第二章 四話

 ミルトは朝日が都市を囲う城壁から顔を出すと同時に家を飛び出した。


 ミルトは空の彼方が白み始めた頃にはすでに起きていて、布団の中でずっとその時を待ち望んでいたのである。


 ミルトは台所の戸棚の中にあった麺麭と籠の中の果物を両手に持ち、それらを食べながら待ち合わせ場所の城前大通りへと向かった。


 日陰から吹き付ける早朝の風はまだ冷たく若干夜の気配を残していて、朝日の光は夜露に反射して街並みをきらきらと輝かせていた。


 ミルトは待ち合わせの時間にはだいぶ早いので、まだ誰も来ていないと思っていたのだが、もう一人すでに待っていた。遠くからでも分かる綺麗な銀色の髪を持つ少女ミラーだ。


 ミラーは街路樹に背をもたせて、彼女の周りに舞い降りている小鳥達を楽しそうに眺めている。


 ミルトは小鳥達を刺激しないように足をゆるめて、のんびりとミラーに近づいていった。


 小鳥達はミルトのほうを見たが飛び立とうとはしなかった。


 ミラーは小鳥達の動きでミルトに気づき、笑顔で挨拶をした。

「おはよう、ミルト」


「うん、おはよう、ミラー。すごい早いね、今日は僕が一番だと思ったのに」

 ミルトはそう言いながらミラーに近づいた。


 ミルトは地面の小鳥や周りの風景を見渡してるふりをしながらミラーの事だけを気にしていた。


 今日のミラーはいつもの青い色の服ではなく、真っ白な上下ひとつらなりの服を着ている。

 襟と裾に飾り生地を添えたとても可愛らしい服だ。髪にはミラーお気に入りの青い蝶の髪留めをしている。

 そのすらりとした衣装を着たミラーはお城のお嬢様と言われてもおかしくないほど綺麗で清楚な印象を感じさせた。その白い衣装はたぶん昨日の純白の獣を意識しての選択だろうと思われた。


 ちらちら盗み見るミルトとは違い、ミラーはじっとミルトを見つめていた。


「うん、あまり眠れなかったし、それに早めに来ておきたかったの。ミルトもたぶん早いと思ったから」ミラーは小さく笑った。

「それと、どう……かな?この服。今日初めて着たのだけど……似合ってないかな……」ミラーは少し自信なさげな瞳でミルトを見て訊ねる。


「いや……似合ってるよ。可愛い……」ミルトはつい本音が口からこぼれだしてしまい顔が真っ赤になった。そしてそれに気が付いて慌ててあらぬ方向に顔を向けた。


 ミラーも頬を桃色に染めて心から嬉しそうな笑顔で答えた。

「……うれしい。ありがとう、ミルト。一番始めに貴方に見てもらいたかったの」


 遠くで澄んだ音色の朝を告げる鐘の音が聞こえる。


 朝日で暖められた柔らかい風が二人を包み込み、足元の小鳥達が可愛い鳴き声をたてる。

 普段なら何気ない事が、今は全て特別な物の様に感じられ、まるで二人で別世界にいるかのようだった。


 ミルトは苦手なはずだったミラーとの甘い雰囲気に入り込み、ふとミラーに近寄りかけた時に、いきなり周りの小鳥達が飛び立っていった。


 ミルトははっと我に返り、急いでミラーから距離を取った。それと同時に二人の騒がしい足音と話し声が響いていたのに気がついた。


「いや~、悪い悪い。キルチェが寝坊しやがってさ」トーマがこちらに訴えかけるように言う。


「なんてこと言うのですか。トーマでしょう!」キルチェもこちらに聞こえるように反論する。


 トーマとキルチェは息を切らせながらそばまできた。この二人がやって来て、ミルトは少しほっとした顔で、ミラーは少しつまんなそうな顔であった。


 ミルトは全員が揃ったので、仲間を急きたてるようにして歩き出した。


 ミルトは赤い顔を隠すため先頭に立ってさっさと歩いていた。先程のことを思い出すと顔から火が出そうなほど恥ずかしく思えたのだった。


 いつもは人が多いこの中央大通りも、こんなに朝が早いとほとんど誰も出歩いていない。

 すいすいとその道を通り抜けて、ポムの家がある林の入り口に辿り着いた。


 林の中はまだひんやりとしていて、薄く霧がかかり何か幻想的だ。


 その霧の向こうのポムの家に向かう上り坂のふもとに、ただポムと書かれた古びた郵便受けがぽつんと立っているのが見えてきた。


 ミルトがいつもの様に郵便受けの中を覗くと、たいていは空っぽなのだが、今日は一通の手紙が入っていた。ミルトはそれを手に取り坂を登っていった。前からこれがミルト達の日課になっていたのだ。


