第3話『異端者の学園にようこそ。では死ね(3)』
異端騎士育成の最前線として世界的知名度を誇る私立神無月学園は、最高級ハイ・カーボンを編み上げたいくつもの建造物の集合体だ。
生徒達のホームルームが存在する中央棟を始めとし、実験室や美術室といった技術系の教室を収めた棟、異端騎士としての実技演習を行うための訓練場──およそ十五から十八歳の少年少女を教え導くのには過剰と思えるその姿は、一種の要塞のようにさえ思えた。
その要塞の司令塔、学園の敷地内を一望できる位置に存在する理事長室で。
「表が随分騒がしいと思ったら、まさか覗き魔退治の大捕物だったなんて。まったく、近頃はどこも治安が悪くて大変ねぇ。そう思うでしょ、犯人さん?」
「だぁぁああああれのせいだと思ってんだこのクソ姉貴ィッ!! てめぇさては最初からあの部屋を待ち合わせ場所にするつもりなかっただろ!」
三橋有司が絶叫していた。それはもう全力で。正直あまり良いとは言えない目つきが、怒気に歪んで余計に酷くなっている。気の弱い子供が見たら泣きそうだ。
「ふふふ、どうかしらね?」
無論、その目を向けられているのは、不良顔耐性の低い子供などではない。むしろその正反対のような人物だ。有司の威圧をものともせず軽快な笑い声をあげる。
彼女の名は
二人と同じ、しっとりとした長い黒髪。ゆるやかに癖毛なのは、特に弟とお揃いだ。黒玉を思わせる瞳に宿るのは、いかにも悪戯が好きそうな光。中背の弟、幼女体型の妹と異なり、長身かつ出るところはしっかり出た体を、マッドブラックのスーツで覆っている。
そんな彼女は、皮のソファに堂々と腰掛けていることからも分かる通り、この神無月学園の理事長である。一校を預かる人物にしては少々奔放が過ぎる気がしなくもないのだが、事実なのだから仕方がない。
艶っぽい視線を寄せてくる実姉の姿に、有司は大きなため息を一つ。
「あのなぁ姉貴。毎度嫌がらせしてくるのやめてくれよ本当に。されるこっちの身にもなってみろっての」
「あら、愛情表現の裏返しよ。有司のクラスにもいなかった? 好きな女の子の気を惹きたくて、ちょっかいをかける男の子。あれと一緒」
「あれは自分のやってることが逆効果だと気づけてないから酌量の余地があるのであって、姉貴のは自覚ある分許しようがないわ」
「その通り。まずは既成事実から作りに行くべき。私のように」
「お前との間には何の既成事実もないからな?」
腰回りにしがみついて来る妹の額をずべしっ、と弾く有司。「あんっ」という妙に色っぽい声を放ちながら舞花が仰け反る。その反応を止めろ。
「俺だけが迷惑被るならまだしも、今回は他人にも影響出てんだぞ。いい加減にしてくれよ」
「氷菓ちゃんの裸のこと? 巨乳好きの有司にはいいプレゼントだと思ったんだけど……不満だった?」
「全俺の中で絶賛大不評だわ! あと裸は見てないからな。断じて見てないからな」
「うそっ、時間的に絶対全裸になってる場面だと思ってたのに?」
「普通に下着姿だったぞ。やっぱ銀髪娘にレース付きの黒は超似合うな……ってそうじゃなくてだな」
この姉と会話をしているといつの間にか自分のテンションまで変わってしまうのが怖い。
異端者学園の理事長と言えば、世界的にも非常に権威のある立場だ。若干二十代の若さでその座に就いていることを思えば、それだけ周囲の人間をコントロールする力に長けている、と解釈できる。できるのだが、その力を、他人をふざけ話に引き込む方面で活用しないでほしい。切実に。
「とにかく、こういうことは二度としないでくれ。俺にプレゼントを贈りたいなら何か別の方法を考えろ」
「その通り。第一兄様は貧乳派。前提からして姉(あね)様(さま)は間違っている」
「そういうことじゃねぇ。自分の身体をプレゼント扱いされた時凍の気持ちにもなってみろっつー話だよ。絶対嫌だろ」
