戦略的ぼっちの《元・主人公》は静かに暮らしたい ~英雄因子ゼロの能力喪失者(スキルロスト)~

虚仮橋陣屋(こけばしじんや)

第一話 主人公と元・主人公



 春休み最後の日、《学園島》は残りわずかな休日を謳歌しようと街へと繰り出した学生たちで賑わっていた。


 旧・東京湾に浮かぶフロート型の人工都市、それが《学園島》だ。住人のほとんどは学生である。日頃は窮屈で退屈極まりない制服に無理矢理押し込められている彼らだが、今日の街並みは風景が一変したかと思う程どこもかしこもカラフルだった。南街区にある人気スポット、『ショッピングモール・スターゲイト』へと続く小洒落たモザイクタイル貼りの歩道は、人、人、人。




 その中で、きっとただ一人。


 面白くも楽しくもなさそうな陰鬱な表情を浮かべた地味な制服姿の少年がいる。伸び放題に跳ね散らかる黒髪はいかにも鬱陶しそうだが、視界を妨げる前髪を掻き上げようともしない。むしろその方が好都合と、その奥から死んだ魚のような目で周囲の様子を窺っている。どうやら先を急いでいるらしく、浮かれる学生たちの間を縫うように、意識の隙間に入り込むようにして足を速めて進んで行く。




「――ね、ね。今日どこ行く?」

「スタゲの中に、アクセの店、入ったじゃん」

「あー知ってる! Funny*Honeyハニハニだよね!」

「初日からずっと、凄い人気らしーよ? あたし、シュシュ欲しくってさー。新しいの」

「あー、あれだ! イケメンゲット!みたいな? 例えばさ……あ、ほ、ほら――!」


 黄色い会話で盛り上がっていた女子の一団が出し抜けに声を潜めた。いまさら取り繕っても無駄だろうとは思えたが、咄嗟に澄ました態度を取ってしまうほどの存在を見かけたせいだ。


 容姿端麗、品行方正――そんな言葉が良く似合う少年だった。さらりと風になびくブリーチの利いたミディアムショートの髪は、穏やかな陽光を受けずとも内に秘めた魅力で輝きを放っているようだ。細身で均整のとれた身体を包み込むのはスポーティーなジョガーファッション。だが、周囲の会話は彼にはまるで聴こえていない。シンプルなピアスで飾られた耳には携帯音楽プレイヤーの白いイヤホンが刺さっていた。




 ひとつだけ確かなこと――。


 それは先程の、地味で陰鬱な顔付きをした少年とはまったくの別人、ということだった。




「ね、ね。超カッコ良くない? 一人みたいよ? アキ、声かけてみたら?」

「ええ! 無理無理無理! ハードル高いって!」

「あたし……行っちゃおっかなー?」


 歩くたび、周りの視線と興味を集めていることに当の本人はまるで気付いていない。耳元から流れるサウンドに心奪われたまま、一定の歩幅でリズムを刻むように歩いていく。


 だがしかし、少年のいる場所とは別の位置で、別の動きが生まれつつあった。連鎖するように小さな悲鳴が漏れ、後方から少しずつ少年のいる場所へと近づいてくる。


「きゃっ!」

「な、何!」

「ちょ――痛いんだけど!」

「何なの! マジ最悪!」




 遂に――どん!




「うわっ! な、何!?」

「あ! ご、ごめんなさいっ!」


 驚き振り返ると、ようやく小学生になっただろうかという背格好の少女がいて何度も頭を下げていた。だがその目元には涙が滲み、わななく口元は今にも泣き出しそうだ。少年はポケットに手を差し入れ音楽プレイヤーの停止ボタンを探り当てると、身を屈めて優しく尋ねた。


「ん、どうしたんだい? 迷子かな?」

「ち――ちがうの! ミルクが……あたしのちっちゃなワンちゃんがいなくっちゃったの! ひとがいっぱいでおどろいちゃったんだ! あたしのせい……どうしよう……!」

「子犬?」


 小さな肩に手を添え、呟きながらすっと背を伸ばす。周囲を見回すと後方に一台の遠隔自動巡回バスの車体が見えた。そしてその行く先には――ざわり、と周囲が何かに気付く。


「あ、あれ! やばくない!?」

「嘘……あのままだと――!」


 バスの進行方向には、蹲ったまま動こうとしない一匹のティーカッププードルの姿があった。明るい煉瓦色をした路面の色合いに溶け込むような毛色が災いし、バスの管制官はその存在を認識できていないらしい。人間サイズの障害物なら否応なしに作動するであろう緊急自動停止機構も、あの小ささではまともに機能しないのではないか――。




 いや少年は、気付いた瞬間、すでに一歩踏み出していた。


 ――足音は二つ。


 だが、少年はその一歩目で迷った。その弱気に引き摺られて筋肉が萎縮する。




 ――とんっ。




 しかし、彼の逡巡を容赦なく断ち切ったのは背中に感じた別の誰かの《力》だ。走り出した瞬間、周囲の声が少年の耳に届き、また物凄い速さで遠ざかっていく。それはいつもの感覚――彼の持つ第六感シックス・センスが引き起こす非日常の感覚。少年は後方から姿を現し束の間並びかけたバスの脇をすり抜けるようにして、力強いストライドで一気にそれを突き放す。


(まだ、間に……合うッ!)


 ギギャギャギャギャギギャギャギャギャギャッ!


 異変に気付いた管制官が一気に急制動をかけ、けたたましいスキール音とタイヤの焦げる臭いが辺りに充満する。だが、まだ時速三、四〇キロは優に出ているだろう。焦る気持ちを押さえつけ意識を自らの足に集中させると、少年は思い切り大地を踏み締める。どっどっどっ! という鼓動に似たビートが心臓と太腿とふくら脛に宿り、少年はさらに加速する。


(う……おおおおおおおおおおおおおおおおっ!)