 ポムはこの場所に郵便受けがあるのを忘れているのか、ただ面倒なのか分からないが、この郵便受けを調べに行く事を全くしなかった。だからミルトが家の中までの配達を始めるまでは、平気でその中身を二、三年の間ほったらかしにしている事も多かった。


 ミルトはその件について訊いたことがあった。

 ポムはほっほと笑って答えてきた。「どうしても儂に知らせたい事ならば、その相手はそれ相応の手段を使ってでも伝えようとするだろうからの」


 ミルトはその手段とはどういうものなのかも訊ねたが、笑うだけで教えてはくれなかった。


 しかし今では何となく察しがついていた。ポムほどの知り合いならば手紙だけではなく色々な手段があるだろう。自分が想像も出来ない魔法とかで一瞬の内に用件を伝える事も出来るのではないか。もしかしたら手紙など全く不要なのかもしれない。


 しかしミルトは頼まれもしないのに郵便受けを覗き、何かあったら持って行くようになった。それは自分には全く縁の無い遠くからのお届け物という物に憧れがあったのかもしれない。


 自分には読めない文字で書かれていて、秘密がたっぷり詰まっているかもしれない手紙という物に惹かれるものがあったのだ。しかし渡した手紙が封も切られずに机の片隅で埃をかぶっているのを見てがっかりした事もあった。

 ミルトはこの手紙はどうなるのだろうと、緑色の蠟で封をされた手紙を宙にかざしてみたのだった。


 その内にポムの家が見えてきた。


 朝日を浴びたその小屋はとても色鮮やかに見える。それは窓辺や玄関に飾られた色取り取りの花達が夜露を花びらに溜めて、それを輝やかせているからかもしれない。


 鳥達はもう起き出していて、屋根に止まりお喋りをしたり庭の地面をつついて食事をしているようだ。子ども達が家に近づいて行っても、もう慣れているのか全く騒ぎ立てる事はなかった。


 ミルトが代表してポムの家の扉を少し遠慮がちに叩いた。


 しばらく返事がなかったが、少しすると扉が開いてポムが眠そうな目で出てきた。まだポムの服装は栗色のゆったりとした寝間着のままだった。


 子ども達はやはりまだ少し早すぎたと思いながらも、声を揃えてお早うございますと挨拶をした。


 ポムは子ども達をぼんやりと見てふむと頷くと、中に入れるように扉を大きく開け放ち、大あくびをしながらまた中に戻っていった。


 ミルト達も続いて中に入りいつもと同じ椅子に腰掛けて、奥の部屋に入っていったポムが出てくるのを待った。


 部屋はまだ少し薄暗く肌寒い感じがした。いつも明るく暖かいポムの家に若干の居心地の悪さを感じ始めた頃に、ポムが普段着に着替えて出てきた。


 ポムが歩きながら無造作に手を振ると、天井や壁に吊してある洋灯全てが一斉に火を灯して輝き出し部屋の中を明るくした。さらにポムは台所に行きがてら暖炉のほうに片手を向け指を鳴らした。すると暖炉の中の薪がぱちぱちと音を立てて燃え上がった。


 ミルト達は初めて見たこのポムの鮮やかな手際に見とれ目を輝かした。ポムは別に何も気にせずに黙々とお茶の用意を始めている。


 感心したような声でキルチェが言い出した。

「ふえ~、さすがですね。ミルト、少しでも真似できます?」


 自ら力を使えるミルトは心を奪われるように見とれていたが、キルチェの声で我に返った。

「えっ?あ……いやいや、無理だよ!だってさっきポム爺さんただ手を振っただけじゃん。精神集中すらほとんどしてないし。それに吊してある洋灯全てがいっぺんに点いたんだよ。何をどうしたらそんな事が出来るのか想像も出来ないよ」

 ミルトはまるでお手上げだという仕草を見せる。

「それに暖炉の火だって、あんなに離れているのに。一瞬で……」


 じっと考え込んでいたミラーがゆっくりとした口調で話し出した。

「私が考えつくかぎりでは、あれらの洋灯や暖炉にあらかじめ魔法をかけて魔力を溜めておけば可能だろうという事くらいね。いわゆる魔法具という物ならというわけ。もしそうなら起動の呪文や念で発動して、その道具が持つ力で火を灯すことは出来るはずよ。でも魔法具はとても高価で希少な物なの。え?もしかしてこれら全てがそうなのかしら……?」