少なくとも有司は嫌だ。いかな異端騎士といえどやはり人間、モノではない。人権の一つや二つ、当然持ち合わせている。そんな己の身体を、自分のあずかり知らぬところで誰かの娯楽のために使われる……想像するだけで恐ろしい。
ところが姉妹たちはと言えば、きょとんと顔を見合わせて、可愛らしく首をかしげるだけだった。
「いや、私は全然……」
「むしろ今すぐリボンをつけてプレゼントボックスに入るのもやぶさかではない」
「駄目だこいつら」
現代人の貞操観念というのはいったいどうなっているのだろうか。いや、氷菓はかなり身持ちの固さはガッチガチのタイプに見えたので、この二人がおかしいだけな気もする。
天を拝む兄の姿に、不思議そうな表情で、三橋舞花がうそぶく。
「私がこういう態度を取るのは兄様にだけ」
「むしろ実の兄にそういう態度を取るっていうのはどうなんだ一体」
「問題ない。妹が兄を好きになることも、兄が妹を好きになることも自然の摂理。いたって当然の出来事。圧倒的レギュラー」
「全ッ然レギュラーじゃねぇからな! むしろ圧倒的イレギュラーだからな!!」
反論は正にのれんに腕押し。舞花は「何を言っているのだろう」、と言わんばかりにクエスチョンマークを浮かべるだけ。何を言っているのだろうと言いたいのはこちらのほうである。本当にどういう思考をしているんだお前は。
おまけにどういう思考をしているのか分からない人物二号の方まで、ほわんほわん笑いながら事態をかき乱しに来た。
「そうよ。だったら姉が弟を好きになって、弟が姉を好きになるのも道理であってしかるべきだわ。ねー、有司」
「ねー、じゃねぇよ馬鹿姉貴」
「その通り。姉弟で恋愛なんておかしい」
「お前に言われたくないと思うぞ」
「そうよ。兄妹で恋愛なんておかしいわ」
「なぁ、俺の話聞いてた!?」
声を荒げる。全く何なんだろうこの姉妹は。自分の事を棚に上げる天才か何かなのだろうか。どちらかというと天災のような気がしなくもないが。
そんなことを考えながらぜぇはぁと肩で息をしていると、理事長室のドアが小さくノックされた。ぷしゅう、という軽快な音と共に、自動ドアがスライドする。
「……失礼します」
入ってきたのは、銀色の髪の少女だった。
時凍氷菓だ。ツーサイドアップにした長い銀髪が、窓から入る陽光に、つやつやと煌く。
氷の精を思わせる可憐な容姿に思わず目を逸らす。真正面から見据えることは、残念ながらチキンかつ女性耐性のない有司では難しい。誠意が籠っていないように見えるとは分かっているのだが。
恨みがましい視線を向けてくる彼女に、有司は反射的に頭を下げていた。
「その、なんだ……悪かった」
「別にいいですよ。私もあなたも、理事長の掌の上で踊っていただけですから」
ふい、とそっぽを向く氷菓。怒っている、というよりは呆れているらしい。それもそうだろう。何せ当初は反省の色もさっぱり見せていなかった覗き魔が、今になって謝ってきているのである。有司が同じ立場なら、この場でもう一度斬りかかっていてもおかしくない。
来世まで呪う発言や、弁明を許さない一方的攻撃は流石にどうかとも思うが……まぁ、その程度で済ませてくれるあたり、案外優しい娘なのかもしれない。
その様子に美有がくすくすと笑う。
「なぁに氷菓ちゃん、憧れの男の子にお肌見られて恥ずかしがってるの?」
「なあっ!?」
雪のように白い肌が、耳まで真っ赤に染まる。マンガなら噴き出す湯気と共にぼっ、と効果音でも付きそうな勢いだ。
「そ、そんなのじゃありません! 第一お肌を見られるのは誰が相手でも恥ずかしいモノだと思うんですが!」
「またまた~、真っ赤になっちゃって可愛いんだ」
どうやら返しの言葉を見つけることができないらしい。氷菓は真っ赤になったままフリーズした。同情する。美有は他人をからかうことに関しては超一流だ。どうでもいいところからすぐ揚げ足を取ってくる。反論はそのまま次のいじりの種になるのだ。
はぁ、と一つため息をつくと、有司は姉の言葉を遮る。
