それでも魔女は毒を飲む

押田桧凪

それでも魔女は毒を飲む

「死ぬことで身の潔白が証明されるのは、誰でしょう?」


 突然の問いにおののいた、というのは言い過ぎだろうが、それに近い感情が動いたのは確かだ。影を限りなく薄くして、学校の図書室で読書をしていたというのに。


 僕の平穏に終わりを告げるかの如く、彼女は突然現れ、そこで僕は見つかってしまった。別にかくれんぼをしている訳ではないけれど。


 彼女はいつの間にか僕の目の前に寄ってきていて、開いた本のページの上から覗き込んでくる顔が間近に迫っていた。気配に気付かなかったということは、それぐらい僕は読書に集中していたのだろう。


「どうしたの、急に。嫌いな牛乳をどうにかして誰かに飲んで貰うのを頼む時の態度では無いんじゃないかなぁ……?」


 結構早口気味になりながらも、余地を与えないように言う。コミュ障の僕が最も気をつけないといけないのは、『正確に伝える』ことだろうから。一方的になりすぎるのはよくない。一応、対話の流れを汲んだつもりだ。


「……」

 顔を赤らめて俯く彼女の表情は産地直産。鮮度良好。


 ──きっと当たりだ。今は昼休み。給食終わりに、飲みたくない牛乳を抱えてここまで来た、といったところだろうか。後ろに回した左手にでも隠し持っているのだろう。


 ◆ ◇ ◆


 新学期に入って早々、一年次から同じ新聞クラブに入っていただけで特に交流も無い女子から話しかけられるようになったのは別に大したきっかけではなかった。


 クラス内と同様に、クラブの中でも僕は陰に潜むような態度を徹底していた。いつも、クラブ活動ではただ黙々と、学級新聞の記事を書いていたのだから、誰とも接点がなくて当たり前だった筈が……。

 『牛乳のおいしい活用法』などという、たまには趣味を交えた内容も取り上げてみようと画策していた矢先。


「ねえきみ、牛乳すきなの?」


 水性ペンで挿絵イラストを描いていた時、横から突然声を掛けられて思わず肩がビクッと揺れた。


 ◆ ◇ ◆


「で、回答どうぞ!」

 

 死ぬことで身の潔白が証明される、人物……? 誰だろう。なんとか頭を振り絞って答えを出そうと、宙を見つめながら考える。


「ん? あ。えーと、ガリレオ・ガリレイ? あれ、違う……?」


「ガリレオって磔にされた人だよね、確か地動説を唱えてて異端と見なされて殺された──」


「いや、磔はキリスト。ガリレオは軟禁させられてたけど、結局は病死だよ。まぁ死後になって、やっと地動説が認められたってことで」


「ざんねーん不正解。正解は、魔女でした〜」


 僕の訂正をさっと遮るように、彼女は下唇に人差し指を当て扇情的なポーズを取りながら、声を伸ばす。


 んー、正解出すの早くないか。まだワントライなんだけど。もうちょっと考えたかったなあ、と惜しみながらも、僕は答えを噛みしめる。


 魔女。なるほど魔女か。深い。

 不死だもんな、魔女は。

 ──死ぬことで身の潔白が証明される。

 いや、ガリレオという回答もすごく惜しい気がする。宗教裁判も魔女裁判も有罪だと火あぶりにされた、らしいし。確か火刑っていうんだっけ。


「それが、どうしたの?」


「あっ……いや、なんでもない。はいこれ牛乳。受け取ってください!」


 いきなり頭を下げられても。誰かに見られてないか辺りをちらりと見やる。図書室には、幸い今は二人だけのようだ。あと、司書さん。


 それからひとたびの沈黙の後、彼女が口を開いた。

「じゃあさ、もし私が魔女だったらどうするのよ」

 急に何だろう。

「えーと。どうも、しないかな」 

 というのも特別彼女に対して好意を抱いている訳でも無ければ、興味もない。


 借りた本の返却の際に持ってきた手提げバッグに、牛乳を丁寧にしまう。それから、本を閉じて書架に戻そうと席を立った。

 いたたまれなくなってその場から静かに去ろうとすると、右腕を掴まれて、でもどこか加減された感じで引き留められた。ぎゅうっと。


「いや、魔女が今生きてたら驚かない? 普通」


 魔女、というファンタジー全開な単語を含んだセリフを口にしながらも、彼女の、その真剣な眼差しに僕は気圧されそうになる。うっと一瞬息が詰まるも、なんとか言葉を口にする。


