第二十五話 だいじょぶです
「何をいまさら、と言われたら返す言葉もない。だが……だがな、お前たちの身元引受人になるという話は
「あ……あの………………」
その拍子に、ちくりと心のどこかに痛みが生じる。それ以上口を開こうとしない奈々瑠を安心させてやろうと志乃姉は力を込めて宣言した。
「何とかする。これからすぐにでも引受先になってくれそうなところを当たってみる。……なに、アテがない訳じゃない。相談に乗ってくれる奴の目星は付いている。安心したまえよ」
顔を伏せたままの俺の視線の先に、志乃姉が組み替えた足の先が映った。そして、その足先の親指が交差するように人差し指を上から、ぎゅっ、と押さえつけている仕草もその癖も。
俺が――この俺が気付かない訳がなかった。
志乃姉は嘘を吐いている。
この俺のために。
「ち、ちょ――!」
やり場のない怒りを覚え、言う台詞もロクに思いつかないまま口を差し挟もうとした瞬間、
「あの………………だ、だいじょぶです」
おい……やめろ……。
「あの……ですね………………ええと……」
またそんな顔、するのかよ……!
奈々瑠は笑っていた。恥じたように、済まなそうに、にへら、と口元を緩め、ぼさぼさの頭を掻きながら小さく身を縮めるようにして、実に申し訳なさそうに奈々瑠は笑っていたのだ。
「だいじょぶですから……ホントに」
本当は困っている筈だ。身を寄せるはずの下宿先を失ってしまったのだ。困らない訳がない。生活に必要な荷物だってとっくに運び込まれているのだろう。身元引受人となった志乃姉とも顔を合わせ、人となりを見て安堵の思いを抱いていたはずだ。だが、たとえこれからすぐに次の下宿先が決まろうと全てリセットされ、また一からやり直さなければならない。
俺の――せいで。
「あの……だ、だいじょぶですよ? これであなたの日常は変わらず、元通り、ですから」
その言葉に、はっ、と息を呑む。
こいつは――こいつは俺のことを心配していたのか。
自分のことではなく、俺のことを。
ただ、ただ、静かに暮らしたい――その小さな願いは一度も伝えていない。それこそ浅葱にだってその願いを打ち明けたことなんてなかった。理由のない願いじゃない。そこにはそう願うだけの俺なりの事情があり、一生誰とも共有するつもりなんてない密やかな願いなのだ。
なのに、どうして――どうしてこいつは分かったんだ?
名状し難い感情が突如産声を上げ、自分でも分かるほど動揺が露わになる。それもまた、奈々瑠には気付かれてしまう。前髪の奥の方で微笑んでいる大きな黒い瞳がそう語っていた。
――だいじょぶですよ、と。
何だよ……くそ……っ!!
俺は硬く目を閉じ、思わず叫ぶ。
「ち――ちょっと待ってくれよっ!」
ぱきん!
キッチンの方で、陶器が割れる乾いた音がした。
「おい、ちょっと待て……待ってくれって! なあ志乃姉、勝手に話を進めるなよ……!!」
背を向けている俺には見えなかったが、感情を爆発させた叫びに面喰った
「おい、奈々瑠=ティアーレ」
「は……はい!」
ただならぬ雰囲気を悟ったのか、背筋が伸びる。
「何でお前は、いっつもそうなんだよ?」
「は………………はい?」
「何でお前は――お前は何で、そうやってすぐに自分って奴を引っ込めちまうんだ? 何でお前は『大丈夫』だなんて心にも思ってもいない台詞がカンタンに吐けるんだよ!?」
知り合ってから間もないのに、何度奈々瑠の口からその台詞が飛び出しきたことだろう。
「ちっとも大丈夫じゃないだろ!? 困ってるだろ!? 人付き合いのスキルが壊滅的で呆れるほど不器用な癖に、何でお前は……そうやって無理して読めもしない空気を読んで、お気楽につまんない嘘を言えちまうんだよ? ふざけんなよ!? 俺を馬鹿にするんじゃねえ!!」
誰も口を開かなかった。
重苦しい空気が漂うが、そんなの俺の知ったことじゃない。
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