「そこまでにしておけよクソ姉貴。だいたいなんだ憧れの男の子って。俺ら初対面だぞ」
「あら、気が付かなかったの? 氷菓ちゃんはね、《第三最大異端》に憧れて異端騎士になったのよ」
「なんだって?」
一瞬耳を疑った。俺たちに憧れて異端騎士を目指した? どういう人生の無駄遣いの仕方だ。
言われてみれば分からないでもないあたりが余計に首を捻らせる。
時凍氷菓の戦闘は、《異法》を中心にしたものではなく異端兵装を主軸に置くタイプである。それは彼女が、異端騎士として《代理戦争》で活躍する、レート7であることを鑑みれば、少々珍しい内容だった。
分かりやすく威力もあり、なおかつ派手な《異法行為》軸のタクティクスは、エンターテイナーとしての側面も持つ異端騎士には大変高い人気がある。当然といわれれば当然だろう、《異法》とは《異端者》の象徴であり、諸人と彼らを分ける代名詞でもあるのだから。
一方で実戦の事を考えるなら、小回りが利く兵装メインの方が有利な場合が多い。六年前の《大戦》は、いわずもがな実戦だった。有司は単純に当時の《異法》が兵装に特化した内容だったこともあって、《異法行為》はただの必殺技、戦闘の基本は兵装同士の激突である、という理論を考案していたものだ。
最も、今の時代に実戦などというものは殆どない。戦争は《代理戦争》というある種のスポーツへと縮小され、異端騎士の役割は生体兵器から代表選手へと変貌した。戦いには冷酷さと命を奪う力ではなく、派手さと観客を楽しませる力が求められる。結果として第三最大異端の打ち立てたストラテジーは、事実上廃棄されたようなものだった。
そんな懐かしくも時代遅れになった己の思想に、まさかこんなところで再会するとは。しかも担い手は現役の異端騎士である。ついでに可愛い女の子と来た。完璧である。過去の己に親指を立ててGJを言いたいが……複雑な感慨だ。
うぅむ、と唸っていると、隣で舞花がわなわなと震え出した。目にハイライトが入っていなかった。怖い。
「兄様……まさかただ存在してるだけで女をたぶらかすなんて……まさか兄様と添い遂げるルートに入るためには、兄様を殺して私も死ぬしかない?」
「最初からどこにもねーよそんなルート。あと誑かしてもねぇからな」
残念ながらというべきかなんというべきか。《最大異端》という肩書はともかく、三橋有司という人間自身には、誰かを惹きつけるような魅力は全くない、と自覚している。確かに美有と舞花は妙な対応をしてくるが、二人は血の繋がった家族だ。完全な赤の他人との間に恋愛感情を育める自信はないし、誑かす、などという一方的な内容ならなおさらだ。
実際、氷菓が憧れていたのも、『異端兵装使いの頂点』としてのバアル=アスタナトライであって、三橋有司ではない。
「尚更悪かったな。俺みたいなのが《第三》の正体で」
「全くですよ。正直幻滅しました」
芸能人と実際に会話をした結果、思っていた人物像が崩れてしまった、という話は枚挙にいとまがない。氷菓の内心は、今まさにそんな感じの状況なのだろう。
「そもそも、本当にバアル=アスタナトライなのですか? 言いましたよね、汎用兵装を使うにはレートが足りない、って」
「おう。どこに出しても恥ずかしいレート0だからな、俺」
「それです。そもそもレート0、とはなんなのですか。《最大異端》であるなら、あなたのレートは9のはず。第一、異端深度の最低値は1です。レート0とは普通人であることと同義ではないのですか?」
「あー、まぁ、そのだな……」
視線が揺れる。
有司が《最大異端》の称号を冠しながら、レート0などという妙な立ち位置にあることには、きちんとした理由がある。だがそれは、今日初めて会ったばかりの、それも《第三最大異端》に憧れて異端騎士になった、とまでいう少女に明かしていいようなものではない。
フラッシュバックする風景は、暗雲に覆われた空。
