morning call

麻城すず

morning call

 このところ、いつもこう。

 目覚まし時計の耳障りな電子音。起き抜けのぼんやりした頭。少し遅れて訪れる、目眩、胃痛、それから吐き気。

 原因は分かっている。智依(ともい)のせいだ。

 携帯を掴んでコール。8回目でやっと出る、寝ぼけた甘ったれた声。

『んんー、はい』

「おはよう、もう7時だよ。起きて」

 付き合い始めて最初にされたお願い。モーニングコール。一日の一番最初に聞くのは私の声が良いなんて言われて、喜んで請け負った。

『ありがと。んー、まだ眠い』

「夜更かししたんでしょ」

『わかる?』

 ズキン。

『昨日バイトの後皆でカラオケ行ってさ、朝まで歌ってきたんだ。あー、ダルい』

 ズキン。

「早く用意してね」

『おー。志希(しき)、サンキューな』

 ズキン、ズキン。

「……じゃあ後で」

『ああ、学校で』

 プツリ。軽い智依の受け答えはいつも通り。はああ、と電話が切れた途端に出る盛大な溜め息。まるで話している間中、呼吸が出来なかったかのように。でも冗談ではなくそうかもしれない。智依の反応が怖くて、私はまともに息が出来ない。



※※※




「あれ、智依君じゃない?」

 駅前のショッピングモールからの帰り道、最初に気付いたのは静流(しずる)で。私は示された光景を見て、だけどどうすることも出来なかった。ただ、平常を保つ振りをするだけで精一杯。

「誰あの女、やだ、智依君何で他の女と歩いてるのよ!」

 私の肩を掴み、目を逸らすことを許さないように揺らす静流がうるさい。騒がないでほしい。智依は私の彼だ。静流には関係ない。騒がないで。

「今日バイトだって言ってたし、きっとそこの子よ」

 それは間違ないだろう。以前智依のバイト先に行った時に見掛けたことがある。特徴的な髪色が目を惹く、顔の小さな女の子。

「だって志希、あの子と智依君手を繋いでるんだよ? おかしいじゃない」

 静流の子供っぽさにうんざりする。別にそのくらい大したことじゃない。智依から繋いだわけじゃないだろう。女の子は智依の手首を一方的に掴んでいるだけだ。振り払わないくらい、なんだっていうの?騒がなくていい。黙っていて。そっとしておいて。

 いつまでも不満げに文句を言う静流に口止めをした。別に平気。あんなこと何でもない。三年も付き合っている私達の絆に、あんな一瞬は何の重みも持たない。


 ――そんなのは、嘘だ。


 あれからそんな光景は見ていない。智依に変わったところはないし、私もいつも通り。話し、笑い、触れて、感じ合う愛情。

 だけど、何故だろう。

 一緒にいることが、恥ずかしいけれど幸せで、心地良いと感じていたあの気持ちはどこかへ行った。冷やかされることに照れることはなくなり、胸の痛みにすりかわった。



※※※



 毎朝の習慣。モーニングコール。それをやめたいとその日の帰り、智依に告げた。

「なんで」

 穏やかな声で聞き返されたけれど、あの子が隣で寝ていたらと想像してしまうからなんてとても言えなかった。

「志希、何かあった?」

 聞かないで。言わせないで。

 私は智依を失うのが怖い。ずっとずっと好きだったから。だから問い詰めたりはしない。疑いたくない。傷つけたくない。傷つきたくない。傷つきたくない。私は、傷つきたくないのだ。

「最近ね、朝忙しいの。智依、一人で起きてよ」

 聞きたい。聞けない。浮気。本気。別れる。別れない。好き。嫌い。

 あの子のことが好き?

 私のことが好き?

 智依は私のこと、どう思ってる?

 怖い、怖い。触れることが。拒絶が。距離が。智依の全てが。

「電話、もう出来ない」

 引き裂かれそうな胸。破裂しそうな心臓。打ち鳴らされる鼓動。痛み。襲いくる痛みに息も出来ない。耐えられないの、もう。

「…なんで」

 もう一度智依が言って、それで終わった。私を見つめていた目を諦めたように伏せ、背中を向けた。


 手放すことはあっけなかった。智依が戻ってきてくれるかどうかなんて分からない。私はもう二度と彼と同じ時間を過ごせないのかも知れない。だけど。



※※※



 翌朝の目覚めはすこぶる良かった。智依からの電話で目が覚めたから。

『志希が電話出来ないなら俺がするよ。朝一番、最初に聞く声は志希の声じゃなきゃ駄目なんだ』

 中毒なんだよと電話口の向こうで智依は笑った。

『どう? 朝一に好きな奴から電話もらうのって愛されてる気がして幸せじゃない?』

 知らなかった。確かに幸せ。愛されてる実感に包まれて、本当に幸せ。 

『でもさ、直接起こしてもらえたら、きっともっと幸せだよな。……ね、志希。いつかはそうしてくれる? 毎朝、俺の肩を揺らして起こしてくれる?』

「フライパン、ガンガン叩いてならいいわ」

 もうちっとも胸は痛まなかった。恥ずかしいけれど幸せで、心地良いと感じていた。照れくさかった。そして、笑えた。くだらなく思い悩んだ自分に。智依を怖がった自分に。彼の愛情に気付いていなかった自分に、涙が出るくらい笑えた。

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