ」


 考えなしだな、俺、と、有司は力なく笑う。俺なんかと出会ったことを、きっと後悔しているはずだ、と。


 そんな彼の姿を、とてもではないけれど見ていられなくて。氷菓は少しばかり言葉を選びながら、口を開く。


「さっき言ったことを自分で覆すのは癪ですけど」


 ちょっとは考えて行動してください、という台詞の話だ。有司の短慮を改善するためにはそれが一番だと思っていた。けれども、今の話を聞いて気が変わった。


 きっと逆だ。彼は誰よりも他人のことを思うがゆえに、ああいう行動をするのだろう。肩の上に錘が乗っている、というのは、決して錯覚などではなかった。彼は本当に、責任感の塊のようなモノをその身に乗せて、強固な鎖でがんじがらめに固定しているのだ。

 その鎖を外して上げたくて、氷菓は努めて優しく語り掛けた。


「むしろ、考え過ぎだと思いますよ、私は」

「……え?」

「だって見てください、舞花ちゃんの顔」


 つい、と指差すその先には、ショーケースを覗き込んでは、次のケースへと移っていく舞花の姿。その表情はいつも通り変化していないが、足取りは軽く、纏う雰囲気は楽し気だ。

 女の子同士、通じるものがあるのだ、多分。舞花には、彼女が考えていることが良く分かった。


 どれを選んだら、『兄様』に似合うと言ってもらえるだろうか。どれを選んだら、『兄様』に振り向いてもらえる自分になれるだろうか。どんな風に着飾れば、『兄様』とずっと一緒に居られる、本当の家族になれるだろうか――恋する乙女の一挙動は、いっそ有司が気づけないのが不思議なくらい顕著に、その内心を反映していた。

 彼女は一つのケースの前で立ち止まると、そのまま何かを想像するようにじっと中身を見つめる。

 それから、ふわり、と、金木犀の花が咲く様な、小さな笑顔を浮かべたではないか。あれのどこが、『今の自分』を疎む者の表情だろうか。


「あなたと出会ったことを、後悔している様に見えますか? あなたの妹になったことを、辛く思っている様に見えますか? あなたが、二人の絆は途切れないと言ったことに、失望しているように見えますか? いいえ、絶対にそうは見えないはずです。あなたが彼女の兄を名乗る限り、舞花ちゃんが、今のあなたに対して不満を抱いていないことくらい、分かるはずです」


 賭けてもいい。三橋舞花は、三橋有司の妹である『今』を、何よりも大切に想っている。


 有司は舞花が機嫌を悪くしたのは、彼女の役割がなくなってしまうことを憂いたからではないか、と推測していた。舞花の態度から察せる通り、それは正解だったのだろう。

 であるならば、その動揺も、舞花の有司への慕情あってのものだ。彼女が有司との出会いを後悔しているなら、そんな風に思うことなどないだろう。


「けど、俺は……」

「けどもなにもありません。否定的な目で互いの繋がりを見ているから、さっきみたいに喧嘩するんですよ。舞花ちゃんはあなたから愛されていることへの確信を、あなたは舞花ちゃんとの六年間が間違いじゃなかったことへの確証を、それぞれ持っていれば、不安に思うことなんて一つも出てこないですよ、きっと」


 何を偉そうなことを言っているのかと、自分でも思う。


 確かに氷菓は二人の護衛役だが、言ってしまえば『そこまで』の関係だ。そもそも舞花がへそを曲げたのは、自分が有司と親しく(?)していたからだろう。今の状況を齎した元凶といっても過言ではない。そんな自分が、彼ら兄妹の関係に口出しをするのは、よく考えればおかしい。「お前に何が分かるんだ」と言われても、なんら不思議ではないほどだ。


 それでも、伝えるべきだと。そう思った。

 恐らくだが、美有が弟たちに護衛を付けたのは、単純に《騎士狩り》から護らせるためだけではあるまい。彼女は有司と舞花の間にある『迷い』みたいなものを見抜いていて、それを解きほぐさせるために、自分をその輪の中に突き入れたのだ。なんだか当て馬にならされたみたいで腹立たしいけれど。


