幕間『ある伝道者の独白』

 ――今なお、その光景が目に沁みついて離れない。


 神だ。異世界の神。紅く渦巻く煌焔の向こうに、一柱ひとり佇む、漆黒の金木犀。こちらを見据える金の目に、魅入られた。まるで金縛りにあったかのように、指一本たりとも動かせなかったあの日、あの時。


 男の生家は、欧州の宣教師の血筋を色濃く継いでいた。なんでも安土時代にこの国に入り、それ以来ずっと、神の教えを説きながらこの国で生活してきたらしい。

 最初の頃は良かった。民衆を救う神の教えは、貧しい農民たちには大層よく好まれ、先祖たちも優遇されたと聞く。たどり着いた土地の大名が、外来人に友好的だったというのも大きかった。


 だが時代は変わった。江戸時代には外来宗教は迫害を受けた。その重圧がなくなる頃には、貧しき農民の多くは消え、人は神の教えを信じることはなくなっていた。


 そんな一家の身の上話を毎日のように聞かされていたものだから、男はいつの間にか、争いの絶えないこの時代に、自分が神の平和を齎すのだと信じていた。神の教えを世界に広め、人類を『救済』するのだ、と。

 一家がかつて、異世界を放浪したという鍛冶師から、神の教えを授けてくれた礼にと渡されたという、真紅の妖刀が、その未来を補佐してくれると思っていた。それは神の教えに呼応し、人々を救う刀だと言われていたから。


 だから六年前、後に《大戦》と呼ばれることになる、面妖な術理を扱う騎士たちによる戦争が起こったとき、今こそ自分が伝道するときなのだ、と確信した。彼に《異端者》なる、その戦へ参加するための資格があったことも、その自信に拍車をかけた。


 けれども――彼らは神の救いを受け入れようとはしなかった。

 誰一人として救うことは叶わず、逆に斬りかかってくる始末。そんな異教徒たちに妖刀は容赦をしなかった。彼らを斬り捨て、血を吸い、妖刀は新たな伝道の先を示してくれた。


 そんなある日のことだったのだ。男が、仕えてきた神を間違えていたことを、思い知らされたのは。


 彼は出会った。出会ってしまった。異端世界より降臨した存在に。

 焔が金色に照らす長い黒髪。小柄な体に、驚くほどの色気を携えたその姿。黄金に輝くその瞳に、男は彼女こそが『神』だと確信した。


 神は男に微笑んではくれなかった。彼女は数刻ほど彼を見つめると、興味を喪ったかのようにふいと視線を外し、何処へと消えた。たった数秒、ほんの一瞬の遭遇。それでも男の思想を極限まで捻じ曲げるには、十分すぎる時間だった。


 男は、新たな救いの形を見た。人類の行きつく先、完全なる救済の到達点は、この正統世界ではなく異端世界。あの『神』が住まう領域にあるのだと確信した。

 ――直後、自分の身が血しぶきを上げる音と、焼けつくような痛み、そして体の隅から近づいてくる凍るような寒気が、男を一斉に襲った。これまで誰かを斬り捨ててきた己が、因果応報、今度は誰かに斬り捨てられたのだ、と気づいたのは、彼が殆ど死んだ後だった。


 あれから六年。男は、自らの異端兵装だった妖刀から新たな命を与えられた。それはきっと、今度こそ神の教えの伝道を――『人類を救う使命』を課されたからなのだ、と男は確信した。神に連なる新たな姿。人類の進化した極致へと、彼らを導く宿命を得たのだと。


 調べによると、どうやら神とは即ち『いれぎゅれぇと』が『十』の者を指すらしい。異世界の生命、そのものなのだそうな。そして『れぇと・てん』とは、騎士が極限まで強くなった姿なのだという。

 それを聞いた瞬間に、彼の目指す、新たなる人類の形は確定した。『れぇと・てん』。完全に異界へと渡る力を手にした人間。神と同質にして、新たなる神に導かれて異世界を行く強者たち。


 幸いなことに、妖刀は男に命を与えたのと同じ原理で、他者に『救済』を施すことができる優れものであった。だがその形は少々強引で、か弱い者では到達しえない救いとなってしまった。心残りがあるとすれば、その一点である。

 ともかく、男は『救済』に耐えられると目を付けた者に、次々に救済を施した。何人かは数日間耐えたものの、今日にいたるまで、いまだ誰も救うことはできていない。


 だが、以前とは違う。この伝道は間違っているかもしれない、という疑念は、今の彼には微塵もなかった。いつか必ず、『救済』に耐えうる存在が現れる。その時を皮切りに、全ての人類を救済へと導くことができるようになるはずだ。


 そう確信する男の姿は伝道者というより人斬りだった。それゆえ、異端騎士は何か通り名を付けたそうだ。今日救えなかった、何某いう異端騎士も呼んでいた。

たしか――ああそうだ、《騎士狩りナイト・イーター》、と。

 何とでも呼ぶが良い。興味などない。己が欲しいのは唯一つ――そう、新たなる神と共に到達するべき、人類の救済だ。


 旅はまだ、続きそうだと、一言呟いて。ハイ・カーボンの隙間に溜まった雨水を、古びた草履で踏み荒らしながら、男は、ぬばたまの闇の奥に消えた。

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