第二章 五話

 ポムは冷めきったお茶をがぶりと飲んで喉を潤してから話し出した。


「そうじゃの、まず一番簡単に先程の事をしようとするならば、あれは魔法具だったと言うのが最も楽じゃな。しかしあの洋灯は魔法具ではない。儂が長い事使っているだけの普通に売っている品物じゃ。ちなみに魔法具と言う物は、魔法を使えない者でも簡単に魔法による現象を起こす事が出来る道具の事を言うのじゃが、それは錬金術師が特別に創るとても高価な道具なのじゃな。しかしながら、儂の洋灯達は魔法具ではないとは言ったが、それには及ばない似たような性質を持つまでになっているのじゃ。その性質とは儂の発する気に敏感に反応してとても使いやすくなっているというものじゃな。一般に、長年大事に使い込んだ道具は扱いやすいと言うじゃろう。それは道具が持ち主の気を感じ取り、主の意のままになるように動かしているからじゃ。いわば道具に魂が宿るという事じゃな。あらゆる職人達が使い古した同じ道具をずっと大事に使っているのは、この事を知らなくても肌で感じているからじゃよ。そもそも儂とて最初から先程のように一斉に点けていた訳ではない。昔は一つずつ点けていた記憶もあるしのう。さて、この洋灯達の助力を得て火を点けるのじゃが事はまだそう簡単ではない。儂も思い出すのに難儀したが、楽をする為にかなり難しい事を無意識で出来る様にしておいたのじゃったわ」


 ポムは苦笑してからまた話を続けた。


「それでは火の点け片じゃ。遠く離れた所に火を発生させるには、まず火の精霊の力が必要になる。それなら火の精霊術だという事になるが先程の事は簡単にはいかない。何故なら対象は洋灯一つではなく、この部屋にある洋灯全てになるのじゃからな。基本的に精霊術というのは対象は一つの事柄に限定されてしまう。どんなに熟練した者でもこれはどうにもならない事なのじゃ。精霊術を使うには、まずは準備段階としてある一つの対象に意識を集中する事で、精霊に頼みたい仕事の対象と内容を指示しやすい意識集中状態を作り出さなければならない。精霊術にはこの段階があるゆえに複数を対象にするのは難しいのじゃな。まあとにかくだ、火を点ける作業は火の精霊の力を借りなくてはならん事には変わりない」


 ポムは一息入れて皆の反応を確かめた。


「さあ、ここまでは分かったかの。これからの話は少し難しくなるぞ」


 子ども達は神妙に頷き、ポムは両手を組み話し始めた。


「さて洋灯達の助力と火の精霊の力で火を灯す準備は出来た。洋灯一つならこれでも良かろう。しかし洋灯全てとなるとこれだけでは足りない。それではどうすれば良いかと言うと、魔法の仕組みが必要になる。火の精霊の力が洋灯全てに行き渡るようにする言霊を選び、それを公式に当てはめ組み上げる。必要であれば印や陣、または呪紋を用いて補足する。そうしてそれらを集中力を保ち精神力を使って、緻密に創り上げた呪文を唱えることで魔法は発動する。とにかく魔法というのは大なり小なりかなり複雑で大変難しいものなのじゃよ。しかしじゃ、儂は先ほど洋灯の点けかたに魔法の仕組みも使っていると言ったが、そんな大層な事はしていない様に見えたであろう。実はのう、日々の生活に必要な作業において毎回そんな大層な事はしておれんから、前もって魔法が簡単になるある仕掛けを組んでおいたのじゃ。その魔法が簡単になる魔法の術式はかなり難しいのだが、まあそれは良かろう。とにかくそこで使っている仕掛けは二つある」


 ポムは指を折りつつ説明をした。


「まず一つ。高位の魔法の使い手になると、呪文の詠唱なしに魔法を使うことが出来るのじゃ。ただしそれは、自分が得意とするもので簡単なものに限られてしまうのだがな。それを〈無詠唱呪文による魔法〉と言う。これで先ほど儂が呪文も唱えずに洋灯に火を灯すことが出来たのが納得出来たであろう。しかしこの全ての洋灯に火を灯す作業はまだ複雑すぎて無詠唱ではだいぶきつい。ではどうするか?」