 ミラーは洋灯を憧れのまなざしでうっとりと見つめている。


「ふ~ん。でもよお、あれらがその魔法具じゃなかったらどうなんだ?」トーマが話を戻した。


 ミルトは溜め息をついた。

「だから、それが分からないんだよ。一つ一つならまだ分かるんだ。一つの洋灯ごとに意識を集中して火を点けていくのならたぶん僕にもその内出来るだろうし。慣れてくればそれも早くなるしね。だけど〈一斉に〉ってなると僕にはどうしようもない。僕のやっている事ではどうやっても不可能なんだ。全ての洋灯に意識を集中する……?それはもう集中じゃない!分散じゃないか……。とてもじゃないけど無理だよ」


 黙ってみんなの話を聞いて頭を整理していたキルチェが口を開いた。

「なるほど。ミラーとミルトの言わんとする所は分かりました。ミラーは魔法具ならと言う事で、あとミルトが軸にしてる考えは精霊の使役ですよね。では、先程ポム爺さんがやったことが〈この部屋にある洋灯全てに同時に火を灯す魔法〉だったらどうです?それならば出来るのでは」


 ミルトとミラーは二人して首を傾げて考えていたが、ミラーがいち早く反論した。

「いえ、待って。あの時ポムお爺様は何も口に出していなかったわ。精霊術ならまだ分かるけど、魔法となると必ず呪文は必要になるわ。どんな簡単な魔法でも呪文によって言霊を組み上げていかないと精霊の力は使えないのよ」


「でも、だったらどうやって?」相変わらずトーマは考えずに訊ねるだけだ。


 子ども達がああだこうだと話し合っていると、やっとポムが戻ってきた。片手には全員分のいつもの茶碗の載っているお盆を、もう片方の手には自分の朝食用のお盆を持っている。


 ミラーは慌ててポムの手からお盆を受け取り、みんなに湯飲みを配りだした。


 ポムは熱く議論していた子ども達を楽しげに見て言った。   

「ほっほ、どうしたお前達。何か結論は出たのか?」ポムは自分の椅子に座ると、麺麭を囓りながら訊ねてきた。


 ミルトが身を乗り出して逆に訊ねる。

「ねえねえ、ポム爺さん。さっきのあれってどうやったの?」


 ポムは麺麭を噛みながら何を言ってるのかを推察するような目でミルトを見つめ返した。


 キルチェがすぐに補足の説明を付け足した。

「ミルトが言っているのは、先程やっていたこの部屋にある全ての洋灯にどうやって一斉に火を点けたのかと言う事です」


 ポムは口をもぐもぐと動かしながら話を聞いていた。眉が寄っているのでどう答えたら良いか考えているようだった。

「ふむ、さっきのあれのやり方のう……」ポムはミルトの口ぶりを真似て言い、お茶をがぶりと飲んだ。


 ポムが改めてみんなを見回すと全員が興味津々の顔つきなのが分かった。

「はてさて……、やるのは容易い事じゃが説明するのは難儀じゃのう。昔から毎日している事じゃから今ではもう無意識にやっている事なのじゃよ」

 ポムは腕を組み首をひねった。

「ふ~む、……はて、おや?どうやっているのであったかの?」


 ポムは朝食も半ばに考え込み始めた。目を閉じ眉を寄せ、眉間に深いしわを刻みだして本格的に考え出したのを見て子ども達は焦りだした。ポムが一度こういう状態に陥ると当分このままになるのを知っているからだ。こうなってくると理路整然とした理論の筋道をあらゆる角度から考察した完璧な答えを導き出すまで納得しないのだ。


 ミルトはそうはさせじと大声で言った。

「あれだよ!精霊術の一種!」


 ポムの眉がぴくりと動いたが、ふむと溜め息をついただけだ。


 キルチェが次の考えを言った。

「じゃあ、あれは魔法なんだよ!」


 今度はポムの口元がぴくりと動いた。しかし閉じた目が開く事はなかった。


 これが最後とばかりにミラーが叫ぶ。

「それなら、あの洋灯達は全部魔法具だわ!」


 ポムは黙ったままかすかに首を傾げる。

 だがやはり黙考は途切れない。


 子ども達は自分達の思いついた事は全て言ってしまったので、こちらも黙り込むしかなかった。


 しばしの沈黙の後、もう諦めようとみんなが思い始めた頃にトーマが言い出した。

「分かった!もうそれら全部じゃね?」


 それを聞いたポムの口から言葉が漏れた。

「全部……全部か」


 ポムは少し考えた後、目を開きいつもの表情にもどった。


 ポムは皆を見回して最後にトーマを見た。

「ふむ、これはトーマが正解という事になるのかの。しかしみんなの考えもなかなか良いものじゃった。だがそれぞれが言った一つの事だけではあの現象は起こせないのじゃな。全ての特性を少しずつ使ってあれをやっていたのだと思い出したわい。では一つずつ説明していこうかの」

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