第二話 幼馴染は遠慮がない



 まったく酷い。

 俺の人生はいつからこうなったんだ?




 さっきまでのそこそこ幸せな朝のまどろみから一転、毛先で頬を撫でられるむず痒さで嫌々覚醒させられた俺は、馬乗りになった侵入者に目と鼻の先からじとーっと寝顔を見つめられているという非日常の状況にすっかり動転してしまったのである。


 そんな訳で。


「んなああああああああああああああああああ!」

「ほにゃあああああああああああああああああ!」


 俺は腹の底から絶叫を放った。

 相手も同時にである。いや、何でだよ。


 ただでさえ寝起きだってのに、コンタクトレンズなしじゃ何一つまともに見えやしない。だが、幸いにして距離が近かった――いや、近すぎた。だからすぐにそれが誰だか分かった。


 そして、その匂いも。


 甘くて爽やかな芳香がぴっとりと重ねられた身体と身体のわずかな隙間に満ち、二人の体温でゆるゆると温められては、ふとした小さな動きで、ぽふ、と漏れ出して鼻をくすぐる。


「ちょ――!」


 いろいろやばい!


 特に俺のカラダの特定の一部分がやばい!

 ただでさえ寝起きで、もう何かやばいからね!


「ばばば馬っ鹿野郎ぉおおおおおっ!」


 むくむくと湧き上がる衝動と感情に焦りに焦りまくった俺は、腋の下に変な汗をかきながら目の前にいる奴の両肩をむんずと掴んで問答無用にでりゃあ!とベッドの下に投げ落とした。


「つ、つーか、ななな何でお前がっ! 俺のベッドの中にいるんだよ! 今すぐ出ろっ!」


 いかん、人差し指の照準がブレて定まらない。胡坐をかいたままの姿勢でわずかに視線を落とし、念のため確認しておく。うん、間一髪セーフでした。ふーっ、あっぶねえ。


「いたた……。痛いよぉ、ひーくん」

「………………あ。やべ」


 あまりに咄嗟のことで力加減なんてゼロ。怪我でもさせてやしないかとほんのちょっぴりだけ心配になったものの、全く問題なさそうである。すぐにもベッドの下から奴のトレードマークでもある右四十五度から生え出たポニーテールが、ぴょこり、と覗いた。


「自業自得だっつーの! あと、ひーくんはやめろっつーに。俺たちもう高校生なんだぞ?」

「えー。でもー」


 半泣きで弱々しく抗議する不埒な襲撃者の名。真坂まさか智美子ともみこ


 こいつには何度も言って聞かせているが、小さい頃から家は隣同士、保育園を皮切りに小学校をすっ飛ばして中・高とも一緒だったせいか、この呼び名を一向にアップデートしてくれない。今までの学生生活で付けられた渾名の中に、もっとマシなのあっただろ、と言いたい。




 ないか。

 なかったか。




「つーかだな……ま・た・や・り・や・が・っ・た・な、智美子! 勝手に俺んちに上がり込むなって言ってるだろうが! もうこれで何度目なんだよっ!」


 まだ怒りの収まらぬ俺は、腹立ちまぎれに目の前のポニーテールをむんずと掴み上げた。下の方でほにゃあ! とか喚いてるが構うもんか。無理矢理引っ張り上げられた涙目が訴える。


「だって……。志乃姉に聞いたら、いいぞ、って言ってた」

「どうなってんの我が家のセキュリティ!?」


 くっそ。今晩帰って来たら文句言ってやる。できる限りでだけどな。


「ひ、百歩譲ってそうだったとしてもだな? ベベベベッドにまで潜り込んでいいとは言ってなかっただろ!? 死ぬかと思うくらい驚いたっつーの!」

「……ぴら」


 どきっ!


 そして。


 ぶちっ!


「この阿呆娘っ! 今の会話の流れから、何で胸元広げみせてんの!? 見えてる、いろいろ見えちゃってるからね!? 少しは空気読めよこの偽装ビッチ娘っ!」

「どきどきしてる今なら、いけるかと思いました」


 そしてこのドヤ顔である。さすがに呆れて怒りが一気にトーンダウンしてしまった。ま、正直やばかったけど。だってこいつ、地味なくせに胸おっきいんだもん。


「ったく……」


 つい名残り惜しさにちらりと盗み見ると、俺の視線と心の動きを予期していたように開襟シャツの一番上のボタンの合わせ目に指をひっかけ、そこに生まれた意味ありげな空間を智美子が見せつけてきやがった。


「ん。ん」

「……くっ」


 しかし騙されてはいけない。こいつはビッチはビッチでも『偽装ビッチ』なのである。その証拠に、お手本どおりの誘うような仕草の真っ最中にも関わらず耳まで真っ赤で、極度の緊張のせいか今にも吐きそうなギリギリの表情をしている。


「お……落ち着け、智美子。クール、クール……。ええとだな――」


 何しろここは俺のベッドの上だ。マジで吐かれでもしたらたまらない。こほん、と咳払いをして、一つ一つの単語を噛み締めるようにしてゆっくりと言い聞かせる。


「お前の持つ第六感シックス・センスを鍛えるためだと言って、中学の卒業式の帰り道にビッチキャラへ転向するよう唆したのは確かに俺だ、うん。それまで『地味子』って渾名だったのに、すっごい頑張ってる。偉い、偉いぞ。……けどな? いい加減、俺を標的ターゲットにするのはやめません?」

「で、でも……。他の男の人……怖いんだ……もん!」

「もん、っじゃねえよっ! ばんばん行けよっ! 一緒に研究してきた成果を見せろよっ!」 


 弱気な智美子を鼓舞するようにテンションを上げ、自分の着ているよれよれのTシャツの襟元をがしっと掴むと、ぐいぐい、と前後に何度も引っ張って自ら手本を示してやる。


「ついでに胸の一つでも見せとけ! お前の第六感シックス・センスは、相手の視線をお前の胸元に釘付けにすれば最大の効果を発揮するって判明したんだぞ? 難しい仕組みとかはぜんっぜんわっかんねえけどな! んで、片っ端からデータを集めていけばそのうち――」

「ぴら」


 どきっ!


 そして。


 ぶちいいいいいっ!


「やめろよもおおおおおおおおおおおおっ! 俺にやんなって言ってるだろおもおおおっ!」


 まんまと引っかかった俺は、埃が舞うのも厭わずベッドをばんばん叩きながら悶絶した。


「……ぴんく」

「だあああ! 色と感情の因果関係ないから!!」


 まあ、つい見てしまう俺も俺だけど。

 だって男の子だもん。



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