第三十六話 回想Ⅰ
「さて、皆様、お待たせしましたぁ――!」
司会を務める男性アナウンサーは、深々と息を吸い、一際大きな声を張り上げた。
「最後にご紹介するのは、日本中から、いや! 今や世界各国からの注目を一身に集める、あの天才少年です! とは言うものの、実は彼、この四月に小学校へ入学したばかりのピカピカの一年生なんですねぇ! いやあ、実に驚き――」
彼はそこで言葉を切り、スタジオに集められた観覧者たちに向けて器用に片目を閉じてみせた。実にテレビ映えする彼は、すっかり歳は取ったけれど看板アナウンサーとして活躍中だ。
「――いやいや! もうそんな情報、知らないなんて仰る方はいないでしょう! テレビや雑誌、新聞各紙で何度も紹介されてきた、あの超能力少年です! さあ、どうぞこちらへ!」
会場が一気に拍手で包まれた。それに後押しされるように僕は舞台袖から歩み出て、緊張のあまりいくぶん早足になりながらステージの中央へ、彼の隣へと歩を進める。
「やあ、キミが
「は……はじめまして! よ……よろしくお願いします……!」
真っ白な歯とともに差し出された手を握ろうと手を伸ばした――けれど、握る前に彼はその手をすっと引っ込めてしまい、代わりに僕の背中に添えた。僕は勢いよくお辞儀をする。パパは礼儀作法にとても厳しい。今も舞台袖から僕の動きをチェックしてる筈。以前は世界的な研究者としてあちこち飛び回っていたけれど、最近はすっかり僕の付き添い役になっている。
「うーん、少し緊張してるかな? 大丈夫! 私がちゃんとサポートするからね」
「は……はい! ありがとうございます!」
彼は落ち着かない気分の僕の背丈に合わせるように身体を屈めて励ましの言葉をかけてくれた。でも何故だろう。瞳の奥に宿る光からは、ひんやりする温度しか感じられなかったんだ。
「じゃあ、早速お願いしようかな? まずは何をやって見せてくれるんだい、ヒイロ君?」
「はい! では、ESPカードの透視からはじめます! カードの準備をお願いします!」
僕が言い終えた時にはもう、ESPカードを持った女性アシスタントが姿を見せていた。手の中にある丸や星や川のような図形が描かれたカードを、僕にではなく、彼に手渡す。
「じゃあ、私が手伝うとしようかな。……ええと、この中から一枚選べばいいのかい?」
「ええ。そしたら僕に見えないよう隠して下さい」
よし、と彼は頷いた。
そして受け取ったカードを扇状に開いて――。
何故かそこで眉を
慌てた様子を表情に出すまいと、彼は舞台端に戻っていく女性アシスタントにしきりに目で合図を送ろうとしたが、僕以外は誰もそのことに気付いていないみたいだった。じきに彼の顔にはじめて
「ええと――大丈夫です。僕には分かったから」
すると彼はびくりと身体を震わせて、僕の顔をまじまじと覗き込んだ。今思えば、その時初めて彼は、『僕』という存在に対して飾り気のない素のままの『彼』として相対したのだ。それでも一瞬後には元の姿に戻っていたのは、さすが彼としか言いようがなかった。
「よ、よおし! 決めたよ、ヒイロ君! 私が選んだのは……これだ!」
「それは……」
僕はわずかに言い淀む。彼が少しほっとしたような表情を浮かべたのはきっと、僕がそのカードに描かれている記号を透視できなかったに違いない、と思ったからだろう。
でも違う。
すぐ答えなかったのは――。
「ええと。あなたが選んだカードは、二つあるうちのかたっぽの星のマークです。でも……そうきっと、あの女の人が間違えちゃったんですよね。さっき楽屋で他の出演者さんたちと、自分たちにもできるかな、って試していたものだから――」
「……っ!」
彼の顔が見る間に蒼褪め、舞台袖の方からも小さな悲鳴が漏れ聞こえた。しかし、スタジオに集まっている人々には何が起きているのか皆目見当がつかず、ただただどよめいていた。
ああ、しまった。僕が――ちゃんと説明しなかったからだ。
もう一回、ちゃんと。
「その時、二組のカードを使っていたから片付ける時に混ざっちゃったんですよ。だから、星のマークのカードが二枚あったんです。あ……で、でも怒らないであげて下さい! 僕はこの通りちゃんと分かったから。大丈夫です!」
しん……広いスタジオは水を打ったように静まり返った。
「ひ――!」
多分、僕だけ。
その中で僕だけは、彼の口から漏れた引き裂かれたような悲鳴を聞いた――気がした。気のせいだったのかも……しれない。
「ヒイロ君に盛大な拍手をお願いします! さすがだよ、噂通りの能力だね!」
思わず右拳でごしごしと目を擦る。うん、大丈夫。さっき、目の前の彼が物凄く怖い顔をしているように見えちゃったのは気のせいだ。だって、今は顔をくしゃくしゃにして笑ってる。
「実はね、ヒイロ君を試したんだよ! いやあ、悪かった、悪かったね! もし、同じカードが二枚あったら、ヒイロ君にはそれが分かるのかな? なんて意地悪なことを考えたスタッフがいたんだよ! いやいや、本当に素晴らしい! じゃあ、次の能力を見せてくれるかい?」
スタジオに漂っていた不穏な空気は鳴り止まない拍手で一気に吹き飛ばされた。僕は、ほっ、と小さく息を吐く。彼は再び僕の背中に手を添えるようにして優しく続きを促した。でも、それは。何となくそう思っただけ。彼の口調とわずかに身を屈めた姿勢でそう思っただけだ。きっとスタジオにいる人たちの方からもそう見えた筈。客席から見ている限りは。
彼はもう二度と、僕に触れようとはしなかった。
それから僕は、彼の淀みない名調子に合わせて持っている超能力を披露した。パパが教えてくれたんだ。僕には一〇八種類の超能力があるんだって。
僕はへとへとだ。
もう、眠りたい。
――暗転。
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