 ポムはもう一本指を折った。


「そこで二つ目じゃが、魔法における高等技術の一つ〈条件発動〉と言うのを用いておる。そうじゃの、これはよく魔法の罠などに使われる事が多いものじゃが、あらかじめその場所に魔法を組み上げておいて、決めておいた条件が満たされるとその時初めて魔法が発動するというものじゃ。いわゆる遅延呪文もこれの仲間になるのう。」


 ポムはまとめを言う前に皆が話しについてきているかを確かめた。子ども達は瞳を輝かし興味津々の表情でポムの話を聞いている。


「では、今言った事柄全てを用いて、〈部屋にある全ての洋灯に一斉に火を灯す〉という現象を起こそう。まず始めにこの部屋の洋灯達の座標も計算に入れて、この空間全体の洋灯に火を灯す条件発動魔法をあらかじめ組み上げておく。この時かなり細かく組んでおくと後々楽になり、時間の短縮にも繋がる。そしてそれを始動させる呪文を無詠唱魔法に設定しておく。それにより条件発動魔法を始動させる呪文はなくなり、ただ儂が火よ着けという念と手を振るだけで魔法が自然と立ち上がる様になる。もちろん儂の意を汲んだ馴染みの洋灯達も火の精霊を迎えやすい様にしてくれているので、火が点く時間が大幅に短縮することが出来ているのじゃ。とまあ話にすると長いがこれがまばたき程度の時間で起きているのじゃな」


 ポムは説明を終えて一息ついた。


 いま話を聞いていた子ども達が今の説明をどれほどまで理解しているか分からないが、きらきらと興奮した眼差しの表情が見られてポムは満足だった。


 お茶を飲もうと湯飲みを手に取ったがすでに空になっていたので、ポムはお代わりを取りに台所に向かった。


 ポムの話を聞き終えた子ども達はしばらく放心したように顔を見合わせていたが、初めにミラーが心底感動したような声を出した。


「……すごい、すごいわ!みんな聞いた?今の話。私も今までに色々な先生にたくさん教えて貰ってきたけど、あそこまで詳しく丁寧に、しかもあんなに高度な魔法の事まで教えて貰ったことはないわ。……すごい、感動!」

