第46話 好きで、好きで、好きで

 着たこともないような高価な水色のツーピースを身に纏って歩いていると、ローズも、フローラも、一気に現実離れした存在に感じた。


(本当は)

 人間になる前の猫のままの、あのボロいアパートに花ちゃんと慎ましやかに暮らしていたころが、一番楽しかったんじゃないか、なんて考えた。

 気づいたら、繭はすみれ寮の前に立っていた。


 玄関のライトがともって、万副さんの夕食を知らせる声がした。

 夏休みの間、繭として寮へ戻ろうと思えばマシューのように戻る事も出来た。でも今の、ただの生徒と教師の関係に戻った花と向き合うのが怖くて、実家に帰るのを決めたのは自分だった。


(なのに)

 ももになる事で現実から逃げようとして、あげくに、花が自分を選ばなかったことにねて、それをお膳立てしたフローラに腹をたて、八つ当たりしていた。


「最低だ、わたし…」


 俯いた足元に自分の長い影が見えた。

(帰ろう…)

 ゆっくり振り返った繭を、

「待って、繭ちゃん!」

 誰かが呼び止めた。





 -ローズの家-


「嫌われた」

 フローラが、さとの膝に頰をのせて呟いた。

「完全に嫌われた」

「あら。ケンカしちゃったの? どんなに仲が良くても一度や二度はそういう事もあるでしょ」


 さとが、金色のフローラの髪を優しく撫ぜた。

「違う。私、いじわるばっかりしたから。ももちゃんにも繭にも、困るような事ばかりした」

 フローラは溢れてくる涙を、さとのカーキ色のエプロンで拭った。


「後悔はしてないの。別れたばっかりであの寮に戻って、先生のふわふわした姿を近くで見たら、きっと、繭でも、ももちゃんでも悲しくて辛くなる。でも……」

「でも?」

「ヒドイやり方だったって思う。先生と、ももちゃんの間に深い亀裂を入れちゃった」

 そこまで言って、咳上げるようにしてフローラは泣いた。

「ローズの時の私は…、好かれてると思う…。でも、フローラの時の私を繭は……繭はきっとキライなのよ!」




「別にキライじゃないよ」

 繭が苦笑わらった。


 すみれ寮の近くの公園のベンチに、繭とエミリーの姿があった。

「でも好きじゃないよね?」

 エミリーが繭の横に座った。

「…だって、知らないんだもの、彼女のこと。頭ではわかってるの、ローズと同一人物だって。でもローズの時と性格も雰囲気もまるで違うから…」

「ふーん」


 エミリーは、時計台に目を移した。そしてしばらく考え込んでいたけれど、

「やっぱ、繭ちゃんにはお姉ちゃんあげない!」

 立ち上がって、エミリーが繭を見下ろした。

「え?」

 繭が目をぱちぱちとまたたかせた。


「お姉ちゃんのこと、何にもわかってないから。だからあげない! フローラも、ローズもあげないから」

「エミリー…?」

「表面しか見てないじゃん。同じ角度からしかいつも見ようとしないじゃん。本当のお姉ちゃんを知らないくせに、簡単に答えを出すなんて絶対絶対おかしいよ!」

 エミリーはそう言うと、すみれ寮の方へと歩いて行ってしまった。


「………」

 繭はただ、その背を見送るしかなかった。

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