第二章 一話 外界への憧れ

二年に一度の慎月祭が二回終わり、ついに狂月期を迎えるための準備を始める狂迎節に入った。


この時期から街では、十年に一度到来する狂月期という災厄の期間を無事に乗り切る為に、色々な準備を始める事になる。


 ちなみに狂月期とは赤い月だけが天空に現れ空が赤く染まり、あらゆる獣の力が増して非常に凶暴になる期間の事を言う。街の住人達はその期間の為に、街の防備の補強はもとより、各家庭でもいざという時の為の保存食を作ったりと、次第に色々とやることが増えるのであった。


 しかし、まだ準備期間としては狂月期に差し掛かるまで、あと半年の猶予があり、それに近年の狂月期はとても安定していたという事例もあって、この時期の街の様子はまだのんびりした雰囲気であった。



 狂迎節に入ったその日の早朝、下層街の道を一人の少女が歩いていた。


 彼女は背中まである滑らかな銀色の髪を一部編み込んで頭頂に回し、そこに蒼い布を蝶のように結びつけた凝った髪型をしている。


 彼女はあどけなさの残る綺麗な顔立ちで、その着ている服も空色の可愛らしい服装なのだが、胸元にふくよかな膨らみがあるところを見ると、そんなに幼くはない年頃の女の子なのだと推測できた。


 彼女はすれ違う街の人々に挨拶をされるとそれににこやかに返答し、足取り軽く下層街の裏路地を勝手知ったる道のように歩いていた。


 薄汚れた下層街にはあまり似合わない装いのその少女は、ある一軒の家の前で立ち止まった。


 その家は、だいぶ古そうな板貼り造りの家だが、まだ朝早いというのに玄関の前はきちんと掃除をして水がまかれていて、玄関脇の鉢植えの花達も水滴を朝日に輝かせていた。


 少女は色鮮やかな花達をしばらくの間その青い瞳で愛でてから、玄関の扉をとんとんと軽やかに叩いた。


 しばらくそこで待っていると、扉が開き赤い髪を後ろで結った若々しく活発そうな印象の女性が出てきた。目鼻が整っていてなかなかの美人である。


 その女性は訪ねてきた少女を見て微笑んだ。


 少女はこの女性の笑顔を見るたびに、彼は母親似ねと思うのであった。


 少女は愛情のこもった声で親しげに挨拶をする。

「おはようございます、マレスさん」


「おはよう、ミラー。今日は早いのね」マレスも楽しげに挨拶を返していた。


 ミルトの母親のマレスとミルトの女友達のミラーは、昔にお互いを紹介されて出会って以来とても仲が良くなっていた。


 二人は紹介されたその日の内に意気投合し、それ以降もミルト抜きで会ったり、お互いの家を行き来したりしてミラーの母親ともども親密な間柄になるほどであった。


 本来ならミラーはミルトの母親の事を、マレスおば様とかマレスお母様とか呼ぶところなのだが、マレスがそれを嫌がり、たださん付けで呼ばせるようにしていた。


 そのお返しという訳ではないだろうが、ミラーのほうもミラーちゃんと呼ばれるよりもただミラーと呼ばれる呼び捨てを好み、二人はまるでだいぶ歳の離れた友達の間柄のように見えたのであった。


 ミラーは期待を込めた目でマレスを見つめて訊ねた。

「マレスさん、ミルト……います?」


 マレスは残念そうな顔を見せた。

「あら……、やっぱりそれを聞いちゃう?ごめんね。今朝はかなり早くから出かけて行ったわ」


「もうっ!昨日ちゃんと約束しておいたのに~」ミラーはぷうと頬を膨らませた。


 マレスはそんなミラーを見て微笑んだ。

「ふふっ。ミルトがね、謝っておいてくれって。なんか急に重要な用事が出来たんだって」


「そんな事言ってもどうせトーマとキルチェでしょう。たぶん昨日私と分かれた後に会って決めちゃったんだわ」ミラーは形の良い眉を寄せ考え込んでいる。

「それで、どこに行くって行ってました?」


「北の廃墟森って言ってたわね。私には詳しい場所は分からないけど」とマレス。


 ミラーはすぐに頷いた。

「それってお城の北の方にある兵站場跡地の事ですよ。あの深い森の薄暗い窪地に空き家が並んでいる所があるからそう呼んでいるみたいです。……それじゃあ今から私もそこに行ってみますね」