礼賛を唄う雷が轟き、大地は讃美歌を響かせながら砕け散る。
巻きあがる炎の奥、とどけ、とどけと精一杯に伸ばされた、有司の幼い手が、もっと幼い小さな、小さな、白く細い手を握り締めて。
自分を見つめる愛らしい瞳が、まるで焔に中てられたかのように色を変えていく。
黒玉の色から、空に煌く明星を思わせる金色へと。
その小さな体は無数の粒子へと姿を変え、いっそ禍々しいまでにねじ曲がった、血色の刃がぎらりと煌いて――
「それにはねー、色々とワケがあるのよ。でもごめんね氷菓ちゃん、今は教えてあげられないわ。有司自身が語るときまで、ね」
はっ、と。美有の暢気な声で、思考が現実に引き戻される。気が付けば、掌にじっとりと嫌な汗がたまっていた。その様子に気付いたか、舞花が心配そうにそっと手を握ってくれる。
「でも有司が本物の《第三最大異端》なのは確かよ。《大戦》に関わった身として、それだけは保証する。それは私が、氷菓ちゃんと有司、それから舞花ちゃんを引き合わせた理由に繋がるしね」
「理由、ですか?」
「姉様のことだからただの嫌がらせかと思っていた」
「違うわよー。確かに悪戯目的も若干あったけど」
「やっぱり入ってるじゃねぇか?」
反射的に突っ込んでしまった。やっぱりこの姉、ろくな人間じゃない。
けれど頼りになる人であるのは確かだ。妹と一緒に、いつだって弟の心の支えになってくれる。その証拠にもう、掌に嫌な汗は溜まっていない。
「……それで、理由ってのはなんなんだ?」
ぶっきらぼうに問う。このままでは永遠に話が進まない気がしたからだ。精神の脆い所を助けてもらったことに対する、照れ隠しの意味もあった。
「そうねぇ、どこから話したものかしら……」
悩まし気な表情で、頬へと手を当てる美有。やたらと絵になるのが腹立たしい。この姉は舞花と同じで、自分と血が繋がっていることが信じられないほど美人なのだ。
この密室で美女三人(内訳・大人一人、同年代一人、見た目幼女一人)に囲まれている、という状況に今更ながらドキドキしてきた。いやいやうち二人は身内だから、と、よこしまな感情を叩き潰す。
あれ? でもその内一人は身内じゃなくて赤の他人だし、この情動に間違いはないのでは? いや落ち着けこれこそが姉の狙い――などと、思考の混乱が収まらない。
しばらくすると、美有は桜色の唇を開いて問うてきた。
「《
「《騎士狩り》? なんじゃそりゃ」
妙な名前だ。
二つ名というのは、その異端騎士の特徴であるとか、戦いぶりから連想される概念を指し示していることが多い。例えば有司の《第三最大異端》は、文字通り「世界で三番目のレート9到達者」であることを示す。氷菓の《白雪姫》も、雪と氷を操る戦術と、その可憐極まる容姿から取ったものだろう。今は事務職に就いたために騎士としては引退しているが、現役時代の美有は《
一方、その《騎士狩り》というのは、わざわざ二つ名として採用する理由が見当たらないのだ。異端騎士というのは基本的に異端騎士と戦うためにある。多数の騎士と戦い、勝つことは彼らの世界では『普通』のことであり、いかに無数の騎士に打ち勝った猛者であるとしても、わざわざ狩人の称号を与える必要性はどこにもないのである。
「異法テロリストの名前。ネット掲示板でたまに名前を見る」
首をかしげる有司に、舞花が解説をくれる。ありがたい。こういう時、機械機器に弱い有司にとって、逆に機械やネットでの情報収集に優れる妹の存在は大変頼りになった。
「ほーん。最近流行りのなんとやら、ってやつか」
「出没が完全にランダムかつ回数も少ないため、実在を疑われている、と聞きましたが」
「そう。往来で高レートの異端騎士に勝負を挑んでは重傷を負わせる……どちらかと言えば、テロリストというよりは辻斬りよ」
なるほど、それなら納得がいく。
前述の通り、異端騎士は異端騎士と戦うためにある。だがそれは、六年前の様に実際の戦場で縦横無尽に、というわけではない。当然の事だが、現代における彼らの《戦争》は、ハイ・カーボンのコロシアムの中だけで行われるものだ。
