パルス

 私には、波が見える。


 もう少し詳しく言えば、私は人の意思を波として感じる性質がある。

 誰かが行こうとしている方向が分かる。その人がそう思った瞬間に、その方向に波が立つ。

 誰かが話しかけようとする方向が分かる。珍しい組み合わせになりそうなときは、聞き耳を立てる。

 静かな中、男子が話すと、高低差のない波がクラス全体に浸透して、また女子が話すと高低差のある波が隣の波源を刺激して、クラス全体がうるさくなる。私は、その瞬間が手に取るようにわかる。意外と便利だ。

 でも、たまに意思の波の多さに酔ってしまうことがある。そういう時は適当に理由をつけて、その場所を離れる。


 そんな私は、人付き合いだけはちゃんとして、一人でいることを好んだ。図書室に行ったり、少しツウな喫茶店に足を運んだり。友達と遊びに行くときも、人の多いところはなるべく避けていた。その時は、また適当な理由で。

 なぜなら、私はまだ、自分の性質を誰にも話せていないからだ。



***



「ねえ、摩耶」


 昼休みの中頃、クラスでもよく話す方の友達が、私の机のそばに来た。もちろん、あのことは話せていない。


「何ー?」


「今日の午後、嵐になるらしいよ」


「うわっ、最悪。保健室行こうかな」


「摩耶って本当に雷苦手だよね」


「変?」


「変じゃないよ。むしろそういうところに惹かれる男子もいるんじゃない?」


「えっ」


 私は念のため辺りの波を注意して感じ取ろうとしたけど、特に私の方に向かってくる波はなかった。


「いや、まさかぁ」


「ふふっ。じゃあ先生に言っとくね」


「いや、いいよ。自分で行く」


「そう? わかった」


 彼女は遠くにいる別の友達に、私の予想通り向かっていった。



***



「本当に雷嫌だな……」


 私は先生に、今日の午前中で体育の授業があったからバテてしまったから、午後は保健室にいさせてほしい、と話し、保健室に向かう最中、独り言をつぶやいていた。

 ため息が漏れる。もちろん私も雷関係なしに授業を受けたいとは思っている。でも、波のせいか、単に大きな音に弱いせいか、私は雷を聞くと体が震えてしまうから、そうはいかない。


 私が足早に保健室への曲がり角を曲がろうとした時、


「きゃっ」


 ぶつかってしまった。普段人の動きは波を頼りにしているから、曲がり角とか壁とか、障害物があるときは気づけないことが多い。


「うわっ。ごめん、大丈夫?」


 ぶつかった相手はうちのクラスの委員長の瀬郷せごうくんだった。分け隔てなく人と接するイメージだ。私もそうしているけど、彼の方がやり方がうまいように感じる。


「うん、大丈夫」


 私が腰を上げようとしたその時、


―――ピカッ……。


 校内を白い光が包み込んだ。そして私がその場で固まる暇もなく、


―――ピシャーン…………ゴロゴロゴロ……。


「うわあああああ」


 私はその場にうずくまってしまった。

 予想以上に近い場所に落雷したものだから、自制が利かなくなってしまった。

 叫んでしまった。泣いてしまった。クラスの男子の前で。

 変な人だと思われる。馬鹿にされちゃう。


「あっ」


 何とか立ち上がろうとした時、バランスを崩して倒れそうになった。その時、


「え」


 誰かに支えられた。顔を上げると、彼だった。


「大丈夫? 保健室行く?」


 私は頷き、彼に体重を預けながら、保健室に向かった。

 波を理解する余裕はなくても、彼が震えているのはわかった。



「すみません……って、あれ、先生いない」


「あ、大丈夫だよ。休んでれば治るから」


「そう? わかった」


 私がベッドに横たわると、遠くの方でチャイムの音が聞こえた。


「ごめんね、瀬郷くん。授業遅刻させちゃって」


「いや、いいよ。ゆっくり休んで」


 でも、彼は、私の隣に丸椅子を置いて座ったまま、動こうとしない。


「授業、行かないの?」


「多少は遅れても、何とかなるから。それぐらいのことは、してきたつもり」


 彼にも腹黒い一面があるのかと、少し驚いてしまった。


「意外、っていう顔だね」


「えっ、なんでわかったの?」


 そんなに表情に出ていたとは思えない。


「なんとなくね。あと、気づいてないんだろうけど、来る途中にクラスメイトに俺も遅れるかもって言っておいたから」


「そうだったんだ。全然気が付かなかった。不覚……」


「俺も疲れがたまっていたのかな。少し体がだるい」


 彼の周りの波が、重そうに揺れている。


「本当、しんどそうな波……」


「はぁ…………え、波?」


 まずい、失言した。


「あ、ごめん。えっとぉ……あ、そうそう、、並大抵の疲れ具合じゃなさそうだなって。委員長の仕事も大変そうだし」


「……」


 彼の周りの波が、ぴんと張った糸のように動かなく。


「……瀬郷くん?」


「あのさ、もし俺が、波が見えるなんて言い出したら、どう思う?」


「え、そ、その、大変だと思う。波が見えたらいろいろ気をつけなきゃいけないし、疲れるし……あ、ごめん。今のなし。ううぅ……もう今日私だめだぁ……。失言を、集めてはやし、最上川だぁ……」