「あら、気を付けてね。結構危険な場所もあるみたいだから」マレスはミルトの話しを思い出して少し心配そうに言う。


「はい、大丈夫です。それにミルトのいる所ならだいたい分かりますもの」ミラーは明るく返事をする。


「ではマレスさん。また伺いますね」

 ミラーは別れの挨拶をしたが、思い出したように言った。

「あっそうだ。マレスさん、今度また御飯を作りに来ても良いですか?私この前母から、新しい料理を習ったんです」


 マレスは両手を合わせて喜んだ。

「まあ嬉しい。私ミラーのお家のお料理大好きよ。異国風味でとても美味しいんだもの。いつでも作りに来て。待ってるわ」


 二人は手を振って別れ、ミラーは北の森へと向かいながら思っていた。


 それにしてもみんなったら。あの場所にはこの時期はあまり近づいてはいけないって言われているのに……。


 ミラーは少し足を速めて歩き始めた。



 その北の森はかなり背の高い樹木が生い茂り、鬱蒼とした雰囲気の日の光が地面に余り届かない様な湿気の多い暗い森だった。


 この街の北の最下層域に位置するこの森は、驚く程生物反応が濃く、森の中ではいつもどこからか小さな物音が聞こえていた。音の出所の正体は分からないが、深い茂みの陰に潜んだ虫や小動物であろう。または高い樹の梢に留まり侵入者に目を光らしている多種の鳥達か。その者達が起こしている風とはまた違う枝葉のざわめきの音や鳴き声が、奥深く濃い緑の森の臨場感を醸し出していた。


 この森に棲む生き物達は色彩が地味で、気味の悪い鳴き声を立てる生き物が多い事も不気味さを増す要因だった。


 この森でしか見かけない真黒の羽を持つ鳥もその一つで、大きな体躯で甲高い鳴き声をたて屍肉を食らうので災厄を運ぶものと畏れられている。


 更には、この森の奥には王国の特殊な衛士の修練場があったと言われ、この森全体が世俗から隔離されていた時代もあった。しかし現在では、この森を囲っていた昔の頑丈で背の高い石の囲いは朽ちてきて、そんな箇所は簡易な木の柵があるだけで、出入りをしよう思えば簡単に出来るのだが、その時代の酷い噂が色々と語り継がれているので、皆この場所を恐れて入ろうする者はあまりいなかった。


 それに、この森は街の中にあるのにとても外界に近い場所とも言われているのだ。


 外壁から外界に大きくせり出している樹木があるせいだろうか、この地では外界でしか見られないはずの動植物が多少なりとも棲息しているようだ。


 勇気ある散策者がこの森に入り、稀にそんな希少種の植物を見つけたりもするが、時には本当に危険な獣が出没することもあり、護人や狩人がそれを退治するという事態が過去に起きた事もある。


 このような理由でこの森は滅多に人が立ち入らない指定危険区域になっていたのだった。




 森の茂みをかき分けて三人の少年達が駆けている。


「ミルト!上に注意しろ!黒羽がいるぞ」トーマが足元のぬかるみを飛び越して言った。


「頭上、了解!キルチェ、目標はもう少し右手に向かったみたいだ」ミルトはその鳥がとまっている太い樹の下を大きく迂回する。


「分かりました。みんなは今の陣形を崩さないようにお願いしますよ!」キルチェは獲物を追う方向を微調整しながら叫んだ。


 三人の少年達は正三角形の隊列を組み広めな間隔を開けて走っていた。彼らの追う地面を駆ける獲物は小さく素早いが追えない程ではなかった。


 彼らは今は狩人になりきって駆けていた。最近彼らの間で流行っている狩人ごっこだ。


 彼らが追っている獲物は獣と呼ぶにはおこがましい様な、耳の長い尾がふさふさした小動物であり、少年達の装備も木の先を削っただけの木刀や短く枝を折っただけの懐刀、ただ形だけの弓矢などだったが、取りあえずは雰囲気を出すことは出来た。


 このごっこ遊びは隊列を崩さない事と、黒い色をしたものには近づかないという決まりだけを守る、いわばただの追いかけっこなのだが、あとは想像力次第で夢中になれた。この遊びはただ獲物を追い回すだけなので、獲物自体を捕らえることは出来ないのは分かっているがとても面白く夢中になれた。