 自分でも体感したことのない領域に達し、少年はあまりの速度に恐怖した。彼の第六感シックス・センス――そう、かつては《超能力》と呼ばれていた力で彼は、自身の脚力を一時的に五倍近く強化することができる。だがしかし、脚以外は元の彼自身のまま、バランス感覚もしかり。たちまち姿勢が崩れて一気に視界が泳いでしまう。


(て、転倒……!? 今、転びでもしたら……届け……ッ!!)


 背後に迫る圧力を意識の外へと追いやり、覚悟を決めてダイブする。限界まで伸ばした指先がふわふわした温もりに触れた瞬間、手を引き寄せくるりと身体を丸めた。ごろごろと二、三度派手に転げ回った後に体制を立て直した少年は、ほっ、と安堵の息を漏らした。胸元にすがりつく子犬は、可哀想に――震えている。


(ま、俺もだけどな! く――くそ……ッ!)


 うわずった笑みを張り付かせたまま、抱えた子犬を守るようにその場にうずくまって――。




 ギャギャギャ――ゴ……ン。

 鋼鉄の車体が大きく震えた。




 少年との距離、残り三メートル。だがバスは停止したきり、もう動こうとはしなかった。止めていた息をようやく吐き出し、少年は仰向けにひっくり返って空を見上げた。その視界にアプリコット色をした毛玉が割り込み、少年の頬を舐め始める。


「こ、こら。やめろって。はは……はははっ!」

「おにいちゃん! ミルクをたすけてくれてありがと! もうぜったいだめだとおもった!」


 続いて抱きついてきたもう少し大きな塊が泣きじゃくりながら全身で感謝を表すと、少年は二つの小さな頭を両手で撫でながらまだいくぶんこわばりの残る苦笑を浮かべた。


「おにいちゃんも、さすがに駄目かも、って思ったよ。でも、助けられてよかった……。ほら、もう絶対に放さないように気をつけるんだよ、いいね?」

「うん!」


 少女が晴れやかな笑顔を浮かべるとそれまで遠巻きに見ているだけだった学生たちも我に返り、二人のいる場所まで一人また一人と駆け寄って来た。手を差し伸べる者、怪我はないか案ずる者、声だけでもかけようとする者、彼の周囲に集まる者たちの輪が徐々に広がっていく。


「だ――大丈夫でしたか!?」

「え、えっと……。うん、ありがとう。大丈夫みたいだ」


 そして、気恥ずかしそうに微笑みを返すばかりの少年に向けて、誰かがこう言ったのだ。


「あなたはヒーローです!」

「そ、そんな。大袈裟だよ、俺は別に……」


 しかし少年の耳にだけは、周囲の喧騒と近づくサイレンの音以外に確かに聴こえた。




 ただ一つの舌打ちと溜息が。




 しかしそれは、悪意でも羨望でもないような気がした。何故かは分からない。本能的にそう感じたのだ。すぐさま目で追ったが――駄目だ、ここにいる誰でもあるような気がするし、ここにいる誰でもないような気もする。


(一体、誰だ? それに、さっきの……)


 そう、あの瞬間――誰もが凍りついていた時間の中、自らの意志で一歩踏み出すことができたのは自分だけではなかったのだ。


 聴こえたのだ、確かに。

 感じたのだ、確かに。


 あの手が迷いを消したのだ。

 行け、と少年の心に叫んだのだ。


(あのひと押しがなかったら、俺にはできたんだろうか……)


 無意志の内に少年は、誰かの《力》を感じた背中にそろりと触れた。




 ◆◆◆




 一方、一躍ヒーローとなった少年に引き寄せられるよう集まりゆく人の流れに逆らうように輪から離れ歩み去っていくもう一人の少年の姿があった。


 その地味で目立たない少年は、さっきまでそうしていたように浮足立つ学生たちの間を縫うように意識の隙を見つけては遠慮なく割り込むようにして、誰にもぶつかることなく歩いていく。そして最後に振り返ると、伸びた前髪の奥から面倒臭そうな視線で騒がしくなった街並みを眺めつつ、彼にしか分からない台詞を口にした。


「ま……英雄因子ヒロイック・ファクター九十二、ってとこだな」


 しかし――。


「ふあ……あぁ。だる」


 直後漏れ出たのは、何の感慨もないだらしなく締まりのない欠伸だった。いや、だらしなく締まりのないのはそれだけではなく、少年のいかにも面白くなさそうなどんより曇った表情であり、そこそこある身長を台無しにするみっともなく丸められた背中でもあった。


「ったく何で俺が……面倒臭え。人、多いし……」


 ならば、わざわざこんな場所になぞこなければいいのに、と憎まれ口の一つでも叩きたくなるところだが、それを言いたいのはむしろ少年の方だった。だが、仕方ない――姉と妹の頼み事には決してノーとは言えない、そういう性格なのだ。深々と溜息を吐いた少年は、もう背後の騒ぎにはまるで興味を持っていない様子だった。


「はぁ……。さて、とっとと買うもの買って帰るか」


 取り出したメモ紙を制服の胸ポケットにごそごそ仕舞い込むと、歩調を速めて去っていく。




 ◆◆◆




 一人の少年は、この日《主人公》となった。

 いや、ずっと昔からそうなのだろう。


 一人の少年は、この日《主人公》ではなかった。

 いや、ずっと昔――かつてはそうだったのだが。




 なおこれは――今はもう《主人公》ではなくなった《元・主人公》の物語。



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