「最上川?」


「え、あああもう全部なし! 全部忘れて!」


 最近授業でやった、松尾芭蕉の一句が混じって、よくわからないことを言ってしまった。私は恥ずかしさのあまり、布団の中に潜り込んだ。


「あのさ、俺も見えるんだ。波」


「…………え? 波見えるの?」


 私は顔だけ布団から出した。彼は依然として真剣な顔をしている。


「藤宮さんも、見えるんでしょ? 隠さなくていいんだよ」


 私は、頷くしかなかった。



***



「落ち着いた?」


 開いたドアの向こうからこちらに来ようとする意志の波を感じ、そちらを向くと、カバンを二つ持った彼がいた。時計を確認すると、それはまだ五時間目の途中のはずの時間だった。


「うん。でも授業はいいの?」


「ああ、そうそう。一時間後ぐらいにまた天気が荒れるから、今のうちに一斉下校になったんだ。だからほら、リュック持ってきた」


「そうなんだ。ありがと」


 私は自分の分のリュックサックを受け取った。窓の外を見ると、昼休みの時と比べて少し雲の色が白くなっているのが分かる。


「結局保健室の先生、来なかった。もしかしたら今日出張なのかな」


「かもね。もし午後出勤でも、このぐずついた天気だったら来ないか」


「ふふっ、そうだね」


 私は確かな足取りで、下足室に向かう彼について行った。



「もうみんな帰っちゃったかな。すごく静か」


 波を感じずとも―――というか波は立ってないけど―――校内にほとんど人がいないことは分かった。


「俺が鍵を閉めた時、もうみんな学校の外にいたよ。職員室も、先生たち、生徒の見回りとか家のこととかでいなかったから、すっからかんだった」


 私たちはスニーカーとローファーに履き替え、傘を開いた。彼の傘は少し前に流行った骨の多いデザインだ。


「瀬郷くんの家、東町?」


「うん。藤宮さんもでしょ?」


「よくわかったね。って、波が見えてたか」


 私達は互いの予想通り、門を出たところを左に曲がった。


「で、本題に入りたいんだけど」


 彼は手をたたいた。ホームルームの時間に教壇に立った時にも、同じようなことをする。


「波はいつから見えるの?」


「私は、物心ついたときからかな。気づいたら変なものが見えてて、お母さんとかに話しても相手にされなくてね。割と悩んじゃうことが多くて」


「俺も同じ感じだったな。でも、俺は大雑把な性格だから。こういう人もいるものだって、思ってきた。でもやっぱり、この体質はおかしかったんだな」


 そつなく仕事をこなす彼が、そんな性格には見えなかった。


「雷、苦手なの?」


 彼は遠くで見える雷光を見、少し眉を細めて言った。


「うん。なんでだろ。瀬郷くんはどうなの?」


「俺も少し苦手だったけど、もう克服した。藤宮さんが苦手なのは、多分その体質のせいだと思う。雷が鳴ったとき、この辺りの波が大きく揺れるんだ。きっと藤宮さんが驚きすぎて、それに気づいてないんだと思う」


「そうなんだ。やっぱり慣れかぁ」


「あのさ、もし波のことで気になることがあったらさ、色々聞いてよ。俺が力になれることがあったら、手伝うし」


「ありが」


―――ゴロゴロゴロ……。


「ひっ」


「波を一つだけ感じて」


「ひぇ?」


「目の前に見えるいくつかの波の中で、ただ一つだけに集中してみて」


「う、うん」


 私は目の前に見える、自分にぶつかる波だけを意識した。そして。


―――ゴオォォン……。


「ひぃぃ…………ふぅ。何とか耐えた」


「よかった。意識を集中すると、少しは軽減される。あとはこれを無意識にできるまで慣れたら、克服できたってことになる。大抵のことは、これで解決できるから」


「そうなんだ。助かったぁ」


「でも、安心していられないよ。今雷が鳴ったってことは、また嵐が来るってことだ。急ごう!」


「うん!」


 私たちはカバンや制服が濡れることをよそに、走り始めた。


「びしょびしょになっちゃうな!」


「気にするー?」


 そうきくと、彼はこちらを向いて


「ぜんぜーん!」


と、叫んだ。


「あのさ! また色々教えてね! 私って、生き方下手だから!」


 こんな雨の中だったら、ずっと叫ばなきゃ、お互いの声は届かない。声が枯れそうだ。


「知ってるー! ずっと見てたから」


「えー! なんて言ったのー!?」


「何でもないー!」


 私は彼の周りの波が揺れているのを少し感じたけど、きっとそれは、これから雨が強くなるからなんだと思う。


「俺! この先の交差点!」


「曲がるんでしょー!」


「正解! 藤宮さんはまっすぐだよね!」


「あたりー! じゃあまた明日ね!」


「ああ! また明日!」


 少し強くなる雨脚も、遠くで聞こえる雷鳴も、今は私の背中を押してくれているように感じた。

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時津の本棚(短編集) 時津彼方 @g2-kurupan

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