「普通に生きることに慣れてくると、驚くことがなくて退屈だ」


 あれ、何言ってんだろ。よく考えると自分でも論点の掴めない、しかも意味不明な返答に気まずくなった。火に油を注ぐかのようにカオスな会話を、あろうことか自分から始めてしまうとは。


 掃除開始のチャイムが鳴った。


 ◆ ◇ ◆


 続きは放課後に持ち越しになって、僕は再び図書室を訪れていた。一日に二回も行くのは初めてな気がする。


「じゃあさーわつぁしが魔女だったーらー、サノくんはさ、驚かないわけ?」


 勿論、昼休み同様、真剣な眼差し。残念ながら、「私」が一瞬うまく言えてなかったことに笑える雰囲気でないようなので、堪えるのが苦しい。


「いや、魔女って狩られたよね。もう大分昔に」


「あのねぇ魔女サンたちはあの頃、時代の先端をいってたの。錬金術まがいの見世物をして生計を立ててたわけなんだけど……。当時の人間達は見えないものや理解を逸脱したもの、不可思議なものを恐れて、それらを排除しようとしてた。魔女狩りもその1つなんだけどさ」


 やけに熱のこもった口調になって語り出した。こちらも「前のめりになって、ウンウン頷きながら聞くような態勢」のフリをして構える。


「へぇ〜」


「なにそれぇ、聞き流してんのぉ?」


 どうやら素っ気ない相槌が無気力ボイスと相まって逆効果になってしまったようだ。


「い、いや。そうじゃない……けど」


「それに『魔男』はいないのに『魔女』はいる。魔女を罰する風潮を生み出したのは、女性差別によるものなの! まあひどいこと」


「なるほど。で、魔女は牛乳が嫌いなのか」


「そうね。牛乳飲んだあとって気分わるくなっちゃう」


 それは個人的な問題では。


「牛乳って体に良いよー。身長伸びるし。ほらさ、あの──胃もたれになった時に牛乳って良いし、胃に膜を作るっていうから、ね?」


「魔女にとっては毒なのよ。飲んだら寿命を縮めてしまうもの。いつか、死ぬのよ」


 魔女に効く毒か。


「……ってか、大体小学校の時とか今まで給食どうしてたの?」

「ハハッ、それはね〜」

 ニヤリと笑って、改めてこちらを見つめる。


「小学校のときはさ。缶あるよね、あの給食室で飲み残しを回収する缶。あれにドッサリ中身を毎回捨ててたんだけど〜、今は時々、売店に売ってる微糖コーヒーだっけ、アレと混ぜるか、捨てるかー、飲んでもらう?的な」


「あっそうそうコーヒー牛乳って商品名は今はないんだけど、なんかあの牛乳っていうのが『生乳100%』を指す感じで、加工品にはそういう名前付けれないらしくて。ミルクコーヒーとかカフェオーレみたいな名前ならいいらしいんだけど。コーヒー牛乳もミルクコーヒーも変わらないでしょって感じだよね。ハハッ」


 いつの間にか話題がすり変わり、完全に彼女の独擅場どくせんじょうと化してしまった。おまけに、雑学チックな興味深い内容を地味に盛り込んできて、なんだか悔しかった。


 ◆ ◇ ◆


 図書室での談義以降、それから暫くは彼女と会っていなかった。同じクラスでもなく、クラブも週一だから、それほど不思議でもないけれど。


 ◆ ◇ ◆


 1週間後。放課後、クラブの教室。

 鼻歌を歌いながら微笑を浮かべて、その場をくるくると回転しながら、こちらに近付いてくる一人の姿。自主制作ポスターのコンペに向けて、皆が静かに作業をする中、彼女は異様だった。

 そして、一枚の薄いコピー紙のようなものを手渡してきた。


「どーぞ」


 どうやら腹部の輪郭のようだ。

 そこに写っていたのは──健全な人間の、一枚のレントゲンだった。胃の部分は特に異常はなさそうだ。


 なんだ、今度はそっちか。


「骨粗鬆症にはくれぐれも気をつけて」

 まだ先のことだと思いながらも、彼女を気遣って声をかけた。


「えなに、ギャくksyショショ……?」


 今日も彼女は平常運転。回転運動。

 それでも地球は回っている。

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