 ミラーは瞳を潤わしている。


 キルチェも眼鏡をはずし袖口で丁寧すぎるほど綺麗に拭いている。これはキルチェが動揺している時の癖であった。眼鏡をかけ直す手が震えている。

「はい……。すばらしい理論でした。僕らが目にしたほんの少しの出来事に、これほどまでの深い事柄が集約されているとは……。驚きです」


 普段は勉強嫌いのトーマも今回のポムの話には感銘を受けたようだ。

「ははあ、ポム爺さんってほんとに頭良いんだなあ」皆とは感じる所がだいぶずれてはいたが。


 話を聞き終えたあと、腕を組み難しい顔をしてずっと黙っていたミルトにミラーが話しかけた。


「ねえねえ、ミルト。今の話どうだった?私は実際のところあまり深い所までは理解出来なかったのだけど」ミラーがミルトの顔を覗き込んだ。


 ミルトはゆっくり目を開けると、ミラーを見てにやっと笑った。

「うん、僕もそんなに分かんなかった。でもこれだけはよく分かったよ。やっぱりポム爺さんは大賢樹と呼ばれるだけはあるってね」


 ミルトは洋灯を眺めて憧れを込めた声で言った。 

「は~、僕も魔法使いになりたいなぁ……。そうしたらいろんな不思議な事が出来てきっと楽しいだろうなぁ……」


「あら、もしなりたいなら今からたっぷりと勉強しなきゃね。それこそ遊ぶ暇もないくらいに」ミラーは少しおどかす口調で言う。


 ミルトは身を引いてとても嫌そうな顔で見返した。


 そこへポムがいつの間にか戻ってきていた。

「まあ本格的にやろうとしたらいくら時間あっても足りんものだからのう」


 ポムは皆の湯飲みにお代わりを注いでいった。

「まずミルトが魔法使いになるためには、初めに現代語を学びその語句の文法や意味合いの基礎を習得し、それに対応する言霊を一つずつ憶え……」


 ミルトは耳をふさぎ呪文のように長いポムの言葉を聞かないようにした。


 しかしふとその話で郵便受けから持ってきた手紙の事を思い出した。


 どこやったっけと思い返すと、玄関のそばの机の上に置きっ放しだったと思い出した。


 ミルトは急いで手紙を持ってくると、お茶をすすっているポムに差し出した。

「忘れてた、ポム爺さん。これが郵便受けに入ってたよ」


 ポムはふむと頷き受け取った。いつもならその辺にほったらかしにするのに、今回のポムはすぐさま手紙を裏返して送り主を確認していた。


 ポムはぼそりと呟いた。

「……やはりか。夢での連絡のとおりじゃのう」


 ポムはそう不思議な事を呟くと手紙を開けて読み始めた。


 読んでいる間に眉が一度ぴくりと上がったが、他の表情はいつもと変わらなかった。


 そして読み終わるとおもむろに皆に問いかけてきた。

「のう、お主達。最近この街で何か変わった事はなかったか?」


 子ども達はその言葉で、何故こんな朝早くにポムの家に来たのかを思い出した。


「あっ!そうだったそうだった!すっかり忘れてた」とトーマ。


「そうですそうです!話したい事があったから来たんでした」とキルチェ。


 二人がそう言ってから皆顔を見合わせて黙り込んだ。このままでは皆一斉に話し出す恐れがあると気づいたのだ。目配せで皆が皆を催促する。


 こうなったらあの時一番見ていたミルトが適任だと、三人が申し合わせたようにミルトを見つめてきた。


 ミルトは皆に見つめられ降参の仕草をした。しかし自分から話せる嬉しさに目を輝かせている。


 ミルトはぐっと身を乗り出し弾んだ声で話し始めた。

「実はね、ポム爺さん。僕らは昨日北の廃墟森で凄い物を見たんだよ!」


 ポムはミルトの話を少し聞いてからすぐに額に皺を寄せ始めて、みるみる不機嫌そうな顔になっていった。


 そしてポムはついにミルトの話を遮ると、深い溜め息をついて説教を始めた。


「は~何じゃと……昨日?北の森?お主らはなんて愚かなんじゃ。もう少し賢いと思っておったのじゃがな。お主達があの城の北にある森で遊んでおるのは知っておる。あの森は深く濃い。きちんと注意して臨めば己を高める良い場所になるであろう。しかしじゃ、今は狂迎節の時期じゃ。狂迎節付近の時期は赤い月の力が増してくるのは常識であろう。今は月からの力が不安定になり獣の精神状態も乱れやすく凶暴になる可能性が高い危険な時期なのだ。それにあの森は外界の生物が潜むと言われる程の危険な場所。もしかすると外界の獣が襲ってくるやもしれんのじゃ。よいか、本当に賢い者は危険な場所には近づかないものなのじゃよ。頼むからお主達ももう少し賢くなってくれんか……」最後は懇願口調のポムの説教だった。