 有司は前髪を弄りながら苦笑する。昨日今日とで分かってきたが、気分が変動しているときや、考え事をしているときの癖だ。うん、あと一押し。


「……すげぇな時凍は。断言できちまうんだから」

「こう見えても『《第三最大異端》オタク』ですので。直接顔を合わせたのは昨日が初めてでも、憧れの二人のことくらい、良く分かっているつもりですよ」


 口に出すのは意外と照れる。ガラにもなく自分の頬が赤くなっているのが分かった。


 無論、二人のことを良く把握している、というのは冗談だ。そうでありたい、とは思っているけれど。

 そもそも《第三最大異端》が二人組だなんて、昨日初めて知った話である。バアル=アスタナトライは常に覆面と外套で素顔を隠していたので、年代と『兵装使いの極致』という立場以外は、どれだけ氷菓が、クラスメイトに曰く「《第三最大異端》ガチ勢」だったとしても、その正体に気付くことなどできまい。


 けれど、知り合ってから僅かな時間しか経っていなくても、理解できたことがあるのは本当の話だ。有司の不器用な優しさ。舞花の真っ直ぐな想い。好物、習慣、二人の間の固い絆。そういうのを辿って行けば、できる助言の一つや二つ、思いのほか簡単に見えてくる。


 そんな氷菓の言葉をどう受け止めたのか、それともただの冗談か。有司はぴしりと固まると、顔をしかめて困惑する。


「え、何それは……もしかして一挙一動ノートに書き留めてそこから思考パターンとか割り出しちゃうタイプの人だったりする?」

「馬鹿なんですか?」

「ストレートに言うなぁ……」


 前髪をいじっていた手で、そのままがりがり頭を掻く有司。きっとそれで、スイッチを入れ替えたのだろう。次に顔を上げたとき、彼の表情は晴れやかだった。


「サンキュ、元気出てきたわ」

「まさか叱られて喜ぶタイプなんですか? いえ、性的嗜好は人それぞれですから、否定はしませんけど……」

「ちげぇよ!? っていうかどっからその話に繋がった!?」


 思わず、といった様子で、有司が声を張り上げる。思わず笑いがこぼれてしまった。


「そうやってツッコミをしている方が、きっとあなたらしいですよ」

「お、おう……」


 たじろぐ有司。若干顔が赤いように見える。どうしたのだろうか。


「……兄様……?」

「うげっ」


 そんな彼の正面に、いつの間に近づいてきたのだろうか、舞花が目元を暗くして立っていた。ハイライトがない。なるほど、これは確かに怖い。

 彼女は兄のあんまりな反応に対してむっ、と頬を膨らませると、


「可愛い妹に向かって『うげっ』はどう考えてもNG。やはりここは分からせる必要が」

「はいはい分かった分かった。で、決まったのか?」

「うん。兄様が赤か黄色のがいい、って言ってたから――」


 有司の手を引いて、アクセサリーショップの方へと戻っていく。

 やや駆け足気味な二人の足取りは軽やかで。もう、有司の肩に、過剰な錘は見えなかった。


 楽し気な兄妹の姿に、良かった、と思うと同時に、一抹の寂しさを覚える。すぐ近くにいるのに、二人の輪の中に入れないことがもどかしいのだ。


 直後、自分は何を考えているのだろう、と首を振る。やはり心のどこかで、憧れの異端騎士に近づきたい。そういう欲求が本能的に存在すると見える。折角二人の関係修復に協力したのに、なんてことを考えているのだろうか、自分の心は。


 異端騎士というのは、《代理戦争》で社会の行く末を決める以外にも、いろいろと普通人にはできない依頼を請け負う場合が多い。特に要人の警護は最たる例で、氷菓はこれが初めてだが、本来なら比較的ポピュラーな依頼と言えた。


 それだけに、セオリーのようなものは存在する。いや、異端騎士に限らない、一般社会でも通底する常識だ。

 護衛は本来、護る対象と深くかかわるべきではない。

 彼らと自分は、所詮は依頼が続く間だけの関係なのだ。家畜に名前を付けると別れがつらくなる、というのと同じだ。ひと時の交流でしかない顧客に、いちいち個人的な感情を抱いていてはキリがない。


 自分で言うのもなんだが、氷菓は賢い。そういう部分は弁えているつもりだ。

 つもり、だというのに。

 あの兄妹のことを、もっと知りたい、もっと仲良くなりたい、という感情を、抑えることができない。『騎士狩り』の事件が終われば、二度と会うことはないとまではいかずとも、今の様に同じアパートの隣室で暮らす、といったことはなくなるはずだ。学生寮はあくまで彼らにとって仮住まい。いつかは出ていく場所である。


