第三十九話 回想Ⅳ
「ねえ、名無しのヒーローさん?」
「何だ?」
「どうして来てくれたの?」
「お前が呼んだからだろ」
「ふーん……」
「あー! お前っ、信じてないな!?」
「だってさ……」
仕方ないじゃん。
「ったく……あいつと同じリアクションすんなよ。あいつってのは、俺の彼女でさ――」
壁の向こうで、くすり、と笑ったみたいだった。
「何か俺、こういう面倒な事にやたら巻き込まれる性質らしくってな? こうやって人助けとか手伝いとかついしちゃってると、決まってあいつが言うんだよ。『皆のヒーローじゃなくって、ちゃんとあたしだけのヒーローやりなさい!』って。ったく、自己中ワガママ女だろ?」
自己中っていうのが良く分からなかったけど、一つだけ、僕にも分かったことがある。
「でも………………好きなんでしょ?」
「あ……い、いや、まーな。って、ませたこと言うんじゃありません! お前、いくつだ?」
「……小学校一年生」
「ほらな!」
いきなり目の前のサイリウムが暴れ出した。
「何で俺、そんなガキに冷やかされないとならんのだ! こちとら二十歳なのっ! もう立派な、オトナの男の人なんですよおおおおお!?」
ぜえはあ言ってる。何か知らないけど怒っているのとは違うみたい。
「ま、まーいいや、それは。ともかくだ。……おほん。先輩ヒーローから、ちっちゃな新米ヒーローのお前に、大事な事を教えておくぞ?」
名無しのヒーロー(彼女あり)が口調を改めてそう言うと、サイリウムを握る手の人差指が、ぴん、と立った。
「ヒーローでいるためには、五つ、条件がある。いいな、これだけは絶対に忘れるなよ?」
そして、一つ一つ、指をかざしながら僕に言った。
一.自分の、自分だけの意志で動くべし
二.自分の命が危険にさらされても恐れるな
三.無関係の人でも助けると決めたら助けろ
四.ヒーローってのは義務や仕事じゃない
それは、子供向けにも分かりやすいように彼なりの意訳がされていたけれど、国際的慈善団体『カーネギー英雄基金』が定める《英雄的行為》の定義なのだということを後に僕は知る。これら四つ、全てを満たす尊い行為を成し得た者こそが《英雄》と呼ばれるに値する存在なのだと、僕はかなり後になってから知る――思い知らされることになるのだった。
だけど、変だ。
名無しのヒーローは、五つある、と言ったもの。
「……四つしかないじゃん」
「最後の一つ、それが何より重要だからだ。これだけは絶対に守らないと駄目だ。忘れるな」
そう言ってもう一度、ぴん、と人差し指だけを伸ばし、名無しのヒーローはこう言った。
「最後の一つ――それは、必ず生きて帰ることだ」
今思えば、変なルールだ。自分の命を顧みるなと言いながら、絶対に死ぬなと――それが一番大切だと言うのだから。だけど僕は、顔のない、名無しのヒーローの言葉をただ信じた。
信じたんだ。
「うん。分かった」
「いいか?」
まるで暗示をかけるように、サイリウムの光が僕の目の前でゆっくりと揺れ始める。
「どんなに立派なことをしようが、どんなに勇敢だろうが、どんなに恰好良かろうがな、死んじまったらそこで終わりだぞ? そいつはもう《ヒーロー》じゃない、ただの《死んじまった元ヒーロー》だ。立派じゃなくていい、臆病でいい、格好悪くたっていい。必ず生きて帰れ。俺との約束だ」
「分かった。約束する」
「よおし」
その時、遠くで誰かの呻く声が僕にも聴こえた。
「ああ、糞っ……あっちにも誰かいるみたいだな」
名無しのヒーローはそう独りごちると、その手に握ったサイリウムを僕と彼とを繋いでくれる穴の縁に強引に捻じり込むようにして突き立てた。
「悪ぃ、俺は行かないといけない」
「ま、待って!」
僕は突然のことに慌てふためく。だが、もう名無しのヒーローは立ち上がっていた。
「お前はここにいろ。ここにいる限りは大丈夫だ。俺は残りの奴らも助けてやらないといけないんだ。何たってヒーローだからな? けど、いいか――」
くいくい。最後にもう一度、右手が視界に現れて頼りなく光るサイリウムを指差した。
「こいつは目印だ。絶対に外しちゃ駄目だぞ? 大丈夫だ、助けが来るまではこいつは絶対に消えたりしない。俺はちょっとした魔法が使えるんだぜ? 何たってヒーローだからな――」
「ね、ねえ、待ってってば!」
彼が――行ってしまう!
「この中は暗いんだ! 何か気持ちの悪い物があったんだよ! 冷たくてぶよぶよしてぬるぬるした、誰かの手みたいな物が! だからさ、これで中を照らせれば――!」
はっ、と彼が息を呑む音が僕には聴こえた。
「いいや、駄目だ! 絶対に!」
「でも!」
「……頼むよ、ちっちゃなヒーロー。お願いだ」
僕は彼の辛そうな声音を耳にして、仕方なく頷くしかなかった。それ以上、引き留める言葉を吐くことなく、ごくり、と呑み込む。
「分かったよ……」
「絶対に助けは来るからな。俺を信じてくれ」
「うん……」
本当は嫌で堪らなかったけれど、僕はもう一度頷いた。そして、最後にこう尋ねる。
「五番目のルール、忘れないでね。必ず生きて帰って来て。約束だよ、名無しのヒーロー!」
「ああ」
見なくても分かる。
そこで名無しのヒーローは、にやり、と不敵に微笑んでみせたのだ。
「ああ、約束だ! 帰って来たらジュースで乾杯でもしようぜ! ちっちゃなヒーロー!」
それが――僕が彼と交わした最後の会話だ。
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