 子ども達は久し振りにポムから真剣に説教をされて皆うなだれていた。


 ミルトがおずおずと謝った。

「うん……、ごめんなさい。昨日キルチェにも言われた。この時期にこの場所にって。本当に反省してる。あんな目にあったんだもん、二度とこんな事はしないよ」


 まだ少し不機嫌そうな顔のポムだったが、ようやく表情を和ましていつもの口調になった。

「ふむ。……まあ良かろう。分かれば宜しい。それで、いったいあの森で何を目撃して来たのじゃ?」


 ミルトは昨日の出来事をできるだけ詳しく話し始めた。説明の足りない所は皆で補いながら、ミラーの予想やキルチェの考察までも話した。


 ポムは相手が話しやすいように相づちを打ちながら特に口を挟まず真剣な表情で聞いていた。


 ポムは皆の話を聞き終えると、顎髭を触りながら遠くを見るような目で考え込んでいた。


 ミルトは我慢出来ずにポムの答えを聞きたがった。

「ねえ、どう思う?」


 ポムはミルトに目を向けると、不可解そうな目をして言った。

「ふむ?何をじゃ」


 ミルトはそれを聞いて抗議の声を上げたが、キルチェはすぐにぴんときて言い換えるように質問をし直した。

「ではまず、あの白い獣は何であったかを話して下さい」


 ポムは今度はちゃんと頷いて話し出した。

「ふむ、そうじゃな。お主達が見たその白い獣は〈幻獣〉の一種であるとして間違いなかろう。神秘的な外見もそうじゃが、お主達の感じた強烈な神々しい気配、そして死をも連想させる程の圧迫感、これは幻獣を目撃した際に感じる共通の特異な感覚なのじゃよ。そもそも幻獣とは、神々の御使い、神々の乗り物、神々の現し身と言われる程の高位の存在なのじゃ。それ故目撃例が極端に少なく未確認の部分もかなり多い。長年生きていて他から大賢樹と称されるこの儂でさえ神獣を目撃したのはただの一度きりじゃ。その時儂が見たのは大きな年老いた亀みたいな幻獣じゃったが……。まあそれはよい。お主達が見たのは大きな犬のような姿をしている獣だったと言っておったな。ミラーはそれを見て星狼フェンリルの伝承記を思い起こしたと。では、それがフェンリルであるかというと、それは分からぬ。狼の姿を持つ幻獣は他にもいるようでな、それをある本では幻狼族としてまとめているのだが。例えばフェンリルはミラーが言った伝承記にもあるように〈夜の空を駆ける者〉と呼ばれている。夜の空は暗く月や星以外は何者も存在していない。しかし時たま光が尾ひれをつけて流れる光景を見る事がある。ある文献には、それが実はフェンリルで光を纏って夜空を駆けているのだと書いてある。他には勇敢な死を司る者や戦士の勇気を奮い立たせる者などがおるとされているが、どれもミルトが見た四つの瞳に二本の尻尾を持つという事柄が当てはまらないのじゃ。お主達が見たのが未だ確認されてない未知の幻獣なのかもしれんし、もしくは既知の幻獣の未確認の部分なのかもしれんがの」


 ポムは話し終えると何か言いたそうなミラーと目を合わせた。ミラーは一人だけ不安そうな顔つきをしていたのだ。


 ミラーは気後れがちにポムに質問してきた。

「それで、ポムお爺様……。どうしてあの幻獣は私たちの前に姿を現したのでしょう?」


 ポムはすまなそうに答えた。

「それは分からぬ。あのような高位の存在の意図を簡単に見抜けるものではない」


 しかしポムは微笑みながら続けてこう言った。

「だがまあ普通に考えると、キルチェの考えた事が正解なのではないのかの」ポムはほっほと笑った。


 ミラーはポムにそう言ってもらい胸の奥にあったもやもやが晴れていくように感じた。キルチェも自分の考察をポムに認めて貰って大満足だったし、ミルトとトーマもほっと胸をなで下ろしていた。


 遠くで昼の時を告げる鐘の音が響いているのが聞こえてきた。すでに暖かい日の光が居間に入ってきていて、いつの間にか洋灯や暖炉の火は消えていた。

 ポムは立ち上がると子ども達に声をかけた。


「さあ、今日の勉強会は終わりじゃ。子どもは風の子、外で遊んできなさい。儂も少しばかり用事もあるしの。それにこの家にいてもおいしい昼飯は出てこんぞ」

 ポムはそう言って子ども達を送り出した。


 子ども達は別れの挨拶をして仲良く家の前の小道を歩いて行く。ポムはそれを見届けると部屋に戻り自分の椅子に腰掛けた。


 ポムの目の前の机にはさっきの白い手紙が置いてある。


 ポムはそれをじっと見つめてからぼそっと呟いた。

「ふむ、少し調べてみるか……」

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