 それでも、最強の異端騎士について知りたい、という知識欲とは、根本的に違う『知りたい』が、溢れ出ることを抑えられないのだ。


 特に有司だ。あの間抜けな面構えを見ていると、不思議と彼が最強の異端騎士だということを忘れてしまう。

 舞花と二人で一人、ということを差し引いても、覇気がないというか、なんというか……母性本能を刺激する、というのとはまた違う気がするが、自分よりも圧倒的に強いはずなのに、「守ってあげなくちゃ」と思ってしまう。


 胸の奥、自分の知らない場所が、きゅーっと握られてしまうような、不思議な感覚。

 まるで恋をしているかのような……というところまで考えてから、違う違うとその思考を吹き飛ばす。これは憧憬だ。異性としての興味では断じてない。大体会って数日で想いを寄せるとか節操がなさ過ぎる。いくら長いこと憧れていた人物だからとはいえ、当人と出会い、交流を始めたのはごくごく最近。


「……馬鹿馬鹿しい」


 声に出すことで、より自分を律することができる気がした。

 そうだ。馬鹿馬鹿しいことだ。少女漫画でもあるまいし。ましてや一目惚れとかそういう類のものである可能性など断じてない。ないったらない。


「……何考えてるんでしょう、私……」


 はぁ、とため息を一つ。何の意味もなく、疲れだけが重く圧し掛かる。

 家財の乗ったショッピングカートを見上げる。しばらくはこの子が話し相手かなぁ、などと思いながら、ぼんやりと物思いにふける。


 兄妹は、なかなか帰ってこなかった。アクセサリーの発注に時間がかかっているらしい。荷物を頼む、と言われている都合上どうしようもないが、護衛なんだしやはり様子を見に行った方が――などと思っていると。

 不意に、モールの客たちがざわめき始めていることに気付いた。アクセサリーショップは建物の三階に位置するが、どうやら一階の方で何かトラブルが起こっているらしい。


 吹き抜けから下の階層を見下ろしては、「なにあれ」「まずくない?」「やばいよね」と、客たちが顔を見合わせながら、口々に不安をこぼしあう。

 何が起こっているのだろうか?―氷菓が彼らに事情を聞こうと、腰を上げたその時。


 たぁん! という、発砲音が、モール中に響いた。


 即座に、銃型異端兵装の音だと理解する。この世界に存在する全ての銃の発砲音、そのいずれとも異なるそれは、異世界からやってきた《異法》の象徴、その咆哮に他ならない。往来でそんな音を聞くなど、日常の出来事ではまずありえない。


「動くんじゃねぇぇぇええ!! 死にたくなけりゃなぁ!!」


 荒々しい男の声が響き、客たちの間から悲鳴が上がる。咄嗟に階下を見れば、一階、北口から南口を繋ぐ大通りの中心、小さな噴水が設けられた広場に、客たちが集められているところだった。彼らの怯え切った目線の先にいるのは、取り囲むように陣を組んだ武装勢力。


 その手に構えられた銃が、固有の兵装ではなく、黒く塗り替えられた汎用兵装であることに気付いたとき。


 氷菓の中で、何かが弾けた。


 それは多分、怒りだ。感じたことのないほどの憤怒。有司と舞花が生み出したものを、悪の名のもとに汚されたことへの怒りが、凍える吹雪となって氷菓の周囲を漂い出す。


 どうして今になって、こんな感情が出てくるのだろう。

 心の中で考えてしまう。答えはすぐに出てきた。むしろ思考の必要さえなかった。ノータイム、というやつである。


 だって今は、二人がどういう想いで、《第三最大異端》を演じていたのか知っているから。もう自分はただ憧れていただけのファンではなくて、彼らと関わる「当事者」になってしまったから。


「――目覚めなさい、《十二時の鐘が鳴る前にグリムリーパー・サンドリヨン》」


 気が付けば彼女は、《異法》によって強化された身体能力をフル起動させて、階下へ向けて大きく身を投げ出していた。

 護衛任務を完全に無視していることへの罪悪感は、どうしてか湧いてこなかった。

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