第三十八話 回想Ⅲ
分かったことがある。
どうやら僕は閉じ込められているんだってこと。
でも、一か所だけ。
正面のちょうど目の高さくらいに、手がすっぽり入るくらいの穴が開いていることに気付いた。どこまで続いているのかは分からない。分からないけれど、思いっきり奥まで手を突っ込んでもまだ先がありそうだった。指先がひんやりする。外に
「ねえ――誰か」
僕は声を出す。
だけど、自分でもびっくりするくらい小さな声しか出せなかった。
「誰か――誰かいないの? ママ? ママ!?」
頭のずきずきが酷くなって、まるで頭の中でスズメバチが飛び回っているみたいになる。
うるさい。
うるさい!
うるさい!!
「た――助けて!」
絶対に言わないようにしよう、そう思っていた言葉を口にした途端、心の中にざわざわする気持ちの悪い何かが生まれ、止められなくなってしまった。
「助けて助けてよ! 僕はここにいる僕はここにいるのに! 誰か――だ・れ・か・っ!!」
不思議だけれど、僕は自慢の能力を使おうとも思わなかったんだ。
いろんな能力があるってのにさ。
凄いんだよ。
便利な奴もあるんだ。
でも、使わなかった。
もう、使えない、のかもしれない。
やだな、また頭のずきずきが酷くなって――。
「助けて! 助けて! 痛い! あちこち痛いよ! ママ! パパ! 誰か――!!!!!」
まるで誰もいない世界に閉じ込められたみたいだ。
真っ暗で。
静かで。
静かすぎて。
きっと僕は――。
「あー、あれだ。そこで泣いちゃ駄目だぜ、少年」
「――っ!?」
僕は本当にびっくりしてしまった。喉あたりから、ひくっ、と物凄い音が出る。
誰かが――いる?
「………………誰?」
「ん? 俺か?」
良かった。本当に誰かがいる。気のせいじゃない。
「よ……っと」
ごそごそと音がしたかと思ったら、目の前に薄緑色のほんわり光る棒状の物が差し出された。おかげで僕はちょっと安心することができたんだ。けれど見えたのは、彼の手だけだ。
「その前に……。お前の名前、教えてくれないか?」
「僕?」
「他には誰もいないみたいだぜ?」
知らない人に名前を言わないように。ママが言ってたけれど……。
「僕はヒイロと言います。
「そっか。よし、ヒイロ。今度は俺の番だな。けどな――」
頷いたのかも。光る棒が何度か揺れたから。その男の人は急にわざとらしい咳払いをする。
「俺の名前は、ええと……ないんだ。まー、とりあえず名無しのヒーローとでも呼んでくれ」
「名前、ないの?」
「あー……。あれだ。そういう設定と言うかだな――」
変なの。
「じゃあ……ヒーローさん?」
「名無しのヒーローだってば。言ったろ?」
やっぱり変だこの人。僕はくすくすと笑う。
でも不思議だ。ついさっきまで、もう笑うことなんてできないって思ってたのに。頭のずきずきも、どこかに逃げていったみたいだった。
「じゃあ、名無しのヒーローさん、僕をここから……助け出してくれる?」
「そのつもりで、来たんだけどな――」
何か困った感じの声だ。ちょっとがっかりする。その上、目の前の光る棒がいきなり引っ込んでしまったものだから、ますますがっかりした気持ちになったけれど、どこか別の場所に行っちゃった訳じゃないらしい。ざらざらな壁の向こう側でごそごそと歩き回る音がしている。
そして、一度だけ。
足が止まった。
しばらくして、また目の前に手品のように薄緑色の光る棒が現れた。多分これ、サイリウムっていう奴だ。あれの太くておっきい奴。去年の近所のお祭りでパパが買ってくれたっけ。
「なあ、ヒイロ、お前、足とか手とか痛くないか? 何かに挟まって動けないとかないか?」
「大丈夫……だと思う」
「そっか」
突き指のことはちょっと恥ずかしいから秘密にしておく。彼は納得したように言った。
「お前さ、そこにいた方が安全みたいなんだよな。だからさ、悪いんだけど、他の誰かを連れてくるまで、そこでおとなしく待っていてくれないか?」
「………………やだ」
「だよなあ」
がりがり、と頭を掻く音がする。
「けどな、ヒイロ。いくらヒーローの俺でも、こいつは一人じゃ無理なんだ。このあたりには誰もいなくって――生きている奴が」
それは。
つまり。
「僕のママがきっと近くにいるよ! はぐれちゃったんだ! 絶対この近くに――!」
「……あのさ、ヒイロ。あの……あのな……?」
嫌な予感がする声だった。ちょっとだけ言葉に詰まる。
「……いないんだお前のママは。俺以外にはいないんだ、この近くで生きている奴は。本当に……ごめんな」
何で……謝るの……?
何で――!?
僕は目の前の手に爪を立てて、しがみつくようにして揺さぶり、声の限りに訴えた。
「ママは!? ママはどこに――!」
「なあ、ヒイロ。聞いてくれないか?」
名無しのヒーローは、優しく僕の台詞を遮る。
「きっと後で会えるから。今は自分が生き残ることだけを考えろ。お前の名前も《ヒーロー》だろ? だったら何が何でも生き残れ。いいな?」
「でも――」
「いいな?」
嫌だ、とは言わせない、そんな口調だった。仕方なく僕は、頷く。
「分かったよ」
「よし、いい子だ」
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