第三十四話 三つの疑問



「つ……疲れた……」


 結局俺は、皇女様と奈々瑠に能力を披露せずに済んだ。


 それについては浅葱あさぎ智美子ともみこと、ついでにちょこっとだけ志乃姉に感謝するしかない。他の三人は、それぞれ両隣に位置する自分たちの部屋へと戻って寝支度でもしている頃だろう。


 俺はと言えば、いつも通り一番最後に回ってくる風呂の順番待ちで、そのままリビングのソファーにぐったりと身を預けたまま戻りを待っていた。ぶっちゃけ動きたくない。


 がちゃり。


「うーい。ほかほかのねーちゃんだぞー」


 リビングの扉が開き、清潔な芳香が俺の鼻をくすぐる。姉弟の間柄でもその恰好はアウトだろ、つい、そう言いそうになるだらしなさだ。寝る時までそんな恰好しなくてもと思うのだが、学校で見かける物と大差ない白いドレスシャツのボタンはまともに留められておらず、下の方は白いパンツのみ。まったくけしからん。けしからんな。一応、視線は反らしておいた。


「ちゃんと着てくれって。我が家の風紀が乱れる」

「っさいな。優等生のアルマに感化された訳でもなかろうに。さーって、ビールビールっと」

「この時間から飲むなよ……」


 しかし、目のやり場に困る。俺の注意を丸ごと無視して、志乃姉はキッチンテーブルの椅子を引っ掴むとくるっと一回転させて跨ぐように反対向きに座った。ぱんつ見えてるつーに。


「悔しかったらお前も呑めよー」

「仮にも教師が生徒に飲酒を勧めるなっつーの!」


 ぷしゅっ!

 んくんくんく。


「――かーっ!」

「親父臭え……」


 ちら、と横目で見ると、まだぱんつが……。




 んふ。




「気にするな。わ・ざ・と、だ」

「ったく」


 そっちもわざとってことですかそーですか……。俺はそっぽを向いて頬杖をついた。


「なー、ひーくん? 何かあたしに聞きたいこと……あるんだろ?」


 んくんく。


 また一つ、かーっ、と唸ってから、半分ほどに減った缶ビールで椅子の背もたれを、こんこん、と叩きながら志乃姉が尋ねる。ったく。相変わらず俺のことはお見通しって訳か。どのみちそうするつもりだった俺は、胸の中に留まったままの疑問を素直に口に出すことにした。


「……皇女様と奈々瑠ななるは、どうして日本に来た?」

「ほう?」

「もう一回聞くぞ? 皇女様と奈々瑠はどうして日本に来――いや、違うな。どんな手を使ってグラディス皇国から出国して、どんな理屈で日本へ入国を認めさせることができたんだ?」

「何故、そんなことを聞く?」

「筋が通ってないからだよ」


 まるで答え合わせをしている気分だったが、俺はそのまま話を続けることにする。


「どこの国でもそうだろ? 能力者は、いわば国家の財産みたいな扱いなんだぜ? そうやすやすと国外に流出していいものじゃない筈だ。それとも……《第六感シックス・センス》なんてものの概念が存在しないグラディス皇国だけは別格、とでも言う気かよ?」

「まあ……違わないだろうな」


 志乃姉は身体を捻って振り返り、ほとんど空になったビール缶をテーブルに置くと、首にかけたバスタオルで無造作にがしがしと髪をむしり始める。


「だが、亡命などではない。ただの留学だぞ?」

「そういうの詭弁きべんって言うんだぜ。俺は知ってる」


 手が止まる。

 そして志乃姉は意味ありげに笑った。


「ああ、知ってるさ。それを教えたのはあたしだ」

「それにだ。正規の留学だってんならなおさらだろ? このご時世に、丸一日も来日予定がズレるなんてあり得ないんじゃないのか? 確かにヨーロッパは遠い。遠いさ。けれど、音速ジェットだろうが何だろうがいくらでも移動の手段はあるんだし、昔に比べたら移動にかかる時間も激減したんだぜ? そんな環境の中、丸一日も遅れるだなんてテロや政変みたいなよほど特殊な事情でもなければ限りなく可能性は低い。と、言うことはだ――」

「と、言うことは?」


 志乃姉は試すようにオウム返しに尋ねる。


 が――そこから先の答えは俺の中にはない。

 できたのは、仕方なく肩を竦めることだった。


「……聞いてるのは俺なんだが」

「だからと言って、答えるのがあたしだとは決まってないだろう?」

「でも、知らない、とは言わないんだな?」

「まあな。何せ、ハウスマザー様だ。控えよ」


 我が姉ながら実に面倒臭い。明確な答えは返ってこなかったが、二人に何か特殊な事情があり、それ故日本に来る、いや、母国から出る必要があったのだ、ということだけは分かった。


 だが、疑問はあと二つ残っている。そのうちの一つは、何故二人がグラディス皇国から出国する必要に迫られたのか、ということだ。




 もう一つは――。



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