 彼らはしばらくその獣を追っていたが案の定見失ってしまった。


「ちぇ、どっちにいった?」トーマが仲間を見回した。


「だめだ、僕も分からないや。」ミルトも足を止めた。


「キルチェは?」ミルトが訊ねる。


「駄目です。月の出方面に行ってるのだと思いましたけど、もう位置はつかめませんね」

 キルチェは肩をすくめた。


「ふう、そんじゃあ終わりかな。少し休もうぜ」とトーマが汗をぬぐって言った。


 少年達はもう追うのは諦めて一カ所に集まってきた。


「さてと、この辺りだとどの憩いの場が一番近い?」ミルトがキルチェに訊ねた。


「ちょっと待って下さい。今地図を出すから」

 キルチェが背負っていた荷物をごそごそとあさり、一本の巻いた紙を取り出して広げてみせた。


  「現在地は、ここですね。あそこに〈三つ岩〉が見えるでしょう。……てことは休憩場所は〈川の砂地二番地〉が一番近いですね」とキルチェが説明する。


「よし、行こうぜ。みんな周囲の警戒はおこたるなよ」トーマは木刀を構え直した。


 他の二人も武器を取り、慎重に周囲を見回しながら歩き出した。どうやら今度は偵察隊ごっこが始まったようだ。


 三人の中で一番体格の良いトーマが先頭に立った。最近また背が伸びたので、遠くからだともう普通に青年のように見える。


 キルチェは真ん中に位置どった。彼は相変わらず華奢だが読書や勉学を頑張り、今ではこの集団の司令塔を自負していた。


 最後をミルトが歩いていた。何でもそつなくこなし、運動神経も良いのでとても頼れる存在だ。それに実際に精霊術を使える術者でもある。


 最後尾を進むミルトは集中を高めながら歩いていた。直接的に精霊の力を使って皆を助けた事はまだ無いが、この森で遊んでいて何事もなく過ごせていられたのはミルトの〈力〉によるものが大きかった。ミルトが嫌な予感を感じて、道を変えたり引き返す事もたびたびあったし、仲間も素直にその言葉に従っていた。ミルトのそのような予感には必ず従うというのが、この森で遊ぶ際の暗黙の決まりとなっていた。


 大小の岩がごろごろしている斜面を下りとげのある茂み地帯を抜けると、向こうから川のせせらぎの音が聞こえ、涼やかな風が吹いてきた。


 すると前方の木々が途切れて、ぽっかりと青空の見える川辺が見えてきた。


 少年達はほっと力を抜きその川辺の砂地に向かった。


 彼らが呼んでいる〈川の砂地二番地〉は文字通り、川が大きく曲がった際に出来た小さな砂地の事である。


 その場所は頭上に木々の枝葉が全くなく、お日様の光りがさんさんと降り注ぎ、白い砂をきらきらと輝かせている。


 陰気な気配の森の中でそこだけがまるで別世界のように見えた。


 少年達は競争をするようにさらさらした暖かい砂地に駆け寄った。そこはお日様の光りがとても心地よく、何だか体の奥底から元気が湧いてくるようだった。


 しばらくしてトーマが靴を脱ぎ座りながら足を川に浸すと、みんなもそれに続いた。冷たく澄んだ小川の水が優しく疲れた足を包み込む。少年達はしばらく無言でこの感触を楽しんでいた。


「……気持ちいいなあ」トーマが何気なく足で水しぶきをたてた。


 そのしぶきがキルチェの顔に一滴飛んできた。キルチェは静かににやりと笑い、ちょっと待ってから自分も少し大きく水しぶきをたてた。


 ミルトの頭上にきらりと水が舞う。ミルトは全く無関心の様子をしばらく見せてから、おもむろに足を振り上げ水面に叩き付けた。自分もろとも仲間に冷たい水が降りかかる。


 そうなってくると、もうみんなじっとしてはいられなかった。立ち上がって水を蹴り、両手で水をすくい上げ、水の中に転ばせたりと、水辺恒例の水掛合戦が始まった。森の中を駆け回ってついた泥も綺麗に洗い落とすほど水をあび大はしゃぎで遊んだ。


 やがてみんなずぶ濡れになり、水を滴らせながら砂地に上がってきた。このまま家に帰ると怒られるのは間違いないがまだ日も高く乾かす時間は十分にあった。


 少年達は砂地に寝そべりお日様の光りをたっぷり浴びた。彼らは暖かい砂の布団で次第にうとうとし始めていた。 


 しばらくしてミルトは妙な気配を感じた気がした。


「……ん?なんだろ」ミルトが少し首をもたげる。


 トーマがミルトの動きを察知して体を起こした。「どうした?」


 トーマの緊張した声でキルチェも体を起こしたが、ミルトのほうを見ると普段通りの表情でぼんやりしているのでほっと力を抜いた。


「驚かさないでくださいよ」とキルチェ。


 ミルトもちゃんと体を起こして謝った。

「ごめんごめん、なんか不思議な感じがしたもんだからさ」


「不思議な感じって?」とトーマ。


「う~ん、森の中であるような嫌な感じじゃなくて、なんていうか誰かに見つめられたような感じかな」ミルトも当惑顔で言った。


「見つめられたって……こんなとこで?」キルチェも辺りを見回した。


「うん。でも特に悪意は感じなかったよ。僕も何でだか分からないけど」ミルトはまたごろんと横になった。


「まあこの場所なら大丈夫だよ。お日様の光りが守っていてくれてるし、風が通るからすぐに察知も出来るしね……」ミルトは本格的に昼寝をするつもりのようだ。二人もそれにならって再び横になると安心して目を閉じた。


 ミルトはすぐに眠りについた。


そしてミルトは不思議な夢を見たのだった。

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