しかしその騎士狩りとやらが刃を抜くのは、銀色の円形闘技場ではなく通行人ひしめく街中でのことだという。《異法》の使用についていくつかの国際法が制定された現代においては、許可のない状況・場所での異能発動は、罰則の対象になる可能性がある。それをものともしない姿勢はなるほど異法テロリストで間違いないが、そういう存在は往々にして無差別に人を襲う。異端騎士だけを狙う犯行スタイルは確かに異質だ。二つ名を形作る『特徴』として相応しいだろう。
「それで? その《騎士狩り》さんと、俺らが呼び出されたことに何の関係があるんだ」
「それはね……」
ぴん、と立てられた白い指が、銀色の少女を指し示す。
「……私、ですか?」
「そう。氷菓ちゃん、あなたにはね――」
そこで美有は、もったいぶる様に言葉を切った。少し悪戯っぽく口角を上げた彼女の姿に有司の背筋がぞわりと泡立つ。嫌な予感がする。それはもうする。
果たして、続く内容はその予感が的中したことをしめしていた。
「──この二人の護衛をしてほしいのよ」
空気が、硬直した。それこそ《遍く命は氷獄に芽吹く》の極寒の風景がごとく、致命的に凍り付いた。
「……は?」
「は?」
少女二人から異口同音、しかして全く違うトーンで疑問符が放たれる。氷菓は何を言われたのか理解に苦しむ、と言った様子で。舞花の方は、たった一文字に相当の怒気を込めて。
「ち、ちょっと待ってくれ姉貴! そいつはどういうことだ?」
「言葉通りの意味よ。氷菓ちゃんに、あなたたちを騎士狩りから護ってもらうの。何か問題がある?」
美有の方も美有の方で、自分の発言に何らかの落ち度があったとは全く考えていないようだった。無論、当事者たちからは反対の声が上がる。
「大ありです。彼は《最大異端》なのでしょう? 私の護衛など必要ないように思いますが」
「そうだぞ。こんなんでも一応異法テロリストくらいになら負けない自信があるが」
「紛うことなき大問題。兄様の傍にこんな堕肉の塊を置くなんて耐えられない」
舞花は言い過ぎというか方向性がずれている批判な気がする。氷菓の方も「堕肉……!?」とショックを受けているではないか。兄ちゃんは人を傷つけるような子にお前を育てた覚えはない。
「まぁまぁ、そう言わずに。舞花ちゃんはまぁ、ライバルが増えてお気の毒様って感じだけど……有司としても悪くはない話のはずよ」
「俺が? なんでまた」
確かに、氷菓のような可愛らしい女の子に自分の身を護ってもらえる、というのは男のロマンの塊みたいな事柄だが……美有が言いたいのはそういうことではないだろう。
「有司。騎士狩りを一人で倒すのは、あなたにレートがいくつあっても難しいわ」
「何だと?」
その予想は的中した。姉の表情はいつになく硬い。件の狩人、どうやら相当に尋常ではない強さをしているらしい。
「運よく生き残った子に話を聞いたんだけどね? どうにも近接戦闘方面で、尋常ではない強さを発揮する《異端者》らしいのよ。瞬間火力だけなら、それこそ格闘戦闘最強の誉れも高い《第五最大異端》に迫るほど」
「マジかよ。そりゃハイレート騎士ばっかり狙っても仕事になるわ」
「けど兄様と私には関係ない。私たちはレート9。あのちんちくりんにも負けない」
ちんちくりん、というのは、《第五最大異端》が舞花と同じか、それ以上(あるいはそれ以下)に小柄な容姿をしていることにかけた呼称だろう。かの異端騎士にとって、その姿はデメリットでもなんでもない。本人曰く、「小さい方が、破壊力が出て好都合」というくらいには圧倒的な攻撃力をしていることを、直に戦闘を見た有司はよく知っている。というかぶん殴られて死にかけたこともある。
噂の異法テロリストは、その《第五最大異端》の破壊拳に迫る火力を出せるという。なんだかんだ家族想いの美有が、弟たちに護衛を付けたくもなるのも理解できた。
だがそれだけではまだ足りないように思う。《第三最大異端》にとって、《第五最大異端》は一度倒した相手だ。加えて《騎士狩り》の力はあくまで瞬間火力。永続的に破壊をばらまいた小さな拳神に勝るとは、とてもではないが思えなかった。
それは美有も分かっているのだろう。彼女は舞花の言葉を受けて苦笑した。
「そうね。二人が万全なら、私も氷菓ちゃんにわざわざ護衛を頼んだりしないわ。そもそも彼女も騎士狩りの襲撃対象になる高レート騎士よ。教え子をみすみす危険に晒す教師なんていないわ」
でもね、と、美有は表情を改める。また、あの硬い顔。
「今のあなたたちは全盛期のあなたたちではないわ。いえ、当時の力が出せないわけではないのでしょうけど、出したくないはずよ。少なくとも有司は」
「――! 流石にお見通しか」
「でも……!」
「舞花ちゃんも、有司とずっと一緒に居たいでしょ?」
「……うん」
舞花まで言いくるめられてしまった。俯いて、悔しそうに歯噛みするだけ。有司の方でも反論ができない。なるほど、自分にとっても都合がいい話とはそういうことか。
確かに有司は《第五最大異端》を倒したし、恐らく今でも倒せるだろう。けれどそれは、世界最強の四人と刃を交えた六年前と、全く同じ出力で戦えれば、の話だ。
今の有司は、諸事情で当時の戦闘力の一部を封印している。であれば、喪った部分を氷菓に補ってもらうのは悪くない選択肢だ。
それに――美有の提案には、恐らく言外に出していない意図がある。
件の騎士狩りは、高レートの騎士を優先して攻撃する。有司と舞花は正体をずっと隠していたので、実際に刃を交えなければレートを察されることはないだろう。
だが氷菓は違う。彼女は先日放送されていた《代理戦争》での一面のように、世界に名を知られた異端騎士だ。騎士狩りが襲うなら、恐らく彼女の方である。
美有は教え子に弟と妹を護ってもらうのと同時に、二人に教え子を護れ、とも言っているのだ。もしも有司が全盛期であったなら、そうしていたと言った通りに。
それなら、断る理由もあるまい。少々舞花方面で面倒くさくなりそうだが、そこはなんとかできると、自分を信じよう。
美有が妹そっくりの美貌を可憐な笑みに変え、両手を合わせて喜んだ。
「決まりね。実はもう、荷物の搬入は頼んであるのよ!」
「は?」
「ちょっ、姉貴てめぇ! 最初から俺らの意見聞くつもりなかったな!?」
「うん。だって聞いてないでしょ?」
そう言われて、馬鹿正直にこれまでの会話を脳内再生してしまう。うわマジだ。
「あ、ちなみに部屋は三〇三号室。氷菓ちゃんの部屋の隣だからね」
「なっ……!? ち、ちょっと待ってください理事長!」
「やーよ。言ったでしょ、もう荷物頼んでるって。それに氷菓ちゃんも都合がいいでしょ? 護衛対象の部屋がすぐ隣だと」
「それは……確かにそうですけど!」
あまりにも強引な理事長の判断に、氷菓は必死で反論しようとする。しかし彼女の意見を覆すだけの言葉を、探し当てることができなかったのか、いくつか言葉にならい呻き声を漏らしてから、少女は沈黙した。
どうやら氷菓と美有は長い付き合いらしい。このクソ姉の近くで生活してきたとなれば、さぞ苦労をかけたことだろう。これからは自分もその側に回るのかと思うと、なんというか、申し訳なくなってくる。
「あー、その、なんだ……すまん、よろしく頼む」
「……いいですよもう……はぁ」
有司が頭を下げると、氷菓は疲れ切った表情でため息をつく。その姿がやたらと絵になっていて、美少女というのはずるいな、と改めて思い直した。
理事長室の窓から空を見上げれば、さっきまで青々としていたはずの空を、どんよりとした雲が覆い始めている。これから先の不安感を、代弁しているようだった。
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